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国盗り物語23

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:槍、槍 眼の前に、瀬がある。浅い。河底の小石の群れが、陽《ひ》ざしをうけて、さまざまな色に瞬《またた》いている。庄九郎は
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槍、槍

 眼の前に、瀬がある。浅い。河底の小石の群れが、陽《ひ》ざしをうけて、さまざまな色に瞬《またた》いている。
庄九郎は槍をかいこみ、腰をおとし、
からっ、
と音のするような飛び方で跳びこえ、ツマサキを中洲の砂の上にしずかにつけた。
槍術開創と称する無辺流の術者大内無辺はそのむこうの中洲に立っている。無辺は槍をかまえていた、すでに。
「…………」
と、庄九郎はそのほうを見た。
庄九郎と無辺の中洲とのあいだに、もう一つ瀬がある。浅いが、幅は五間ばかりもあろう。
(跳びこえるか)
が、越えたが最後、奥州雄《お》物川《ものがわ》をさかのぼる鮭《さけ》と同様、庄九郎は足がむこうの中洲につかぬうちに、宙空《ちゅうくう》で串《くし》刺《ざ》しになってしまうだろう。
「無辺、これへ来い」
庄九郎はいった。
無辺はあざわらって、
「美濃の西村勘九郎とやら。おのれこそこれへ参れ。それとも臆《おく》したか」
武芸者の常套《じょうとう》な悪口である。
庄九郎は何よりも格調と気品を尊ぶ男だから、この手合いを相手に、雑言《ぞうごん》のやりとりをしようとは思わない。
「わからぬかな、無辺とやら。それにては勝負ができぬゆえこれへ来よ、と申している」
と、おだやかにいった。
三条橋の上の見物衆は、はじめこそかたず《・・・》を呑《の》んでいたが、だんだん倦《あ》いてきた。
二つの洲の人影が、いっこうに動こうとしないのである。
ただ、無辺のほうは、庄九郎を怒らせて渡らせようとする戦法か、数人の門人ともどもすさまじい悪口雑言を浴びせつづけていた。
庄九郎、——
乗らない。
「汝《われ》のほうから来るまで、これにてゆっくり待つ」
と、槍を横たえ、草の上にあぐらをかいてしまった。
庄九郎もまた無辺同様、無辺が浅瀬をわたってくるときをねらって槍をつける魂胆でいた。
そういう庄九郎へ、無辺の側から、卑怯者《ひきょうもの》とか、臆病、贋《にせ》武《ぶ》辺《へん》、横道《おうどう》、亡者《もうじゃ》、土《ど》亀《がめ》、などと考えうるかぎりの罵《ば》声《せい》をあびせてくる。
見物人も、こう試合がながびいてはやりきれない。当然、無辺のほうに味方し、おなじような罵声を、橋の上からあびせた。
無辺は、傲然《ごうぜん》と立っている。当然、見物衆を意識している。武芸者づれというものは十中八九、売名の徒が多い。
この当時、剣術《ひょうほう》のほうはすでに中条流、小田流、神道《しんとう》流、鹿《か》島《しま》神流などが存在し、それぞれ秘伝を伝え、門人を取りたて、武者修行と称して諸国を歩く者が出はじめており、庄九郎も何度かそういう芸者に会った。みな共通しているところは、いまそこに立っている大内無辺のように、異装、有髯《ゆうぜん》の者がおおい。心底は知れている。
浅はかな顕揚慾である。
こういう兵法者《ひょうほうしゃ》という者に対し、戦国武将にも好《こう》悪《お》それぞれがあって、織田信長はこの連中をまったく無視し、そういう芸の心得があるからといって召しかかえようとしたりはしなかった。豊臣秀吉《とよとみひでよし》も、まるで無関心である。
武《たけ》田《だ》信玄《しんげん》は、好悪明確でない。上杉謙信《うえすぎけんしん》は兵法がすきであり、みずからも学んだ。この点、徳川家康もこの体技が好きであった。家康の兵法ずきが諸侯に伝染して徳川初期の剣術黄金時代ができあがったもので、豊臣家の天下がつづいていれば、剣術史というものはよほどちがったものになったろう。
武田信玄の驍将高坂弾正《ぎょうしょうこうさかだんじょう》が信玄にいったことばに、
「戦国の武士というものは武芸を知らずとも済みます。木刀などで稽《けい》古《こ》するのは太平の世の仕《し》様《ざま》であります。われら乱世の武士は始めから切り覚えに覚えてゆくものでありますから、自然の修練となるものであります」
槍術もおなじことだ。
「芸」としては、軽視されている。それだけに刀槍の武芸者は、どぎつく自己の存在を誇示してまわらねばならぬのであろう。
……………………
 さて、この時代の人は、気が長かったのか。
陽が落ちてしまった。
河原の瀬も中洲も暮色で黒ずみ、人の顔の区別もさだかでない。それでも橋の上の見物人は、なお去らないばかりか、松明《たいまつ》などを手にしている者まである。
庄九郎は、べたっとすわったままだ。ただ槍だけは引きつけている。
無辺も、くたびれてきたらしい。
瀬のきわで折り敷き、油断なく槍を掻《か》いこみこちらを見ている。その影が、いっぴきの鬼のようにみえた。
門人どもは走りまわって、やがてかがりを焚《た》きはじめた。
その炎々たる火《か》焔《えん》を背景にしているために、無辺の影は火が熾《さか》ればさかるほど黒くなり庄九郎の側からはあきらかに不利である。
(これはいかん。——)
庄九郎は思ったのか、それとも予定の行動だったのか、銭袋《ぜにぶくろ》をあげて橋の上の見物衆をさしまねいた。
「これを見よ」
袋を振り、銭をさかんに触れあわせた。
「薪《たきぎ》、柴《しば》、わらを持ってきて火をおこしてくれた者に、一人百文くれてやるぞ」
たちまち、橋の上で二十人ほどが動き、やがて駈《か》けまわって、手に手にそれらのものを庄九郎の背後に積みあげ、火をつけた。
庄九郎は油断なく前方の無辺をみたまま、袋を、群衆のうちの年がしらに与え、
「みなにわけてやれ。余ればそちがとっておけ。そのかわり、そこに居て火を絶やすな」
と、いった。
「へい」
年寄りはあぶれ者らしい。
やがて、庄九郎の火は、無辺の火の三倍ほどの大きさで燃えあがり、天をこがすばかりに成長しはじめた。
「年寄り。——」
庄九郎は、男にいった。
「そちの言葉を聴く連中は、何人ある」
「へい、この連中がみなそうで」
「それは好都合だ。もう一袋銭をやるゆえ、こんどは向うの連中の背後にまわり、桶《おけ》をもって火を消して逃げてくれんか」
「そ、それは」
「おそろしいか」
庄九郎は、笑った。
あぶれ者は、京の市中で戦さや火事、一《いっ》揆《き》があるたびに市中に跳梁《ちょうりょう》し、掠奪《りゃくだつ》、打ちこわしなどの働きに馴《な》れている。庄九郎はこの連中にやれぬことはない、と見ていた。
「年寄り。おれはこの二袋目の銭をお前にやるともう一文もない。しかしながら、銭はあの中洲の連中が持っている」
「えっ?」
年寄りは、庄九郎の云う意味が敏感にわかったらしい。
「門人が五人、無辺を入れて六人、つまり槍が六本ある。これもお前たちの所有《もの》だ。衣類も剥《は》げ。どれもこれも麻地でたいした値うちもないが、剥がぬよりはましだろう」
「し、しかしお武家様」
と、あぶれ者の年寄りは心配した。それはすべて庄九郎が勝って六人を平らげた場合のことではないか。
庄九郎にも相手の心配がわかったとみえて、
「まあ、案ずるな」
といった。
「おれは勝つ。万が一、おれが負けたとすればおれの死《し》骸《がい》から衣類、槍、刀を奪え。ところが、むこうは六人もいる。しかもおれの見たところ、三人は、なかなか上等の刀を帯びているようだ。むこうを負かすほうが得だぞ」
「それはそうでござりまするが」
「おれは法華行者だ。法華経の功《く》力《りき》が身にそなわっている。負けることはない。それよりも年寄り、おれの言う戦法《てだて》を聴け」
「へっ」
年寄りはうれしそうに手を揉《も》んだ。ひさしぶりの獲《え》物《もの》で、一族がうるおうとおもったのであろう。
庄九郎は、前方を見すえつつ、年寄りにこまかく指揮《げち》の仕方を教えた。
やがて、あぶれ者二十人の影は、庄九郎のそばから消えて行った。

ほどもない。
大内無辺の中洲の背後に、瀬を渡って敏捷《びんしょう》にちかづいたあぶれ者の影一つが、
ざぶっ
と手桶一ぱいの水を投げて、かがり火を消してしまった。
前方は闇《やみ》になった。
とたん、庄九郎は、自分の炎を背にしつつするすると瀬を渡った。
五間。
庄九郎の影は、その背後の光源のために、大内無辺の眼からひどく見えにくかったにちがいない。
庄九郎の槍が進んだ。
中洲に一歩足をかけるや、大内無辺にとって意外だったことは、庄九郎は槍を柄《え》一ぱいの長さにもち、竿《さお》でも振るように大内無辺の腰をめがけ、左から右にかけて横なぐりになぐりかけたのである。
(こ、こいつ、槍を知らんな)
と、大内無辺はあわてた。
知らぬことはない。駈けて行って槍の穂先で穴あき銭を通すほどの腕だ。しかし、兵に正あり奇あり。
庄九郎は奇を用いたにすぎない。
行きかえり二撲《ふたなぐ》りすると、さすがの無辺の構えが、やや上目になった。
庄九郎は槍を捨て、無辺の手もとにとびこんだ。
無辺は、意表を衝《つ》かれた。
「わあっ」
手もとに来られては、槍は弱い。退がろうとした瞬間、庄九郎の伝日蓮《にちれん》上人護持刀数珠《じゅず》丸恒次《まるつねつぐ》が鞘走《さやばし》り、真向《まっこう》、据物《すえもの》を斬るように無辺を斬《き》りたおしていた。
ぱちっと刀をおさめ、槍をひろい、突きかかってくる門人を一人突き伏せ、
「日本槍術開創大内無辺を、美濃の住人西村勘九郎が討ち取った」
と、大声にわめいた。
その声に、わっとあぶれ者が松明をもって前後の瀬を渡ってきた。
それらが、手に手にもった松明を、残る四人の門人にめがけて、弧《こ》をえがいて投げはじめた。
それらの松明が四人の足もとにつぎつぎと落ち、燃え、四人の身動きを、庄九郎の眼の前にくっきりと浮きあがらせてくれた。
が、この連中、何度か戦場を往来しているらしく、いざとなれば死力が出るようであった。
「突け、突き伏せい」
と、口々にわめきつつ槍の穂をそろえてやってきたが、庄九郎の槍にかかると、子供あつかいだった。
たちまち突き伏せられ、死骸になるたびにあぶれ者が群がった。
二人残った。
庄九郎は、相手が憐《あわ》れになった。
「馬鹿《ばか》者《もの》、槍を捨てるんだ。刀も捨てろ、着ているものもぬげ。裸になって逃げさえすれば命がたすかるのだ」
と、いった。
二人も、もっともと思ったらしい。槍をすてて逃げ、追いすがるあぶれ者に逃げながら刀を投げ、衣類を投げ、瀬の中にころがりこんだ。
(他愛《たわい》もない)
人間の動きというものには、心理の律《りつ》がある。この律のかんどころさえ握ってうまく人の群れをあしらえば、労せずしてこうなるものだ。
(人間とはなんと馬鹿なものか)
庄九郎は東岸にむかい、瀬を渡った。
粟田口で、馬に乗った。
眼の前に、くろぐろとした逢坂山《おうさかやま》がある。供に灯を点じさせ、灯をもった供を従え、星空の下の旅の道を庄九郎は東へさして進みはじめた。
「夜道になるが、大津の宿場まで出よう。そこで二泊しておなごを抱かせてやるゆえ、勇んで歩け」
「あっ」
みな、どよめいた。これほど勇ましい馬上の下知《げち》はあるまい。みな、まるで戦鼓を鳴らして戦場にゆく歩卒のように、どっどっと足音もすさまじく逢坂を越えはじめた。
美濃についたのは、七日目である。
庄九郎は、あいさつまわりに忙しい。それぞれの人のために選びぬいたみやげものを持ってまわった。加納城主長井利隆には粟田口鍛冶《かじ》の太刀《たち》を、鷺山《さぎやま》城の土岐《とき》頼芸《よりよし》には一匁《もんめ》の値が金より高いという程君房《ていくんぼう》の墨を、深《み》芳《よし》野《の》には大明《たいみん》渡来の白粉《おしろい》を、その他、土岐家の本家をはじめ美濃の豪族には洩《も》れなくくばった。
帰国あいさつに鷺山城に登城して土岐頼芸にあいさつしたとき、このときほど頼芸のよろこんだ顔をみたのは、庄九郎、かつてなかった。
「戻《もど》ってくれたか」
と、涙ぐんでいる。
美濃で頼芸と話のあうほどの教養人は、庄九郎のほかに一人もいないのである。
「勘九郎、わしは孤独ということをはじめて知った」
と頼芸はいった。
「はて、殿ほどの果報なお方が、なにが御不足で孤独なのでございましょう」
と、庄九郎はわかっているくせに、首をかしげた。
頼芸は、余技の絵だけでも後世数百年に令名と名作を遺《のこ》した男だけに、この美濃の田舎では抜んでて教養が高すぎた。
頼芸の不幸といっていい。
たれも話し相手がなく、同族のどの男と話していてもつまらなく、詩文を語って味わいあう相手がなく、なによりも、同じ高さで諧《かい》謔《ぎゃく》と微笑とが一致する相手がいない。これは牢獄《ろうごく》の独房にいるのと同じである。
庄九郎があらわれるまでは、この淋《さび》しさの正体がわからなかったが、庄九郎の出現によっていままでいかに自分が孤独であったかがわかった。
もうこうなれば、庄九郎は家来、被官というよりも、友といっていい。
程君房の墨を献上すると、手を搏《う》つようにしてよろこび、
「勘九郎、そちの心づくしもうれしい。しかし何よりもうれしいのは、墨は程君房、ということをそなたが知っていることだ。わしにとって、程君房の墨よりも、そちがそれを知っているということのほうが貴重だ」
といった。
「恐れ入りましてござりまする。墨は、中国《から》の徽州《きしゅう》、それも宋代《そうだい》のものがよいと申しまするが、あまり新しくて生々しくても発色に雅趣を欠き、あまり古くて乾きすぎるのも墨色に妙が薄れると聞き、ちょうど墨齢三十歳から八十歳までのものをと思い、堺《さかい》でさがさせましたるところ、それを得たまででござりまする。もとより野人、筆墨のことなどはよく存じませぬ」
「なんの」
頼芸はうれしそうに手をふった。
「謙遜《けんそん》じゃ。それだけの言葉の中にも、にじみ出た文雅への素養というものが感じとられる。勘九郎、もう旅はするな」
「恐れ入りまする」
この日は、深芳野は姿を見せず、そのため庄九郎は彼女への土産を頼芸に渡した。
「深芳野にまで心遣《こころづか》いをしてくれるのか」
と、頼芸は溶けるように微笑した。
(あたり前のことではないか、おれの想《おも》うひとだ)
庄九郎は、ぎょろりと眼をむいて端座している。
ひと月ほどして、美濃に、例の三条加茂河原で西村勘九郎が日本一の槍の名手を討ちとったという噂《うわさ》が聞こえてきた。
頼芸の耳にも入った。
(——なんと)
と、魂《たま》消《げ》るおもいであった。
(あの男は、それほどの武芸の達人か。おく《・・》び《・》にも見せぬところ、底の知れぬ男だ)
すこし薄気味わるくは思ったが、一面、いよいよたのもしく思えてきた。
(一度、当人の口からきいてみよう。できればその妙技をみたいものだ)
頼芸にとって庄九郎は、変幻きわまりない山岳のようなものである。春霞《はるがすみ》を通してみれば靄々《あいあい》として雅趣かぎりなく、秋霜の町から仰げば白刃のような雪峰を冬の天にそびえさせている。
(いや、あの男は汲《く》んで尽きぬものを持っている)
頼芸は庄九郎に惚《ほ》れきっている。男に惚れることは、ときに女に惚れるよりもおそろしいことだということを、この苦労知らずの貴族はむろん知るわけがない。
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