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国盗り物語67

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:華《か》燭《しょく》にんげん五十年化転のうちにくらぶればゆめまぼろしのごとくなりひとたび生《しょう》を稟《う》け滅せぬも
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華《か》燭《しょく》

にんげん五十年
化転のうちにくらぶれば
ゆめまぼろしのごとくなり
ひとたび生《しょう》を稟《う》け
滅せぬもののあるべしや
…………
くせとはこわいものだ。濃姫は、いつのまにか、たとえば厠《かわや》に立つときでも、ついついこのふしぎな謡文句《うたいもんく》を口ずさむようになってしまっている。厠のなかなどで、はっと自分のはしたなさに気づくときなど、
(おかしな若君だこと。……)
と、まだ見ぬ信長の罪にしてしまう。
とにかく、信長が尾張の城下の町をのし歩きながら鼻さきでうたっているという風景は、濃姫の目にみえるようであった。このうたを濃姫なりに幸若《こうわか》のふしをつけてうたうと、そこはかとなく織田信長という若者がうかんでくるから、妙なものであった。
「死なうは一定」
と、いまひとつの信長の愛唱歌を口ずさんでみることがある。
「……忍び草には何をしよぞ、一定語りおこすよの」
その日も、そうであった。濡《ぬ》れ縁の日だまりに端《はし》居《い》しながらぼんやり口ずさんでいると、侍女の各務《かがみ》野《の》が庭をまわってやってきて、やれやれという顔をした。
「お姫さまはちかごろどうなされたのでございましょう。ご婚儀もお近い、と申しますのに」
と、こぼした。婚儀がちかいというのに鼻うたなどという行儀のわるい癖がついてしまって、というのであった。
「そのようなお行儀では、さきさまにきらわれますぞ」
「あ、そうか」
と、濃姫はやめるのだが、よく考えてみるとさきさまの若様こそ、行儀のわるさでは三国一の異名をとっているという評判ではないか。
(適《あ》わせてゆく、ということで、少しぐらいお行儀をわるくして嫁《ゆ》くほうがよいのではないか)
と、濃姫は本気で考えてもみるのである。
それやこれやで、濃姫のまわりの日月がおどろくほど早くたち、もはや輿《こし》入《い》れの日にあと三日を残すのみとなった。
母の小見《おみ》の方《かた》は、縁談がきまってからはずっと濃姫の部屋で起居している。戦国のならいで、もはや隣国の大名に嫁《とつ》がせてしまえば、生涯《しょうがい》この娘と相見ることもないであろうと思い、そのことのみが悲しいらしく、折りにふれては涙をにじませたりした。
が、父の道三《どうさん》は風変りだった。ここ十日ほどのあいだはめったに奥に来ないばかりか、たまに来ても、なんとなく濃姫と顔をあわせることを避けているふうであった。
(あれほどわたくしを可愛《かわい》がってくだされたのに)
と濃姫はそれのみが不審で、とうとうこの日、母の小見の方に、
「お父上様はどうなされたのでござりましょう」
ときくと、小見の方にとっても不審だったらしい。
その夜、小見の方は寝所で道三にきくと、
「会えば、泣くのがこまる」
「帰蝶《きちょう》が、でございますか?」
とおどろいてききかえすと、いや、帰蝶ではない、わしがだ、と道三は苦っぽく答えた。
(この男《ひと》が?)
と小見の方はおもわず顔を見たくらいであった。道三は、いった。
「あれほどのよい娘を、むざむざ尾張のたわ《・・》け《・》殿に奪《と》られてしまうのかと思うと、胸のあたりが焼ける思いがするわ」
「なら、おやりにならなければよろしゅうございましたのに」
と、小見の方はまたしても涙になった。おとなしすぎるほどの婦人で、かつて夫の道三にうらみがましいことをいったことがないのだが、こんどの婚姻についてだけはべつだった。言って、すぐ、
「なぜ、十兵衛におやりなされませなんだ」
と、思いきっていった。明智十兵衛光秀ならば、おなじ美濃の被官で、自分の実家の子でもあるし、会おうと思えばいつなんどきでも会えるのである。
「言うな」
と、道三はいった。道三も同じ理由でそのことも考えたことがある。光秀ならば年少のころから猶《ゆう》子《し》同然にして可愛がってもきたし気心もよく知っていた。才智もすぐれ、婿《むこ》としてゆくゆく育て甲斐《がい》もあろう。
「しかし」
と、道三は、嫁取り婿取りは外交の重大事で国家防衛の最大の事業だ、親としてのなま《・・》な情をからめるわけにはいかぬ、と言い、
「そなたのつらさは、そなただけのものではない。わしも、ひょっとすると生涯、娘のむこの顔を見ることができぬかもしれぬ」
と、いった。戦国のならいである。つねにたがいに臨戦状態にある舅《しゅうと》と婿とが、一ツ屋根の下で対面するなどは、まずまず考えられぬことだった。
 いよいよ、濃姫の輿が美濃鷺山《さぎやま》城を出るという当日になった。
朝、それも太陽はまだ昇っていない。殿中はくまなく燭《しょく》がともされ、庭、通路、諸門、城下の街路には真昼のようにカガリ火が焚《た》かれ、星の下を支度の者、行列の人数、見物の者など数千の人がうろうろと往《ゆ》き来《き》し、輿の出発の時刻を待った。
道三は、大広間にいる。
横に、小見の方。
やがて濃姫が各務野に介《かい》添《ぞ》えされて、別れのあいさつをするために両親の前に進み出た。
その美しさ、父の道三さえ、あっと声をのむほどの風《ふ》情《ぜい》であった。それにつけても、うめきたいほどの口惜しさである。
(この娘を、たわけ《・・・》殿にくれてやるのか)
道三は、おもわずわが袴《はかま》をつかんだ。
濃姫が、意外にはきはきとあいさつの言葉をのべはじめたが、道三の思いは宙にまよい、その言葉もききとれぬほどであった。
「帰蝶」
と、おもわず叫んだ。
「これへ来よ、これへ」
早う早う、と手でまねき寄せ、かねて用意してあった金襴《きんらん》の袋に包まれたものをつかみ、三方《さんぽう》にものせず、いきなり濃姫の膝《ひざ》にのせた。
短刀であった。美濃鍛冶関孫六《せきのまごろく》の作で、道三がこの日のためにとくに打たせたものであった。
慣例なのである。父親が、とつぐ娘に護身のための短刀をあたえ、いざというときにはこれにて自害せよ、という意味をも籠《こ》める。
道三も、なにか、言うべきであった。堅固で暮らせといってもよいし、あるいは婿殿を大切に、といってもいいであろう。が、道三の口から思わずついて出た言葉は、
「尾張の信長は、うつけ《・・・》者だ」
ということであった。
えっ、濃姫は目を見はった。道三はうなずき、低い声で、しかし微笑をたやさずに、
「おそらくそちは、婿殿がいやになるであろう。なるとおもう。そのときは容赦なくこれにて信長を刺せ」
と、いった。
が、道三はそのつぎの瞬間、濃姫の意外な返答に出くわさざるをえなかった。
「この短刀は」
と、濃姫は膝の上からとりあげ、
「お父上を刺す刃《やいば》になるかもしれませぬ」
利口な娘であった。そういうなり、きらきらと微笑し、笑顔で感情を掻《か》き消した。
道三は狼狽《ろうばい》し、すぐ大声で笑って、
「でかした。なによりの別れのあいさつであった。あっははは、それでこそ斎藤山城入道《やましろにゅうどう》道三のむすめじゃ」
といったが、この応酬はあわれなほどに道三の敗北におわった。道三は、ぐっぐっと咽《の》喉《ど》で笑いつづけ、笑顔のその奥底で、
(信長め、果報な嫁をもった)
と、おもい、吐きすてたくなるほどに腹だたしくもあり、哄笑《こうしょう》したくなるほどにうれしくもあり、哭《な》きだしたくなるほどに情けなくもあった。
時刻が来た。
尾張までゆく花嫁の輿が玄関の式台の上にかつぎあげられ、濃姫はその輿のなかの人になった。
やがて輿は城門のそばまで出た。
城門の内側には、尾張へ供奉《ぐぶ》する行列の人数三百人が堵《と》列《れつ》している。
荷物だけで、五十荷はあった。
婚礼奉行の堀田道空が礼装で馬上、先頭にあり、それに、道三の代理人として光秀のお《・》じ《・》明智光安が、略装のまま金蒔《きんまき》絵《え》の鞍《くら》をおいた馬にうちまたがり、光安自身の家来五十人をひきつれて行列の後尾にある。
星空の下で、数百のタイマツが音をたてて燃えている。やがてその炎の列がうごきはじめた。
ゆるゆると動く。十歩行ってとまり、二十歩行ってとまる。とつぐべきむすめが、父母の想《おも》いのために去りなやむ、という一種の様式であった。
濃姫の輿の前を、道三が彼女の終生の家来としてつけてくれた美濃山県郡《やまがたのこおり》福富の住人福富平太郎貞家がゆく。輿のうしろには、濃姫に終生つきしたがう各務野をはじめ五人の侍女がゆく。
道三と小見の方は、その行列を城門のわきで見送るのである。
やがて行列が見えなくなると、作法により花嫁の多幸を祈るために門の右がわで、門《かど》火《び》を焚《た》く。濃姫は去った。門火が燃えあがるころ、道三は黙然と城門のなかに消えた。

沿道の村々に、すでに梅が咲いている。行列は、尾張のなごや《・・・》城まで、はるかに四十キロの行程をゆかねばならなかった。
木曾川の国境まできたとき、川むこうに織田家のむかえの人数三百人が、家老平手政秀に指揮されて待っていた。
輿は船で川をわたり、対岸の尾張領につくと、これら尾張衆が、美濃衆にかわって輿をかつぐのである。
自然、行列は両家あわせて六百人になり、それがカガリ火の燃えさかるなごや《・・・》城下についたのは、すでに日没後であった。
濃姫は、城内に入った。
彼女のために新築された御殿のなかで衣裳《いしょう》をかえた。白の小《こ》袖《そで》に上着は幸菱《さいわいびし》、それにうちかけをまとい、すらりと立つと各務野さえ見とれるほどの美しさであった。
ほどなく、婚儀がとりおこなわれた。
その席上で、濃姫ははじめて自分が生涯連れ添うべき織田信長という若者をみた。
濃姫十五歳
信長十六歳
この若者は、白ずくめの衣裳をまとい、髪をつややかに結いあげ、唇《くち》もとがひきしまり、鼻筋とおり、どこから見ても絵にかいたような若君であった。
(まあ、これは噂《うわさ》のサンスケどのではない)
と、濃姫はまずそのことに安《あん》堵《ど》した。
が、目だけは、とんきょう《・・・・・》であった。濃姫とその盛装がひどくめずらしいらしく、きょときょとと見るのである。その点は変だな、と濃姫はちらりと思ったが、さすがにあがっていたために、さほど気にはならなかった。
杯ごとが済み、そのあと織田家の老女に案内されて仏間へゆき織田家代々の霊にあいさつし、さらにきょうから父母になるべき信秀とその正室土田御《ご》前《ぜん》にあいさつした。
が、婚儀はそれだけでは済まない。
三日もつづくのである。その間、濃姫はほとんど厠《かわや》にも立てずにじっとすわり、三日目に白装を色ものの衣裳にかえ、いわゆる色なおしをして織田家の侍女たちのあいさつを受け、それがおわってようやく濃姫は儀式上の花嫁であることから解きはなたれた。
夜になった。
三日目のきょうが、寝室で婿どのと新床《にいどこ》をともにすることになるのである。
濃姫は寝所に案内されて、そこで婿どのにあいさつをするために、信長を待った。
濃姫は三日にわたる婚儀で、もう思考力もなくなるほどに疲れきっている。
(おそれたほどには、こわくはない)
と頭のすみでおもったのは、疲労がさいわいしているせいであろう。
ただ、おかしいと思ったのは、この三日間信長の姿が、ほとんど無かったことである。
(きっと、あれかしら、窮屈なことがおきらいなたちなのかしら)
と濃姫はけだるい体のなかで、ぼんやりとそう想像した。
濃姫の想像は、あたっていた。きのうまでサンスケと呼称して町をのしあるいていた自分が、急に町からひっさらわれ、うまれて一度も経験したことのない窮屈きわまる席に引きすえられたとき、肝がつぶれるほど仰天した。
(これはかなわぬ)
とおもい、何度も脱走し、脱走しては廊下、庭、門わき、中間部屋などで傅人《めのと》の平手政秀につかまった。五度目につかまったときなどは腹が立ってしまい、
「爺《じい》、そちは何人いるんだ」
とおもわずどなった。まったくのところ、城内のどこに逃げても政秀老人はどこからともなくあらわれ出てきて信長をつかまえた。
「若、もうよいかげんになされ」
政秀は、いった。それまでも政秀は「きょうは若の大事な日じゃ」とか、「そのようなお挙措《そぶり》では隣国のお付衆にあなどられまするぞ」などと訓戒をたれてきた。この五度目につかまったときはちょうど三日目の色なおしの日だったが、政秀もさすがに涙をため、
「若よ。考えてみなされ。年はもゆかぬ娘御が親もとの城をはなれ、十里の道をあるき、知る人もない尾張の城に参られておる。たよるひとと申せば若おひとりじゃ。あわれとも愛《いと》しいともおぼしめさぬのか」
と、袖をとり、尻《しり》をたたかんばかりの勢いでいった。このことばに信長も、
「ホウ」
と感じ入った顔をした。自分ひとりをたよって来たとはあわれではあるまいか、とおもったのであろう。
(しかし、あいつは美しすぎる)
という奇妙な反感もあった。戸惑い、気はずかしさ、というものではない。美しい蝶《ちょう》でもみればひっとらえていじめてやりたい、という童《わらべ》くささが、まだ信長には残っている。
「爺、わしは石投げや水くぐりの連中ばかりを相手にしてきた。女《め》っこなどは相手にしたことはないぞ」
だからこまるのだ、と信長はそんな顔をしたが、政秀老人は別の意味にとりちがえ、
「わかっておりまする。だからこそ、先日、絵草紙やらなにやらをお見せして、若の申される女っこを相手にする法をお説ききかせ申したではござりませぬか。あのとおりにやりなされ」
「爺、汝《われ》は助平じゃな」
「えっ」
政秀は狼狽し、なんという馬鹿《ばか》だ、ともおもい、ため息をつきながら、
「なにも申しませぬ。絵草紙どおりにやりなされ」
といった。
それから一刻《とき》ばかり経《た》ったあとである。
濃姫が寝所で短檠《たんけい》にむかって所在なげにひとりですごろくをしていると、廊下を駈《か》けてくる足音がきこえ、いきなりふすまがカラリとひらき、
「おれは信長だ」
と、真赤に上気した顔してこのえたいの知れぬ若者が闖入《ちんにゅう》してきた。
濃姫はあわてて居ずまいをなおし、すごろくを横へのけ、
「帰蝶でござりまする。ふつつかでございますが、ゆくすえ、よろしくお導きくださりますように」
と、指をついてあいさつした。
「ふむ、信長だ、見知りおけ」
「いいえ、もう三日も前から存じあげておりまする」
と、濃姫は内心おかしかった。しかし信長は突っ立ったままであった。
(こまったな)
と、濃姫はおもった。すわってくれねば、教えられたとおりの新床の儀式ができないのである。こうなれば濃姫のほうが度胸がすわってしまった。
「おすわりくださりまするように」
といった。すると信長は意外に素直に、
「コウカ」
と、すわった。
すわるなり、「お濃よ」といった。信長が帰蝶という名をよばず、どういうわけか通称の濃姫の濃をとって、オノウとよんだ。これが、信長が濃姫を呼んだ最初であった。
「お濃、それへ寝よ」
というなり、くるくると着物をぬぎすて、素裸になった。
濃姫は、ぼう然となった。が、すぐ信長の次の言葉がふってきた。ひとのぐずぐずしているのを見るのが、よほどきらいなたちらしい。
「寝よ」
と命じ、さらに、教えて進ぜる、おれは知っておる、と言った。知っておる、というのは、平手政秀のいった例の絵草紙のことであろう。
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