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国盗り物語56

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:美濃の蝮《まむし》 ひとは、美濃の蝮。と、庄九郎のことをいう。はじめはずいぶんこの蔭口《かげぐち》には閉口し、「蝮なんぞ
(单词翻译:双击或拖选)
美濃の蝮《まむし》

 ひとは、
——美濃の蝮。
と、庄九郎のことをいう。はじめはずいぶんこの蔭口《かげぐち》には閉口し、
「蝮なんぞで、あるものか」
と、自分の家来を厚く遇し、領民に他領よりも租税をやすくし、堤防を築き、灌漑《かんがい》用水を掘り、病いにかかった百姓には医者をさしむけ、かつ領民のための薬草園をつくった。美濃はじまっていらいの善政家といっていい。
このため、ひとはみな庄九郎の家来になろうとし、百姓たちはかれの領民であることをよろこび、他領の百姓まで、
——なろうことなら、小守護様(庄九郎)のお屋形の見えるまわりで田を耕したい。
とのぞんだ。蝮は蝮でも、この男は人気のある蝮だったといっていい。
かれはつねづね、
「人間とはなにか」
と考えている。なるほど、善人もいる、悪人もいる。しかしおしなべて、
——飽くことを知らぬ慾望のかたまり《・・・・》。
として見ていた。かれは、自分が学んだ法《ほ》華経《けきょう》も、人間の慾望に訴えた経典であることを知っている。法華経にいう。
「この経はいっさいの人間を救いたまうものである。生存についての苦悩を救い、さらに人間の願いを満足させたまうものだ。たとえば、渇《かつ》えた者には水、寒い者には火、裸の者には衣、病める者には医、貧しい者には財宝、貿易商人には海、といったように与え、満足させ、いっさいの苦や病痛から、人間を離れしめたまうものである」と。
庄九郎は正直なところ、法華経の功《く》力《りき》などは信じていないが、しかしこの経典が説く、なまぐさい「人間の現実」は信じていた。人間とは慾のかたまりだ、と経典を書いた古代インド人は規定している。
「だからこそ」
庄九郎は善政を布《し》く。百姓には水をあたえ、武士には禄《ろく》をあたえ、能力や功績ある者には惜しみなく財物をあたえ、商人には市をたてて利を大きくしてやる。
(これでも蝮か)
と庄九郎はおもうのだ。なんと、法華経が説く「功力」そのもののような男ではあるまいか。
法華経は、仏を説いている。
(乱世では、ほとけもマムシの姿をしているものさ)
とおもっている。
が、庄九郎は、自分が蝮だといわれていることを気にする段階はすぎた、とおもっている。これからのちは、一方で善政を布きつつ、内外に対して、
——おれをみろ、蝮だ。
がらりとひらきなおるべき時期にきた、と庄九郎は見ている。
 こういうひらきなおった心境で、庄九郎は主人頼芸の長男小次郎頼秀を討伐する軍勢を招集しはじめた。
ついでながら、この時代、武士はまだ中世的な段階にあり、城下町に住まず、それぞれの在所々々で住んでいる。これらを在所から移して城下町に集団居住せしめ、軍団としての機動性をもたせるにいたるのは庄九郎の後半期であり、それを完成させたのは、かれの女婿《むすめむこ》織田信長であった。 
まあいい。
庄九郎は、こういう在郷武士のかきあつめにすべての力をそそいだ。
本来なら、困難な仕事である。なぜなら美濃八千騎といわれるこれら村落貴族どもは、すべてが守護職土岐家を本家としており、単一の血族集団であった。
その血族集団をもって、宗家の長男を討つというのは、なまやさしい仕事ではない。
だから。
「蝮」
としてひらきなおった、といっていい。
 ——人間とは、
と庄九郎とほぼ同時代のヨーロッパの戦国時代に出た策略家ニコロ・マキャヴェリは、五カ条をもって定義している。
一、恩を忘れやすく
二、移り気で
三、偽善的であり
四、危険に際しては臆病《おくびょう》で
五、利にのぞんでは、貪慾《どんよく》である
と。むろん庄九郎は、このイタリー半島のフィレンツェの貧乏貴族の名も思想も知らないが、まったくの同意見であった。
だから、第五条の利を与えるために、京の山崎屋の巨富をどんどん美濃へ運びこんで懐柔し、かつ、第四条の臆病という人間性に対しては、
「従わねば、敵として討つ」
というおどしをもってむかった。ついに蝮の本性をあらわした。なんといっても、美濃一国で庄九郎より強い武将はいないために、一国を戦慄《せんりつ》させた。
マキャヴェリはいう。
——君主というものは、愛せらるべきか、怖《おそ》れらるべきか。これは興味ある命題である。常識的に考えれば両方兼ねるがよいということになろうが、その域に達するのは困難なことだ。だから君主にしてそのどちらか一つを選べということになれば、愛せられるよりもむしろ怖れられるほうがよく、またそのほうが安全である。
「蝮のほうがいい」
とマキャヴェリはいうのだ。愛嬌《あいきょう》のある仔《こ》犬《いぬ》よりも、猛毒をもった蝮のほうが、風雲を叱《しっ》咤《た》するばあい、うまくゆくであろう。
第三条の「人間は本来、偽善的である」という性質を庄九郎は見ぬいていて、
「小次郎頼秀どのは、すでに守護職土岐家の長子ではなく、廃嫡されてしまっている。しかも、謀《む》反人《ほんにん》である。これを討つことは、土岐家に対する忠義である」
と、宣伝した。
人間は、つねに名分がほしい。行動の裏づけになる「正義」がほしいのである。慾ぼけで移り気で臆病な人間ほど、いざ新奇な行動に駆りたてられようとするとき、
——頼むからおれの行動は正しい、といってくれ。
という護符《おふだ》を、指導者に請求するのだ。
庄九郎はこの合戦を、
「謀反人討伐の義戦である」
との護符をばらまいた。人間の偽善性に訴えた。美濃の村落貴族どもは、よろこんだ。
この護符のおかげで、稲葉城下に馳《は》せ参ずることが、「蝮の武威におびえた」ことでもなくなり、また「蝮の富力に懐柔された」ことでもなくなった。
かれらは、ぞくぞく美濃十数郡から庄九郎の稲葉城下にあつまってきた。この一州八千騎のうち、六千騎以上が集まってきて、それらが率いてくる兵で城下は満ちみちた。

庄九郎は、頼芸を大桑城《おおがじょう》から迎え、山上に土岐家の白旗を林立させ、山麓《さんろく》には自分の二《に》頭波頭《とうなみがしら》の旗をひるがえし、軍勢を率いて出発した。
その日のうちに、鵜飼山城を包囲し、城攻めにとりかかった。
一方、小次郎頼秀がたは——。
兵の集りが予想以上にわるかったために籠《ろう》城《じょう》戦をとることにした。
「若さま、これ以上はどうしてもむりでございますな」
と、村山出《で》羽守《わのかみ》は、小次郎頼秀にいった。
「むりか」
小次郎は爪《つめ》を噛《か》んだ。
出羽守はすでに敗死を覚悟した様子であった。
「しかし」
小次郎頼秀はすっかりあおざめて、
「隣国の弾正忠《だんじょうのちゅう》どの(織田信秀)が、救援にきてくれるのではないか」
「それは望めませぬな。織田はいま、三《み》河《かわ》へ兵を出して戦っていて、救援どころか、自分のほうが手いっぱいの模様でござる」
「それはけしからぬ。弾正忠どのはわしの烏《え》帽子《ぼし》親《おや》で、名も自分の秀《・》を呉れて頼秀とつけてくれた。いわば親子に準ずべき間柄《あいだがら》ではないか」
「時勢でござるな」
「なにが時勢じゃ」
「左様な間柄など、この時勢では通用いたしませぬ。げんに、若様には御実父におわします頼芸さまが、蝮めの飾り物とはいえ、敵の御大将ではござりませぬか」
「しかし、弾正忠どのは、信義にあつい大将ときくぞ」
「信義などは」
村山出羽守は、この若い貴族の子をもてあつかいかねた。
「左様なものは、両者利害が一致しているとき、酒席かなんぞで吐く戯《ざ》れことばにすぎぬご時勢になっております。だいたい、弾正忠どのも、なかなかの忍人《にんじん》(酷薄な人)で、尾張にはかつては守護職斯波《しば》氏があり、織田家にも本家があるというのに、それらをしりぞけてのしあがってきたお人でござる。当方に勝ち目があればともかく、なければ参りませぬな」
「では、どうすればよい」
「城内の者、心を一つにし、死力をつくして、半年城をもちこたえれば、こちらに内応して来る者もあり、あるいは織田殿も、蝮めの兵の弱りをみて木曾川を越えて腹背から衝《つ》いてくるかもしれませぬ」
「敵は、籠城にきめたか」
とみるや、庄九郎は奇抜なことを考えた。
敵の籠城を利用して、稲葉山城下に、一大城下町をつくることであった。だけではない。それには一つのこんたんがある。
ある日、陣中で将士をあつめ、
「どうやら敵は長陣にもちこむつもりらしい。あれしきの城一つ、力攻めして陥《おと》せぬことはないが、兵を傷つけるのもばかげている。ために当方も、尻《しり》をおちつけて囲むことにしたい。おのおの、如何《いかに》」
と意見をきいた。みな異存はない。兵の損耗を避けるというのは古来名将の道なのである。
「されば」
庄九郎は、言葉をかさねた。
「全軍をもって囲んでおれば疲れるばかりであるから、諸将、交替で陣へ繰り出してゆく。それは如何」
「いや、これは小守護どののお言葉ともおぼえぬ」
と、事に老いた《・・・・・》(合戦に熟練した)といわれている西美濃三人衆の一人で大垣城主の氏《うじ》家卜全《いえぼくぜん》がいった。
「諸将交替で出陣というのはよいが、それでは、自然味方は手薄になる。その手薄のときに敵に打って出られては、味方の崩れになりまするぞ」
「さすがは、卜全どの」
と、庄九郎は、子供をほめるようにしてほめてやった。
「おおせのとおり、遠方の知行地に帰られる方は、いざ敵襲という場合、当方から早馬を打たせて催促しても、前後三日はかかり、とても合戦の間にあわぬ。そこでどうであろう、わしの稲葉山城からここまでわずかな里程じゃ。されば稲葉山城下に地割りしておのおのに土地を進ぜるゆえ、そこに屋敷をつくり、妻子をお呼びよせになっては?」
妻子は、体《てい》のよい人質である。
かつ、庄九郎の城下に屋敷をもてば、結局かれらは庄九郎の家来というかたちになり、期せずして美濃統一ができるわけだ。
「屋敷をつくる金穀《きんこく》が足りねばお貸し申す」
というと、みなざわめき、
「妙案じゃ」
と手を打って、反対する者がなかった。
さっそく庄九郎は、赤兵衛を奉行《ぶぎょう》とし、地割りをさせ、材木を集めさせた。
そこは、庄九郎流の楽市の便利さである。稲葉山城下に材木をもってゆけば儲《もう》かるというので、たちまち諸国から材木商人があつまってきた。
庄九郎は国中の大工を城下にあつめ、
「日当は、それぞれ抱えぬしからもらえ。しかし当方からも同額の日当を出してやるぞ」
といったから、みな大よろこびで仕事にとりかかり、またたくまに城下の武家屋敷町ができあがってゆく。
三月で、町は完成した。町の名を、旧名どおり井ノ口という。岐阜《ぎふ》という名がついたのは、信長の時代からである。
庄九郎は、事実上の美濃王になった。
 これに閉口したのは、鵜飼山城の籠城軍である。士気は、とみに落ちた。
「井ノ口では、京から能役者などをよんで興行しているそうな」
とか、
「城外には、妓《おんな》を置いた宿が何十軒もできていて大層なさわぎじゃ」
「市は立つ、諸国から人は来る、もはや、京をのぞけば日本一の繁昌地《はんじょうち》というぞ」
といううわさが、雑兵《ぞうひょう》のはしばしにまでささやかれた。なにしろ、わずか七キロむこうの山麓に、夢のような一大軍都が出現したのである。その目もまばゆいばかりの繁昌ぶりを聞くにつけ、この鵜飼山城に籠《こも》る集団だけが、美濃の国内で孤立しているようにおもわれ、自分たちがひどくうらぶれてみえた。
庄九郎が、その形勢を察せぬはずがない。
「謀反《・・》加担を悔いて、当方に来る者は、こばまぬ。本領を安《あん》堵《ど》し、屋敷も作ってやる」
と、包囲軍の血縁者から籠城軍の血縁者に言わせると、せき《・・》を切ったように城内から脱走者が出た。
ところが、庄九郎はずるい。
最初の脱走者群に対しては、
「可愛気《かわいげ》がある」
としてなにもいわずに約束どおりの待遇をあたえてやったが、その後に内通したいとひそかに申し出てくる者には、
「城を出るな」
と、申し送った。
「誠心のあかしとして、謀反人小次郎頼秀どのの首を打ってみやげに持参せよ」
これは、極秘裏にいったわけではない。むしろ、公然と、城内へ矢文を送った。矢に文をつけて、毎日のように城内に射こんだのである。
このため、城内は混乱してしまった。味方同士のあいだで疑心暗鬼を生じ、
「あの男は、内通したのではないか」
とか、
「昨夜、奥の御廊下に人影が立ったが、どうやら小次郎さまのお首級《しるし》をねらう内通者らしい」
などといううわさがむらがるように出て、収拾がつかなくなった。
慄《ふる》えあがったのは、小次郎頼秀である。
ある夜、たまたま添《そ》い臥《ぶ》ししていた萩《はぎ》野《の》という女が、なにげなく寝返りをうったのに驚き、
——おのれもかっ。
と、枕《まくら》もとの大剣を掻《か》きよせた。萩野は仰天した。ころがるようにして廊下へ出たのが、かえって疑いを決定的なものにした。
追ってくる小次郎に背を割られ、さらに逃げたが、ついに杉《すぎ》戸《ど》のところで、背から胸にかけて刺しとおされて、絶命した。
そのさわぎに出てきた村山出羽守が、血みどろな現場にしばらくあ《・》然としていたが、やがて、
「若。これ以上の籠城は、むりでござるな」
といった。
「そうであろう、萩野まで内通しておった」
「いや、それはわかりませぬ。とにかく御大将である小次郎君がその乱れようでは、これ以上、一軍を率いてゆくことはできませぬ」
「出羽、おれは殺される」
と、小次郎は、とりとめもない。
「蝮めは、よう存じている」
村山出羽守は、嘆息していった。
「城というものは、城兵が結束さえしておれば、たとえ土掻きあげた土塁一重、堀一重の城でもたやすくは陥ちぬものでござる。ところが、内部の結束を崩せば、城などは雪のように融《と》けてしまう」
「どうすればよい」
「せめて、和議の仲介《なかだち》なりとも、織田弾正忠に頼みましょう。そのくらいのことなら、隣国の好《よし》みでやってくれましょう」
早速、使者を尾張に送ってその旨《むね》を交渉すると、
——左様なことなら。
と引き受けてくれ、庄九郎のほうに平手政秀を遣《つか》わせて交渉させた。
庄九郎は、時機《しお》だと思い、
「いかにも、ただならぬ織田弾正忠どののお仲介《なかだち》ゆえ和《わ》睦《ぼく》はいたしますが、しかしあくまでも村山出羽以下籠城軍一統との和議でござるぞ」
妙なことをいった。
「と、申しますると?」
平手政秀にはわからない。しかし庄九郎はそれには答えず、さっさと誓紙を書き、政秀に渡した。
とにかく、政秀はそれを持って鵜飼山城にゆき、和議を成立させた。
鵜飼山城籠城軍は、解散した。
が、庄九郎はそのあと、国内の辻々《つじつじ》に高札《こうさつ》を立て、
——小次郎頼秀のみは、あくまでも謀反人ゆえ、かの者の所在を報《し》らせた者、または誅《ちゅう》殺《さつ》した者には褒《ほう》美《び》をとらせる。
旨を書き、布告したため、この国の正当の相続者であるはずの小次郎頼秀はついに国内にいたたまれず、ある夜、乞《こ》食《じき》坊主に身をやつして越前へ逃亡した。
「蝮」
は、ついにその本性をあらわしたことになる。
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