濃姫が父の道三から、尾張織田家との婚約の成立をしらされたのは、天文十七年の暮である。
この日のあさ、道三が、
「話がある。鴨東亭《おうとうてい》までそこもとひとりで参らっしゃるように。わしはそこで待っている」
と、侍女をもって報《し》らせてきた。
鷺山《さぎやま》城内でのことである。
このところ道三は稲葉山城は嗣子の義竜《よしたつ》(深《み》芳《よし》野《の》からうまれた子。じつは前《まえ》の屋《や》形《かた》土《と》岐《き》頼芸《よりよし》の胤《たね》)にゆずり、自分は鷺山の廃城を改造してそこを常住の城館としていた。庭が、みごとであった。わざわざ運河を掘らせて長《なが》良《ら》川《がわ》の水を城内にひき、さらに庭内にひき入れ、それを鴨川《かもがわ》となづけた。
築山《つきやま》がなだらかに起伏し、その姿を京の東山連峰になぞらえている。庭はすべて道三みずからが設計した。
庭ずきの茶人はふつう常緑樹をよろこぶものだが、道三が設計したこの庭には、桜樹が圧倒的に多い。桜を自然のすがたでながめるだけが好きなのではなく、建材としてもこの男は好きなのである。桜と道三というのは、精神としてどういうつながりがあるのであろう。
風がない。
杉《すぎ》戸《ど》をあけて濡《ぬ》れ縁に出た濃姫の目に、まっさおな空がひろがった。ひたひたと濃姫は濡れ縁をわたってゆく。濡れ縁を踏む足のつめたさが、むしろこころよいほどに暖かな冬晴れなのである。
濃姫は階《きざはし》を降り、階の下で侍女の各務《かがみ》野《の》がそろえてくれる庭草《にわぞう》履《り》に足の指を入れ、庭をながめた。
「まるで桜が咲きそうな陽気」
と、濃姫はいった。
が、満庭のどの桜樹も、濃姫の期待のわりにはひどく不愛想な姿態で、冬の枝を天にさしのべていた。
「もうすぐ参りましょう、春が」
と、各務野がいった。この侍女は、濃姫の縁談のことをすでに殿中のうわさで知っている。春が、——といったのは、桜樹にむかっていったのではなく、濃姫の匂《にお》いあげるような若さにむかっていったつもりだった。しかし濃姫にはわからない。当の彼女だけが、自分の運命についてまだなにも知らなかった。
濃姫は各務野とわかれ、庭のなかの小《こ》径《みち》をあるいて鴨東亭へ行った。
四阿《あずまや》である。
父親の道三入道が、あたたかそうな胴服《どうぶく》を着て腰をおろしている。
そばには道三の気に入りの近習で明《あけ》智《ち》城の世《よ》嗣《つぎ》明智十兵衛光秀《みつひで》がひかえていた。
少年のころから道三が実子同然に愛育してきたこの光秀は、すでににおやかな若者に成人していた。濃姫とは、母の小見《おみ》の方《かた》を通して血がつながっている。いとこ同士なのである。
「十兵衛、ちょっとはずせ」
と、道三は光秀にそういった。光秀ははっと頭をさげ、典雅な挙《きよ》措《そ》で後じさりしながらそのすきにちらりと濃姫をみた。
見て、光秀はすぐ視線をそらせた。濃姫の眼と偶然出あったことが、この若者をろうばいさせた。
「帰蝶《きちょう》」
と道三は光秀の去ったあと、その娘をよび名でよんだ。
「それへ腰をおろしなさい」
濃姫はいわれるとおりにした。腰をおろしたあと、なんのお話でございましょう、と問いかけるように小首をかしげた。ひどくあかるい眼をもっている。
「やはり、いとこだな」
と、道三は笑いだした。
「あらそわれぬものだ。眼もとや唇《くちびる》のあたりが、十兵衛に似ている」
なんの、すこしも似ていない、いとことはいえ、ふしぎなほど濃姫と光秀とは似ていないことを道三はつねづね思っている。そのくせ、このようにとりとめもないことを皮切りにいったのは、なんとなくこの父親は気はずかしかったからにちがいない。
濃姫は、去年からむすめ《・・・》になった。そのあとみるみる美しくなり、道三でさえ、この娘と対座しているとふと、まばゆいような、なにかしら顔の赤らむ面《おも》映《は》ゆさをおぼえて、眼をそらす瞬間がある。
(生涯《しょうがい》に女をずいぶん見てきた。しかし帰蝶ほどに美しい女はいなかった)
そんなときは、道三は父親というよりも、不覚にも男の眼をもって濃姫を見ている。いまもそうだった。
いま、濃姫は腰をおろした。おろすしぐさに腰のくびれが、ふと道三に父親であることを忘れさせた。狼狽《ろうばい》のあまり、
「十兵衛に似ている」
などと、あとかたもない妄誕《もうたん》を口走ってその場をごまかした。いや、自分の、うっかり陶然としそうになる心を蹂《にじ》り消した。
「以前には」
と、濃姫はいった。お父上は逆なことをおおせられました、そなたはいとこであるのに十兵衛とは似ておらぬ、色の白いところがせめてもの通うところか、などと。——そう濃姫は小さな抗議をした。
「はて、憶《おぼ》えぬことだ」
道三は楽しそうにいった。
「そのようなことを以前に申したかな」
「おわすれでございますか」
「こまった。わすれている」
「薄情でいらっしゃいますこと。帰蝶はそれが去年の何月の何日だったかまでおぼえております。帰蝶がお父上様をおもって差しあげるほどには、お父上様は帰蝶のことをおもってくださらぬ証拠かもしれませぬ」
「これは」
道三はひたいをたたいて、参ったな、と笑った。この男がこのような軽忽《けいこつ》な身ぶりをするのは、この地上では濃姫に対してだけであった。
「では、言いなおす。そなたも十兵衛も、おさないころには似ておった。ところがどちらも成人してからまるで似かよわぬ顔かたちになった。これで、どうか」
「申しわけございませぬ」と、濃姫はうつむいてくすくす笑った。「おいじめ申したようで」
急に日が翳《かげ》った。翳ると、正直なほどに庭の樹々《きぎ》や石の苔《こけ》が冬のいろあいに一変した。
「話がある」
と、道三は大ぶりに上体をかがめ、両腕をぬっとつき出した。掌をかざして、地面の火《ひ》桶《おけ》のうえにあてた。
「わしはそなたがいつまでも童女でいてくれることを望んでいたのに、そなたは勝手にそのような娘になってしまった」
「いたしかたがございませぬ」
濃姫は笑おうとしたが、すぐ真顔にもどった。ひどく真剣な表情になったのは、はなしが縁談だと直感したからであった。
「あの、お父上様、十兵衛どののもとに参るのでございますか」
と、口走ったのは濃姫の不覚だった。
「ほう、そなたは十兵衛が好きか」
道三は意外な顔をした。が、まさかとおもった。いとこ同士とはいえ、相手は斎藤家のいわば被《ひ》官《かん》の子ではないか。
「いいえ、べつに」
と、濃姫はもう赤くならなかった。明智十兵衛光秀という聡明《そうめい》で秀麗な容貌《ようぼう》をもった美濃の名族の子を、父の道三が、溺愛《できあい》するほどに愛していることを知っていたから、自然、自分もついそういうことにつられて童女のころから光秀には好意をもっていた。そのうえ、たったいままでの話題が光秀のことだったから、つい口走ってしまったのである。
「べつに、そのようなことでは……」
と、濃姫はおなじことを二度言いかさねてから、はじめて頬《ほお》に血をさしのぼらせた。正直なことばであった。光秀を恋うるほど、濃姫はそれほど数多くの接触を父の近習の光秀ともったわけではなかった。
「そなたが庶出《しょしゅつ》なら」
と、道三はいった。つまり側室の腹にうまれた子なら、という意味である。
「下《した》目《め》のところへやってもかまわない。しかしそなたは嫡出《ちゃくしゅつ》のむすめだ。そのうえ、わしにとってただひとりの娘である。自然、嫁《とつ》ぐさきはかぎられる。国持の大名でなければつりあいがとれぬ」
道三は言葉をとぎらせ、やがていった。
「尾張へゆく」
「え? 尾張の?」
「織田信秀の世《よ》嗣《つぎ》の信長という若者だ。そなたとは、年はひとつ上になる」
この日のあさ、道三が、
「話がある。鴨東亭《おうとうてい》までそこもとひとりで参らっしゃるように。わしはそこで待っている」
と、侍女をもって報《し》らせてきた。
鷺山《さぎやま》城内でのことである。
このところ道三は稲葉山城は嗣子の義竜《よしたつ》(深《み》芳《よし》野《の》からうまれた子。じつは前《まえ》の屋《や》形《かた》土《と》岐《き》頼芸《よりよし》の胤《たね》)にゆずり、自分は鷺山の廃城を改造してそこを常住の城館としていた。庭が、みごとであった。わざわざ運河を掘らせて長《なが》良《ら》川《がわ》の水を城内にひき、さらに庭内にひき入れ、それを鴨川《かもがわ》となづけた。
築山《つきやま》がなだらかに起伏し、その姿を京の東山連峰になぞらえている。庭はすべて道三みずからが設計した。
庭ずきの茶人はふつう常緑樹をよろこぶものだが、道三が設計したこの庭には、桜樹が圧倒的に多い。桜を自然のすがたでながめるだけが好きなのではなく、建材としてもこの男は好きなのである。桜と道三というのは、精神としてどういうつながりがあるのであろう。
風がない。
杉《すぎ》戸《ど》をあけて濡《ぬ》れ縁に出た濃姫の目に、まっさおな空がひろがった。ひたひたと濃姫は濡れ縁をわたってゆく。濡れ縁を踏む足のつめたさが、むしろこころよいほどに暖かな冬晴れなのである。
濃姫は階《きざはし》を降り、階の下で侍女の各務《かがみ》野《の》がそろえてくれる庭草《にわぞう》履《り》に足の指を入れ、庭をながめた。
「まるで桜が咲きそうな陽気」
と、濃姫はいった。
が、満庭のどの桜樹も、濃姫の期待のわりにはひどく不愛想な姿態で、冬の枝を天にさしのべていた。
「もうすぐ参りましょう、春が」
と、各務野がいった。この侍女は、濃姫の縁談のことをすでに殿中のうわさで知っている。春が、——といったのは、桜樹にむかっていったのではなく、濃姫の匂《にお》いあげるような若さにむかっていったつもりだった。しかし濃姫にはわからない。当の彼女だけが、自分の運命についてまだなにも知らなかった。
濃姫は各務野とわかれ、庭のなかの小《こ》径《みち》をあるいて鴨東亭へ行った。
四阿《あずまや》である。
父親の道三入道が、あたたかそうな胴服《どうぶく》を着て腰をおろしている。
そばには道三の気に入りの近習で明《あけ》智《ち》城の世《よ》嗣《つぎ》明智十兵衛光秀《みつひで》がひかえていた。
少年のころから道三が実子同然に愛育してきたこの光秀は、すでににおやかな若者に成人していた。濃姫とは、母の小見《おみ》の方《かた》を通して血がつながっている。いとこ同士なのである。
「十兵衛、ちょっとはずせ」
と、道三は光秀にそういった。光秀ははっと頭をさげ、典雅な挙《きよ》措《そ》で後じさりしながらそのすきにちらりと濃姫をみた。
見て、光秀はすぐ視線をそらせた。濃姫の眼と偶然出あったことが、この若者をろうばいさせた。
「帰蝶《きちょう》」
と道三は光秀の去ったあと、その娘をよび名でよんだ。
「それへ腰をおろしなさい」
濃姫はいわれるとおりにした。腰をおろしたあと、なんのお話でございましょう、と問いかけるように小首をかしげた。ひどくあかるい眼をもっている。
「やはり、いとこだな」
と、道三は笑いだした。
「あらそわれぬものだ。眼もとや唇《くちびる》のあたりが、十兵衛に似ている」
なんの、すこしも似ていない、いとことはいえ、ふしぎなほど濃姫と光秀とは似ていないことを道三はつねづね思っている。そのくせ、このようにとりとめもないことを皮切りにいったのは、なんとなくこの父親は気はずかしかったからにちがいない。
濃姫は、去年からむすめ《・・・》になった。そのあとみるみる美しくなり、道三でさえ、この娘と対座しているとふと、まばゆいような、なにかしら顔の赤らむ面《おも》映《は》ゆさをおぼえて、眼をそらす瞬間がある。
(生涯《しょうがい》に女をずいぶん見てきた。しかし帰蝶ほどに美しい女はいなかった)
そんなときは、道三は父親というよりも、不覚にも男の眼をもって濃姫を見ている。いまもそうだった。
いま、濃姫は腰をおろした。おろすしぐさに腰のくびれが、ふと道三に父親であることを忘れさせた。狼狽《ろうばい》のあまり、
「十兵衛に似ている」
などと、あとかたもない妄誕《もうたん》を口走ってその場をごまかした。いや、自分の、うっかり陶然としそうになる心を蹂《にじ》り消した。
「以前には」
と、濃姫はいった。お父上は逆なことをおおせられました、そなたはいとこであるのに十兵衛とは似ておらぬ、色の白いところがせめてもの通うところか、などと。——そう濃姫は小さな抗議をした。
「はて、憶《おぼ》えぬことだ」
道三は楽しそうにいった。
「そのようなことを以前に申したかな」
「おわすれでございますか」
「こまった。わすれている」
「薄情でいらっしゃいますこと。帰蝶はそれが去年の何月の何日だったかまでおぼえております。帰蝶がお父上様をおもって差しあげるほどには、お父上様は帰蝶のことをおもってくださらぬ証拠かもしれませぬ」
「これは」
道三はひたいをたたいて、参ったな、と笑った。この男がこのような軽忽《けいこつ》な身ぶりをするのは、この地上では濃姫に対してだけであった。
「では、言いなおす。そなたも十兵衛も、おさないころには似ておった。ところがどちらも成人してからまるで似かよわぬ顔かたちになった。これで、どうか」
「申しわけございませぬ」と、濃姫はうつむいてくすくす笑った。「おいじめ申したようで」
急に日が翳《かげ》った。翳ると、正直なほどに庭の樹々《きぎ》や石の苔《こけ》が冬のいろあいに一変した。
「話がある」
と、道三は大ぶりに上体をかがめ、両腕をぬっとつき出した。掌をかざして、地面の火《ひ》桶《おけ》のうえにあてた。
「わしはそなたがいつまでも童女でいてくれることを望んでいたのに、そなたは勝手にそのような娘になってしまった」
「いたしかたがございませぬ」
濃姫は笑おうとしたが、すぐ真顔にもどった。ひどく真剣な表情になったのは、はなしが縁談だと直感したからであった。
「あの、お父上様、十兵衛どののもとに参るのでございますか」
と、口走ったのは濃姫の不覚だった。
「ほう、そなたは十兵衛が好きか」
道三は意外な顔をした。が、まさかとおもった。いとこ同士とはいえ、相手は斎藤家のいわば被《ひ》官《かん》の子ではないか。
「いいえ、べつに」
と、濃姫はもう赤くならなかった。明智十兵衛光秀という聡明《そうめい》で秀麗な容貌《ようぼう》をもった美濃の名族の子を、父の道三が、溺愛《できあい》するほどに愛していることを知っていたから、自然、自分もついそういうことにつられて童女のころから光秀には好意をもっていた。そのうえ、たったいままでの話題が光秀のことだったから、つい口走ってしまったのである。
「べつに、そのようなことでは……」
と、濃姫はおなじことを二度言いかさねてから、はじめて頬《ほお》に血をさしのぼらせた。正直なことばであった。光秀を恋うるほど、濃姫はそれほど数多くの接触を父の近習の光秀ともったわけではなかった。
「そなたが庶出《しょしゅつ》なら」
と、道三はいった。つまり側室の腹にうまれた子なら、という意味である。
「下《した》目《め》のところへやってもかまわない。しかしそなたは嫡出《ちゃくしゅつ》のむすめだ。そのうえ、わしにとってただひとりの娘である。自然、嫁《とつ》ぐさきはかぎられる。国持の大名でなければつりあいがとれぬ」
道三は言葉をとぎらせ、やがていった。
「尾張へゆく」
「え? 尾張の?」
「織田信秀の世《よ》嗣《つぎ》の信長という若者だ。そなたとは、年はひとつ上になる」
大げさにいえば、濃姫の輿《こし》入《い》れ準備は、美濃斎藤家をあげてのさわぎになった。道三は家臣の堀《ほっ》田《た》道空《どうくう》という者を奉行に命じ、
「いかほどに金銀をつかってもかまわぬ。できるだけの贅《ぜい》をつくすように」
と命じた。道空を奉行にえらんだのは、まずこの男は茶人で道具の美醜がわかる。さらにこの男は典礼に通じていた。それだけではない。とんでもない大《たい》気《き》者《もの》で金銀勘定のにがてな男だという評判を買ってとくに名指したのである。道三はこの道空に何度も、金に糸目をつけるな、といった。
道具好きの道空は、
「これは一代の果報」
とおどりあがってよろこび、さっそく家臣を京にやり、蒔《まき》絵師《えし》、指物《さしもの》師《し》などの道具職人を連れて来させた。
道三には、考えがあった。
(いかほどの入費をかけ、いかほどの贅沢な支度をしても、たかが知れている。織田家との合戦がこれでなくなるのだ)
ということであった。織田信秀が美濃の豊《ほう》饒《じょう》な田園を恋い、それをなんとかわがものにするためにここ数年、しつこく合戦を仕掛けてきた。そのつど道三は信秀をたたきつけてきたが、正直なところ、ほとほとわずらわしくてかなわぬ。道三にすれば、尾張と喧《けん》嘩《か》をしているよりも美濃を新体制につくりかえてゆくことのほうが急務だった。
(隣人に信秀のような精力的な好戦家をもっているのは、おれの最大の不幸だ)
と道三はおもっていた。そのためにおびただしい戦費が要る。士民は疲弊する。士民というものは疲弊すると、支配者へ憎《ぞう》悪《お》をむける。
(すべて道三がわるい、かつての土岐時代は楽土だった)
とおもうであろう。なににしても織田信秀の戦さずきは道三にとって大迷惑だった。
(それが、この婚姻でおさまる。やすいものだ)
とおもうし、かつ将来への希望もあった。むこの信長はとほうもないうつけ《・・・》殿だというのだ。信秀が死んだあと、棚《たな》からぼた餅《もち》がおちてくるように木曾《きそ》川《がわ》のむこうの尾張平野は自分のものになるかもしれない。
濃姫は、その外貌《がいぼう》に似合わず、反応のはやい活動的な性格をもっていた。
むろん、毎日部屋にいる。母の小見の方の相手をして茶を楽しんだり歌を詠《よ》んだりして、たまに庭あるきをするほか、ほぼ鷺山城の奥からはなれたことがない。
しかし、彼女の分身といっていいほどに気に入っている侍女の各務野は、すでに尾張にいる。物売《ものうり》女《め》に化け、信長のいるなごや《・・・》城の城下や、その父信秀のいる古渡《ふるわたり》城の城下などに出没して、自分のあるじの婿《むこ》どのになるべき信長という若者の評判をききまわっていた。
濃姫がそれを命じたのである。まだ見ぬ夫の予備知識を、できるだけ多くもちたかった。むろん重要な目的のある作業ではない。
「ただ、知りたいの」
と濃姫は各務野にいった。好奇心の旺盛《おうせい》なむすめだった。むろん、こういうばあい、まだ見ぬ夫に関心や好奇心をもたぬ娘は地上にいないであろう。ただ濃姫のばあい、他の大名の娘とちがっている点は、それを行動にうつせることだった。
「お父上には内緒よ」
と、各務野に言いふくめた。各務野は宿さがりする、というてい《・・》で御殿を去った。そのまま尾張へ行った。
やがてもどってきた。
「どのようなおひとだった?」
と、濃姫は各務野を自分の部屋につれこみ廊下には侍女に張り番をさせ、たれも入れぬようにしてきいた。
「水もしたたるような美しい若殿でございます」
と、各務野は息を詰めるような表情で最初にそれを言った。なごや《・・・》の路上で信長を見たという。五、六人の供をつれ、頭には鉢巻《はちまき》をし六尺棒をもち、珍妙な、いわば中間のようなかっこうをして歩いていた。
町家の者にきくと、若殿さまは野犬狩りをなされているのでござりまする、と教えてくれた。各務野ははじめは不用意にも噴《ふ》き出しそうになったが、よくよく信長の顔をみると、この十五歳の若者は彼女がかつてみたことがないほどに高貴な目鼻だちをもっている。各務野はまずそのことに打たれた。好意をもった。
(なるほど少々、傾《かぶ》いておられるが、あのお美しさならば、姫さまの婿どのとしていかにもお似合いじゃ)
とおもった。
そのあとさまざまのうわさをきいてまわったが、正直なところどのうわさもよくはなかった。しかし各務野は好意をもってそれらを解釈した。
自然、それらを総合してみると、かつて道三が耳次に命じて放った伊賀者どもの信長像とはひどくちがったものになった。
「たとえば平曲《へいきょく》に出てくる平家の公達《きんだち》のような」
と、各務野はいった。
「お美しい若殿でございます。しかし平家の公達のように柔弱でなく、いかにも武門のおん子にふさわしく武技がお好きでいらっしゃいます」
「どのようにお好き?」
「鉄砲をおならいあそばしております」
「まあ、鉄砲などを」
これは濃姫にとっても意外だった。鉄砲というものはまだ新奇な兵器でしかなく、諸国のどの大名にもさほどの持ち数はない。その上、そのような飛び道具を持たされているのは足軽であって士分の者はいっさいあつかわない。それを、信長は大名の子のくせに鉄砲がひどくすきで、橋本一《いっ》巴《ぱ》という名人をまねいて夢中で稽《けい》古《こ》しているという。
「そのほか馬がたいそうお好きで、毎朝馬場に出て荒稽古をなされております。むかし源氏武者は一ツ所でクルクルとまわる輪乗りという芸ができて平家武者はそれができなかったから源平合戦で平家が負けた、というはなしを聞かれ、それならばおれはそれをやる、と申されてひと月ほど馬場でそればかりに熱中なされておりましたが、ついにそれがお出来あそばすようになった、といううわさでございます」
「そのほかに?」
「喧嘩がおすきでございます」
「お強い?」
「それはもう。……」
と、各務野は手まねをまじえて語りはじめた。
あるときのことだ。信長が例のかっこうで城外の村へあそびに行ったとき、村の悪童どもが三十人ばかり群れていて口やかましくさわいでいる。
——どうした。
と信長が事情をきいた。村童は、このきたならしい装束の小僧がまさかお城主の若様だとは知らないから、
「隣り村とそこの野で喧嘩をする」
といった。ところが当村の子供はみな臆病《おくびょう》で人数はこれだけしか集まらない、という。
「二十九人か」
と、信長はあご《・・》でかぞえ、先方はなん人いる、ときいた。百人は集まっている、と村童のひとりが答えた。
よしおれが勝たせてやる、と信長は供に言いつけて青銭《あおせん》を何《なん》挿《さ》しか持って来させ、まずそのうちの二割をみなに公平にくばり、
「あとは働き次第で多寡《たか》をきめてほうびとしてやるぞ。ほうびを多くもらいたいと思えば必死に働け。喧嘩のコツは、やる前におのれはすでに死んだ、と思いこんでやることだ。さすれば怪我をしても痛くはないし、たとえ死んでもモトモトになる」
と教え、おれが指揮《げち》をする、と宣言し、かれらをひきつれて「戦場」におもむき、駈《か》けちがい駈けまわってさんざんに戦ったあげくみごとに勝った、という。
「利口なお人でございましょう?」
と、各務野の報告は、道三が知っている信長像とはだいぶちがっていた。
「だけど、それだけのおひと? 歌舞もなにもなさらないのですか」
と、濃姫がきいた。そういう芸事は、彼女は父の道三、母の小見の方の血と影響をうけてひどく好きだった。
「なさいますとも!」
と各務野は勢いこんでいったが、これは勢いこんで言わざるをえないほどに、少々自信のないことだった。
たしかに信長は舞と唄《うた》がひどく好きなことは好きであった。各務野もそのうわさはしか《・・》と耳に入れた。信長の舞の師匠は、清《きよ》洲《す》の町人で有閑《ゆうかん》という者だということもきいた。
そのくせに、信長は妙な若者だった。舞は「敦盛《あつもり》」の一番だけしか舞わないのである。それも「敦盛」のうちのただ一句だけを唄いながら舞うのが好きであった。
人間五十年
化《け》転《てん》の内にくらぶれば
夢幻《ゆめまぼろし》のごとくなり
と信長はかつ唄いかつ舞う。
うた《・・》もそうである。鼻唄をうたうほどにすきなのだが、これもただ一つのうたしかうたわない。
死なうは一定《いちじょう》
しのび草には何をしよぞ
一定語りおこすよの
というもので、それを鼻さきで唄いながら城下の町をあるいてゆく。
(妙なひと。——)
濃姫は目のさめるような驚きをもった。
彼女はそれだけの材料で懸命に信長という若者を理解しようとした。なにかしら自分の一生を五十年と見きわめてタカが五十年という態度で自暴自棄にあそびまわっているようでもあるし、逆に、まだおさない年齢でしかないくせにするどい哲学をもち、それを原動にして世のなかにいどみかかろうとしているような、そういう若者のようにもおもえた。
とにかく濃姫は、これだけの話のなかに、若者だけがもっている鮮烈な血のにおいを嗅《か》ぐような思いがして、その夜はあけがたまでねむれなかった。
むろん、毎日部屋にいる。母の小見の方の相手をして茶を楽しんだり歌を詠《よ》んだりして、たまに庭あるきをするほか、ほぼ鷺山城の奥からはなれたことがない。
しかし、彼女の分身といっていいほどに気に入っている侍女の各務野は、すでに尾張にいる。物売《ものうり》女《め》に化け、信長のいるなごや《・・・》城の城下や、その父信秀のいる古渡《ふるわたり》城の城下などに出没して、自分のあるじの婿《むこ》どのになるべき信長という若者の評判をききまわっていた。
濃姫がそれを命じたのである。まだ見ぬ夫の予備知識を、できるだけ多くもちたかった。むろん重要な目的のある作業ではない。
「ただ、知りたいの」
と濃姫は各務野にいった。好奇心の旺盛《おうせい》なむすめだった。むろん、こういうばあい、まだ見ぬ夫に関心や好奇心をもたぬ娘は地上にいないであろう。ただ濃姫のばあい、他の大名の娘とちがっている点は、それを行動にうつせることだった。
「お父上には内緒よ」
と、各務野に言いふくめた。各務野は宿さがりする、というてい《・・》で御殿を去った。そのまま尾張へ行った。
やがてもどってきた。
「どのようなおひとだった?」
と、濃姫は各務野を自分の部屋につれこみ廊下には侍女に張り番をさせ、たれも入れぬようにしてきいた。
「水もしたたるような美しい若殿でございます」
と、各務野は息を詰めるような表情で最初にそれを言った。なごや《・・・》の路上で信長を見たという。五、六人の供をつれ、頭には鉢巻《はちまき》をし六尺棒をもち、珍妙な、いわば中間のようなかっこうをして歩いていた。
町家の者にきくと、若殿さまは野犬狩りをなされているのでござりまする、と教えてくれた。各務野ははじめは不用意にも噴《ふ》き出しそうになったが、よくよく信長の顔をみると、この十五歳の若者は彼女がかつてみたことがないほどに高貴な目鼻だちをもっている。各務野はまずそのことに打たれた。好意をもった。
(なるほど少々、傾《かぶ》いておられるが、あのお美しさならば、姫さまの婿どのとしていかにもお似合いじゃ)
とおもった。
そのあとさまざまのうわさをきいてまわったが、正直なところどのうわさもよくはなかった。しかし各務野は好意をもってそれらを解釈した。
自然、それらを総合してみると、かつて道三が耳次に命じて放った伊賀者どもの信長像とはひどくちがったものになった。
「たとえば平曲《へいきょく》に出てくる平家の公達《きんだち》のような」
と、各務野はいった。
「お美しい若殿でございます。しかし平家の公達のように柔弱でなく、いかにも武門のおん子にふさわしく武技がお好きでいらっしゃいます」
「どのようにお好き?」
「鉄砲をおならいあそばしております」
「まあ、鉄砲などを」
これは濃姫にとっても意外だった。鉄砲というものはまだ新奇な兵器でしかなく、諸国のどの大名にもさほどの持ち数はない。その上、そのような飛び道具を持たされているのは足軽であって士分の者はいっさいあつかわない。それを、信長は大名の子のくせに鉄砲がひどくすきで、橋本一《いっ》巴《ぱ》という名人をまねいて夢中で稽《けい》古《こ》しているという。
「そのほか馬がたいそうお好きで、毎朝馬場に出て荒稽古をなされております。むかし源氏武者は一ツ所でクルクルとまわる輪乗りという芸ができて平家武者はそれができなかったから源平合戦で平家が負けた、というはなしを聞かれ、それならばおれはそれをやる、と申されてひと月ほど馬場でそればかりに熱中なされておりましたが、ついにそれがお出来あそばすようになった、といううわさでございます」
「そのほかに?」
「喧嘩がおすきでございます」
「お強い?」
「それはもう。……」
と、各務野は手まねをまじえて語りはじめた。
あるときのことだ。信長が例のかっこうで城外の村へあそびに行ったとき、村の悪童どもが三十人ばかり群れていて口やかましくさわいでいる。
——どうした。
と信長が事情をきいた。村童は、このきたならしい装束の小僧がまさかお城主の若様だとは知らないから、
「隣り村とそこの野で喧嘩をする」
といった。ところが当村の子供はみな臆病《おくびょう》で人数はこれだけしか集まらない、という。
「二十九人か」
と、信長はあご《・・》でかぞえ、先方はなん人いる、ときいた。百人は集まっている、と村童のひとりが答えた。
よしおれが勝たせてやる、と信長は供に言いつけて青銭《あおせん》を何《なん》挿《さ》しか持って来させ、まずそのうちの二割をみなに公平にくばり、
「あとは働き次第で多寡《たか》をきめてほうびとしてやるぞ。ほうびを多くもらいたいと思えば必死に働け。喧嘩のコツは、やる前におのれはすでに死んだ、と思いこんでやることだ。さすれば怪我をしても痛くはないし、たとえ死んでもモトモトになる」
と教え、おれが指揮《げち》をする、と宣言し、かれらをひきつれて「戦場」におもむき、駈《か》けちがい駈けまわってさんざんに戦ったあげくみごとに勝った、という。
「利口なお人でございましょう?」
と、各務野の報告は、道三が知っている信長像とはだいぶちがっていた。
「だけど、それだけのおひと? 歌舞もなにもなさらないのですか」
と、濃姫がきいた。そういう芸事は、彼女は父の道三、母の小見の方の血と影響をうけてひどく好きだった。
「なさいますとも!」
と各務野は勢いこんでいったが、これは勢いこんで言わざるをえないほどに、少々自信のないことだった。
たしかに信長は舞と唄《うた》がひどく好きなことは好きであった。各務野もそのうわさはしか《・・》と耳に入れた。信長の舞の師匠は、清《きよ》洲《す》の町人で有閑《ゆうかん》という者だということもきいた。
そのくせに、信長は妙な若者だった。舞は「敦盛《あつもり》」の一番だけしか舞わないのである。それも「敦盛」のうちのただ一句だけを唄いながら舞うのが好きであった。
人間五十年
化《け》転《てん》の内にくらぶれば
夢幻《ゆめまぼろし》のごとくなり
と信長はかつ唄いかつ舞う。
うた《・・》もそうである。鼻唄をうたうほどにすきなのだが、これもただ一つのうたしかうたわない。
死なうは一定《いちじょう》
しのび草には何をしよぞ
一定語りおこすよの
というもので、それを鼻さきで唄いながら城下の町をあるいてゆく。
(妙なひと。——)
濃姫は目のさめるような驚きをもった。
彼女はそれだけの材料で懸命に信長という若者を理解しようとした。なにかしら自分の一生を五十年と見きわめてタカが五十年という態度で自暴自棄にあそびまわっているようでもあるし、逆に、まだおさない年齢でしかないくせにするどい哲学をもち、それを原動にして世のなかにいどみかかろうとしているような、そういう若者のようにもおもえた。
とにかく濃姫は、これだけの話のなかに、若者だけがもっている鮮烈な血のにおいを嗅《か》ぐような思いがして、その夜はあけがたまでねむれなかった。
ほどなく、婚儀の日どりがきまった。
あと二カ月あまりしかない。天文十八年二月二十四日であった。
あと二カ月あまりしかない。天文十八年二月二十四日であった。