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国盗り物語50

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:木《この》下《した》闇《やみ》 庄九郎は、注意ぶかく暮らしている。五感を研《と》ぎすましていささかの変化も見おとすまいと
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木《この》下《した》闇《やみ》

 庄九郎は、注意ぶかく暮らしている。五感を研《と》ぎすましていささかの変化も見おとすまいとしていた。そういう日常のなかから、
(面妖《おか》しい。——)
とおもうことが、ちかごろ多い。
日に一度は、小さいながらも「異変」があるのだ。たとえば、筆の一件である。
このころになると、庄九郎は、すでに稲葉山山麓《さんろく》で工事中の新邸にすんでいた。山上の城《しろ》普《ぶ》請《しん》は工匠岡部又右衛門の努力で予定以上に進んでおり、この山麓の屋敷もほぼ完成し、いまは庭造りだけを残すのみになっている。
ついでだからいうが、庄九郎こと斎藤道三の作った稲葉山の居館は、いまはあとかたも残っていないが、この男のもっている芸術的能力をかたむけつくしたものといっていい。庭園はいわゆる東山式である。室町《むろまち》将軍がいとなんだという京の金閣、銀閣などの庭園をおもえばほぼ想像できるであろう。
すでに築山《つきやま》もでき、池も掘られ、庭木の大部分も植えこみをおわっている。
庄九郎は、知行地の村々に城館をいくつかもっている。そのおもなものは加納城、別府城、それにこの稲葉山城下の城館だが、夜はその城館のいずれかに寝ているために、所在がわからない。日没後は、居所をくらましているといっていいであろう。
昼は、たいてい、この稲葉山麓のあたらしい屋敷にいた。書院で書きものなどをしながら、障子越しに庭づくりの指揮をしているのである。
書院の窓ぎわに、硯《すずり》がおいてある。ある日筆をとりあげてから、
(………?)
と、くびをかしげた。やがて、
「赤兵衛、いるか」
と呼び、「台所にそう申せ、膾《なます》の残りでもあればこれへもって来るように」といった。
ほどなく赤兵衛が皿《さら》の上にその品をととのえて、運んできた。鯉《こい》の膾である。
庄九郎は左手で箸《はし》をもち、膾のひときれをつまみあげ、筆に墨はつけずに、くねくねとなにやら文字のようなものを書いた。
「ほほう」
赤兵衛には庄九郎の遊び《・・》の意味がわからないが、赤銅色《あかがねいろ》の顔をしゃくらせて感心している。膾の一片にかいた文字は、
南《な》無妙法蓮華経《むみょうほうれんげきょう》
という日蓮《にちれん》ばりのひげ文字であった。
「なんのおまじないでござる」
「落書きよ」
と庄九郎はねむそうにまぶたを垂れて答え、その箸でつまんだ一片を、
ぽい
と庭へ投げた。
膾が飛び、やがて、椿《つばき》の樹《き》の下にうずくまっていた三毛《みけ》猫《ねこ》の鼻さきへ、ぽとりと落ちた。
猫は、四肢《しし》をはねてとびついた。
赤兵衛はそれを見ている。と、すぐ、のど奥から叫び声を出した。
猫が死んだ。
「と、との。猫が……」
「死んだろう」
と庄九郎はそのほうを見ず、筆のさきをじっと見つめている。毒が塗られているのである。
塗った者は、庄九郎が、文字を書くとき筆さきを噛《か》みほぐし唾《つば》で毛《け》尖《さき》をそろえる奇癖のあるのを知っていたのであろう。
「猫が。——」
と、赤兵衛はまだ昂奮《こうふん》がさめないらしく、口のなかでぶつぶついっている。むりもない。猫は、深《み》芳《よし》野《の》がわが子のように可愛がっていることを赤兵衛は知っているのだ。
「殿、猫が」
「わかっている。死んだ、な」
庄九郎は物思いにふけっていた。
「どうなされまする。あれは深芳野様のご愛《あい》猫《びょう》でござりまするぞ」
「案じずともよい。法華経のお題目を書きしたためておいたゆえ、いまごろは極楽の蓮《はちす》の上であの猫はねむっている。——もっとも」
「もっとも?」
「事と次第によっては、あの猫のかわりにわしが蓮の上にねむっているところだった」
「さ、さては」
「そうよ、毒よ」
と、庄九郎は、顔をあげた。おどろくほど明るい表情をしていた。
「な、なに者が左様なことをしたのでござりまする」
「いま考えている」
「心あたりがござりまするか」
「あっははは、馬鹿《ばか》め」
と、庄九郎は、筆をすてた。
「心あたりの者が多すぎて、考えるだけでも頭がくらくらするほどだ」
「これはごもっともで」
赤兵衛も、つい吊《つ》りこまれて笑った。この庄九郎を亡《な》き者にしたい、と思い鬱《うっ》している者は、美濃一国に充満しているであろう。
異変は、それだけではない。
別府城の奥で寝たときである。夜中、ふと眼ざめ、醒《さ》めるとすぐ佩刀《はいとう》をつかみ、はねあがると同時に刀を抜き、うむっと斬《き》りさげた。唐紙を、である。袈裟《けさ》に九尺ばかり斬った。手ごたえはない。
「曲者《くせもの》」
とも庄九郎は叫ばない。
無言のまま体を跳躍させ、斬ったその破れ目からそとへ飛び出し、足をあげて蔀戸《しとみど》を蹴《け》りあげた。戸がはねあがったすきまから、風のようにぬけ出し、真暗な庭にとびおりた。駈《か》けた。
こういう場合、庄九郎は頭をつかわない。頭脳というものがいかに感覚をにぶらせるものかを知っている。すべて、かん《・・》である。かんの命ずるまま、反射的に跳ねあがり、右ひだりに駈け、跳びあがり、刀をぬき、斬り、飛びさがる。
そのかん《・・》で駈けている。
庭の東南のすみに、石組みがむらがって立っている。そこまで駈け寄るや、
「むっ」
と力まかせに斬り下ろした。
ぱっと火花がとび、石が割れた。石片が四方に飛んだ。その飛び散った石片と一緒に、一個の人影も虚《こ》空《くう》に散った。
ふわり、と塀《へい》の上へとびあがって、庄九郎を見おろしている様子である。
「何者だ」
と、庄九郎が低声《こごえ》で問いかけると、曲者はしばらく考えていたが、自分の名を誇示したい慾求をおさえかねたのであろう。
「木下闇《このしたやみ》という者さ」
と、つぶやくようにいった。

(どうせ、伊賀者か甲賀者かのあだなだ)
と庄九郎はおもって気にもとめず、耳次にそのような忍びがいるかどうか、調べることだけは命じておいた。庄九郎は忍びよりも、それを送りこんだ者に関心がある。
「それがわかれば、世話はないさ」
と、ある夜、稲葉山山麓の居館の奥で、深芳野のひざを枕《まくら》にしながら、いった。
「やはり、わかりませぬか」
と、深芳野はすっかりおびえている。というのは、彼女の居間でさえ、ほんのわずかの時間、空けておいても、そのあいだに人が忍んでいたらしい形跡が残されている。泥《どろ》、朽《くち》葉《ば》、ねずみの死体、男の下帯といったもので、どうやらいやがらせであるらしい。
「深芳野、案ずることはない。相手はそなたの命を取りはせぬ。ほしいのはおれの命よ」
と、庄九郎はわらったが、顔を笑《え》み崩しているあいだでも、耳だけはとぎすませている。
「しかし。……」
と庄九郎は考えている。忍びの傭《やと》い手は、美濃ではないかもしれない。
(京あたりから差しまわされてきた者か)
と考えた。なるほどそう思ってみると、庄九郎がいまやっている「事業」のなかでもっともひとに恨まれているのは、
「楽市」
「楽座」
であった。
かれは稲葉山の山上に城を営み、山麓に居館を建てただけではない。諸国のどの支配者もやったことのない、
「専売制の撤廃」
というものを、かれの城下に限って断行したのである。
城下を、商業都市にするつもりであった。そのために、商人宿を何軒も建て、遠国から売りこみ、買い入れにやってくる商人の便宜をはからった。
何度も「余談」としてのべたが、このころの商業というのは、物品のことごとくが、その販売を奈良、京都などの社寺や「座」におさえられ、勝手に売った者は、罰せられる。
罰する者は、国主である。つまり、社寺や座(同業組合)が、もはや形骸《けいがい》化している室町幕府に訴え出、幕府から国主に通牒《つうちょう》がまわって、国主が警察力を発動する、——というものであったが、庄九郎のころにはすでにそういうふるい秩序の力がなくなり、座みずからが直接制裁を加えるために武装して打ちこわしに行くことが多い。
要するに、座、という中世的商業組織は、国々の中世的支配者である守護職(国主)を保護者としてたよっているのだが、そのどちらの権威も古びきってしまっている。
庄九郎は、身分が美濃の守護代であるにもかかわらず、みずから裏切って、そういう商業機構の破壊者になった。
当然、制裁がくる。
品目も多い。
塩、綿、漆、紙、油、干魚、銅、絹糸、黒《くろ》布《ぬの》、菅笠《すげがさ》など指折れば十や二十ではきかないほどに多い。その一品《ひとしな》々々の背景には、「座」の権威がひかえている。ところが、かれらにとっても、相手がわるい。相手は、取り締まるべきはずの美濃の守護代なのである。「斎藤秀竜」は、強大な軍事力をもっている。
だからこそ、浮浪の刺客などを傭って放ったのであろう。
「なるほど、そうかえ」
と、庄九郎がつぶやいたのを、深芳野がききとがめた。
「いやさ、わからぬがな、ただ、大名地頭なら、たとえば戦場《いくさば》に立つとき先祖重代の緋縅《ひおどし》の大鎧《おおよろい》でも着、華やかに名乗りをあげておのれの綺羅《きら》をかざりたいという侍根性がある。乱《らっ》破《ぱ》水《すっ》破《ぱ》など人外《じんがい》の者を使って闇々《やみやみ》のうちに討ち取ろうなどということはすまい。ああいう者を使うのは、寺院か社《やしろ》の者であろう」
庄九郎は、大山崎油神人の仕組み、気質をもっともよく知っている。事が利害に関するどころか、こういう傾向がひろまっては、かれらの存亡にかかわるために、その恨みと復《ふく》讐《しゅう》、さらに妨害は、一筋縄《ひとすじなわ》でゆくまい。
「すると?」
深芳野にもぴんときた。庄九郎が断行した楽市楽座のさわぎは、深窓にいる彼女の耳にさえ入っている。
「そうさ、楽市楽座のことよ」
「あのようなことをなさらねばよろしゅうございましたのに」
「そうはいかぬ」
と、庄九郎は明るい声でいった。
「楽市楽座をやらねば、このような田舎城の城下は繁昌《はんじょう》せぬ。繁昌せねば、運上《うんじょう》(商工業税)がとれぬ。わしはこの山麓の屋敷と山上の城の普《ふ》請代《しんしろ》は、楽市楽座でかせぎ出すつもりよ」
「まあ」
深芳野は、気味わるそうに庄九郎を見た。考えもおよばぬことを、このあきんどあがりの侍はやるようである。商業の利益で城をたてたという話は、古今きいたこともないではないか。
「あっははは、刺客などにおびえて、いったんやりかけたことをやめられるか」
「神罰が、こわくございませぬか」
といったのは、たとえば蝋《ろう》を勝手に売ると八幡大《はちまんだい》菩《ぼ》薩《さつ》の神罰があたる、などというえたいの知れぬ迷信がずいぶん古くから民間に沁《し》みとおっている。蝋の営業許可権は、京の北野の北野天神の神人がもっているわけで、そういう商業秩序を無視する無法商人に対するおどしのための迷信であろう。
「なるほど、この城下で売られている品物は二十種類を越えるだろう。その一品々々に、神や仏がついている。罰があたるとすれば体がいくつあっても足るまいな」
やがて、城下で、流言がひろまった。
——斎藤さまは、楽市楽座のため、神罰、仏罰こもごも至って、ほどなく頓《とん》死《し》なさるにちがいない。
というものであった。
「なんの」
庄九郎は取りあわなかった。
「木下闇の手下共が苦心してひろめているのにちがいない」
そのうち、あれほど頻発《ひんぱつ》した異変が、ぱったりなくなった。
(神罰、仏罰のほうも、根《こん》くたびれしたか)
と、庄九郎はおもい、さすがに吻《ほっ》とするおもいもした。
冬がすぎて、春になった。
春になれば、百姓どもが冬仕事で作った菅《すげ》座《ざ》などの商品がどっと稲葉城下の楽市にあつまってきて、毎日、祭礼のようなにぎわいをみせた。
そのころ、京の山崎屋の杉丸から急飛脚がきて、
「夜盗が入り、御料人さまが連れ去られました」
という。しかも、京の市中には流《る》説《せつ》がおこなわれ、「山崎屋の主人は美濃で御禁制をやぶったため神罰がくだり、その妻が神隠しに遭った」といううわさが、しきりにささやかれているという。
これには、さすがの庄九郎も顔から血の気がひくほどに蒼《あお》ざめた。
(お万阿に復讐《あだ》をしたか)
世間への見せしめの効果は、おなじであるといっていい。
「赤兵衛、留守をせい」
と、庄九郎はその夜、赤兵衛にいいふくめた。
「わしが美濃にいるが如《ごと》くにしろ。わしが美濃におらぬ、とわかると、国中の恨みをもつ者が蜂《ほう》起《き》して、城を奪《と》りにくる」
「殿、お万阿さまの捜索にゆかれるのでございますか。それならば、屈強の者をおつかわしなされませ」
「わしがゆく」
と、庄九郎はきかない。
「しかし。——」
赤兵衛は、口ごもった。この庄九郎という人間に、いまだにわからない点があるのだ。
(お万阿様を、いわば半ば捨てて美濃へ来たくせに、なお愛憐《あいれん》があるのか)
と、ふしぎな思いがした。
「なんという表情《かお》をしておる」
「法蓮房《ほうれんぼう》さま」
と、赤兵衛は、わざと昔の名前でよんだ。
「どうやら、本当に惚《ほ》れていなさるのは、お万阿御料人さまのようでござるな」
「わるいかね」
と、庄九郎は、畳の上で脚絆《きゃはん》を締め、わらじをはいていた。装束は、わざと旅汚れた牢《ろう》人者《にんもの》の風体《ふうてい》に変えている。
「なにもわるいと申しているのではござりませぬが、あなた様らしくもござりませぬ」
「すると、なにかね。お万阿を見殺しにするのが、わしらしいというのか」
「まあね」
と、赤兵衛は、媚《こ》びるような笑いをうかべ、いかにも庄九郎の人間を知りぬいた仲間面《づら》でうなずいた。
「赤兵衛、もう一度いってみろ」
「まあね」
と、その表情でうなずいたとき、その横っ面を庄九郎が拳《こぶし》をかためて、力まかせになぐりつけた。
「あっ」
と、赤兵衛は二、三間すっ飛んで倒れた。
「赤兵衛、おのれは、所詮《しょせん》は悪党だな」
「あっ、それはお前様も」
と、赤兵衛は泣きそうになって、庄九郎を指さした。
「おれが悪党?」
庄九郎は意外な顔をした。
「そうみえるなら、不徳のいたりだ。人間、善人とか悪人とかいわれるような奴《やつ》におれはなりたくない。善悪を超絶したもう一段上の自《じ》然法《ねんほう》爾《に》のなかにおれの精神は住んでおるつもりだ」
「自然法爾のなかに。——」
赤兵衛も寺男だっただけに、そういう哲学用語はききかじっている。宇宙万物の動いている根本のすがた、といったような意味である。真理といってもいい。真理はつねに善悪を超絶したものである。
「そういうわしを、ただの悪党にまで引きさげるとは、おのれも眼のないやつだ」
「ただの悪党でございますからな」
と赤兵衛は拗《す》ね、
「すると、いまから京へお万阿様をさがしに参られるのも、自然法爾で?」
「あたりまえだ。わしはお万阿を愛《かな》しくおもっている。連れ去られた、ときいて、その愛しみで血も狂うばかりになっている。助けてやりたいと思った。それで、救《たす》けにゆく。わが心に素直に従っている。それだけのことだ。赤兵衛」
「へ、へい」
「おのれが危難に遭っても、わしは死を賭《と》して救ってやるぞ」
「それも、自然法爾で」
赤兵衛が問いかえしたときには、部屋からすでに庄九郎の姿が消えていた。
一剣、数珠《じゅず》丸《まる》を背負って、闇《やみ》のなかの街道を京にむかって駈けた。たった一人、供はつれている。
耳次である。
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