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国盗り物語71

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:菜の花 その夜、美濃鷺山城で、道三は、ねむれなかった。(あすだな)と、つい思うのである。例のたわけ《・・・》殿に会う。木
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菜の花

 その夜、美濃鷺山城で、道三は、ねむれなかった。
(あすだな)
と、つい思うのである。例のたわけ《・・・》殿に会う。木曾川べりの富田の聖徳寺に出かけねばならぬ。それにしても信長とはどういう男であろう。
(会えばわかることだ。そのためにこそ会うのではないか)
と自分にいいきかせてみたが、すぐそのし《・》り《・》から、
(はて、信長めは。——)
と、思うのである。道三は眼をつぶりながら、自分のおろかさがほとほとおかしくなってしまった。
(ながく、おれも人間稼業《かぎょう》をつづけてきた。しかも人を人臭いとも思ったことのないおれだ。そのおれが、これほどまでに隣国の若僧の存在が気になっている。……)
どういうわけだろう。
(相手が、むすめの婿殿であるせいかな?)
つまりひとなみな人情のせいか、と自問してみたが、そればかりではなさそうであった。
(あの若僧とおれは、ひょっとするとよほどふかい宿縁でつながっているのかもしれぬ)
と、いかにも坊主くさく思ったりした。宿《・》縁《・》という、わかったようなわからぬような、変にばく然とした宗教用語で説明するしか、この気持のしめくくりようがなかった。 
朝になった。
道三ははね起きて近習を呼び、
「支度はできたか」
と大声でいった。城内は、大さわぎになった。
道三は、すでに触れ出している時間よりも半刻《はんとき》はやく出発をくりあげたのである。
供まわりは武装兵千人。
これは、申しあわせにより、信長の側と同数である。ただ、道三は十人の兵法達者をえらび、駕籠《かご》わきにひきつけ、徒歩でつきしたがわせた。
万一、織田家から襲撃されたばあいの用心のためである。また同時に、ふと道三自身が、
——信長を刺せ。
と、とっさに命じねばならぬような場合の用意のためでもあった。
この日、天文二十二年の春である。よく晴れ、野の菜種の黄がまばゆいばかりに眼に沁《し》みた。
道三の行列は、その菜種のなかの道を、うねうねと南下してゆく。
(時勢が、かわってゆくことよ)
と、その菜の花を見るにつけても、道三はおもうのである。
道三の若いころは、最高の燈油は荏胡麻《えごま》から搾《しぼ》ったものであった。道三の故郷の大山崎にある離宮八幡宮《はちまんぐう》の神官がその搾《さく》油《ゆ》機械を発明し、専売権を得、その利潤で兵(神《じ》人《にん》)をやしない、はなはだ豪勢であった。道三はその荏胡麻油を売りながらこの美濃へきた。
が、いまでは、菜種から油をとることが発見され、荏胡麻油は駆逐され、大山崎離宮八幡宮はさびれた。
荏胡麻が菜種にとってかわられたごとく、戦国の覇《は》者《しゃ》どもも、あたらしい覇者にとってかわられるときがくるかもしれない。
やがて、木曾川《か》畔《はん》の村々が、野のむこうにみえてきた。
 その朝、信長は湯漬《ゆづ》けを食いおわると、濃姫の部屋にゆき、
「お濃、行ってくるわい」
と、いった。
「父にお会いなされましたならば、帰蝶《きちょう》は病みもせずに、達者でいる、とおおせてくださりませ」
「わすれるかもしれん」
と、干し豆を一つ、口に入れた。白い歯でがりがりと噛《か》みながら、
「ぶじに生きて戻《もど》れば、今夜、そなたを抱いてやる」
「不吉なことを」
「ばかめ。人の世はもともと、不吉なことだらけだ」
「変わったことをおおせられますこと」
「なんの、あたりまえの事をいっている。人の世が吉であれかしと祈っている世間の者こそよっぽど変人だ」
濃姫は笑うだけで、相手にならなかった。
信長は、表の間に出た。
家老《おとな》の青山与三右衛門をよび、
「申しつけたとおり、探索《くさ》者《もの》どもをくばったか」
といった。
青山は平伏し、
「みなことごとく行商《あきんど》に変装させ、富田の町の雑踏のなかに二十人ばかりばらまいてござりまする」
ふむ、と信長はうなずき、着替えをもってこさせてすばやく着替え、
「陣貝《かい》を吹け」
と、廊下へとびだした。

道三は、鷺山城から四里の道をゆき、ひる前、木曾川べりは富田の聖徳寺についた。
(まだ尾張衆はついておらぬな)
と、山門を見あげた。
聖徳寺は、三町四方の練塀《ねりべい》をめぐらせた城のような寺で、一向宗の寺らしく、白壁ぬりの太鼓楼をあげ、望楼、櫓《やぐら》の役目をさせている。
会見の場所は、本堂である。
方丈が、南北に二棟《ふたむね》あり、北の方丈が美濃の支度所にあてられている。
その方丈で道三はしばらく休息したあと、堀田道空をよび、
「会見の前に、信長をみたい。どこぞ、隙《すき》見《み》のできるような家を一軒さがすように」
と命じた。
ほどなく道空がもどってきて、「お供つかまつりまする」といった。
道三は、平服のまま山門を出、その百姓家に駈《か》けこんだ。
家は街道に面している。格《こう》子戸《しど》があって、その街道の様子が自在にみえた。しかも屋内が暗いため、そとからは見られる心配がない。
「これはいい」
と、道三はこの人のわるい趣向に、ひとり悦に入《い》った。が、そのいちぶ始終を、織田家から出ている探索者どもに見られてしまっていることを、道三は気づかない。
刻《とき》が移った。
街道はにわかにさわがしくなった。織田家の先触れがきて人を追いはらっている。
「殿っ、そろそろ尾張衆が参りまするぞ」
と、堀田道空がいい年をしてはしゃぎ声をあげた。道空だけでなく、美濃衆はみなきょうの馬鹿《ばか》見物がたのしみで、うかれ立っているのである。
「どれどれ」
と、道三は格子ぎわへ寄った。
陽《ひ》が、街道を照りつけている。走ってゆく先触れの足に、軽塵《けいじん》が舞いあがっていた。
やがてきた。
どどどど、と、踏みとどろかせるような、常識をやぶった速い歩きかたで尾張衆がやって来、道三の眼の前を通りすぎてゆく。
中軍に信長がいる。
やがて信長がきた。
(あっ)
と、道三は格子に顔をこすりつけ、眼を見はり、声をのんだ。
(なんだ、あれは)
馬上の信長は、うわさどおり、髪を茶筅髷《ちゃせんまげ》にむすび、はでな萌《もえ》黄《ぎ》のひもでまげを巻きたて、衣服はなんと浴衣《ゆかたびら》を着、その片袖《かたそで》をはずし、大小は横ざまにぶちこみ、鞘《さや》はのし《・・》付でそこはみごとだが、そのツカは、縄《なわ》で巻いている。
腰まわりにも縄をぐるぐると巻き、そこに瓢箪《ひょうたん》やら袋やらを七つ八つぶらさげ、袴《はかま》はこれも思いきったもので虎皮《とらがわ》、豹皮《ひょうがわ》を縫いまぜた半《はん》袴《こ》である。すそから、ながい足がにゅっとむき出ている。
狂人のいでたちだった。
それよりも道三のどぎも《・・・》をぬいたのは、信長の浴衣の背だった。背に、極彩色の大きな男根がえがかれているのである。
「うっ」
と、道空が笑いをこらえた。他の供の連中も、土間に顔をすりつけるようにして笑いをこらえている。
(なんという馬鹿だ)
と道三はおもったが、気になるのはその馬鹿がひきいている軍隊だった。信秀のころとは、装備が一変していた。第一、足軽槍《あしがるやり》がぐんと長くなり、ことごとく三間《さんげん》柄《え》で、ことごとく朱に塗られている。それが五百本。弓、鉄砲が五百挺《ちょう》。弓はいい。鉄砲である。この新兵器の数を、これほど多く装備しているのは、天下ひろしといえどもこの馬鹿だけではないか。
(いつ、あれほどそろえた)
しらずしらず、道三の眼が燃えはじめた。鉄砲の生産量が、それほどでもないころである。その実用性を疑問に思っている武将も多い。そのとき、この馬鹿は、平然とこれだけの鉄砲をそろえているのである。
(荏胡麻がほろび菜種の世になるのかな)
と、ふと道三はそんなことをおもった。
「殿、お早く、裏木戸のほうへ」
と、堀田道空が笑いをこらえながら、道三を裏口のほうへ案内した。
みな、畑道を走った。裏まわりで聖徳寺の裏木戸へ駈けぬけるのである。
北の方丈に入ると、礼装を用意していた小姓たちが待っていた。
「いや、裃《かみしも》、長袴などはいらん。おれはふだん着でよい」
と、道三は言った。相手の婿殿が猿《さる》マワシのような装束《いでたち》できているのに、舅《しゅうと》である自分が礼装をしているというのは妙なものだ、とおもったのである。
袖なし羽織に小袖の着ながし、それに扇子を一本、というかっこうで道三は本堂に出た。
座敷のすみに屏風《びょうぶ》をたてまわし、そのなかに道三はゆったりとすわった。
やがて、本堂のむこうから信長が入ってくるのを、道三は屏風のはしから見て、
(あっ)
と、顔から血がひいた。
さっきの猿マワシではない。
髪をつややかに結いあげて折髷《おりまげ》にし、褐色《かちん》の長袖に長袴をはき、小《ちい》さ刀《がたな》を前半《まえはん》にぴたりと帯び、みごとな若殿ぶりであらわれ、袴をゆうゆうとさばきつつ縁を渡り、やがてほどよいあたりをえらんですわり、すね者めかしく柱に背をもたせかけた。
顔を心もち上にむけている。
 平服の道三はみじめだった。やむなく屏風のかげから這《は》い出てきて、座敷に着座した。
が、信長はそれを無視し、そっぽをむき、鼻さきを上にあげ、扇子をぱちぱち開閉させている。
「か、上総介《かずさのすけ》さま」
と堀田道空がたまりかねて信長のそばへにじり寄り、
「あれにわたらせられるのは、山城入道《やましろにゅうどう》でござりまする」
と注意すると、
「デアルカ」
と、信長はうなずいた。このデアルカがよほど印象的だったらしく、諸旧記がつたえている。
信長はゆっくりと立ち、敷居をまたぎ、道三の前へゆき、
「上総介でござる」
と尋常にあいさつし、自分の座についた。
道三と信長の座は、ざっと二十歩ばかりの間隔があったであろう。たがいに小声では話しあえない距離がある。
ふたりは、無言でいた。
信長は例によってやや眉《まゆ》のあたりに憂鬱《ゆううつ》な翳《かげ》をもち、無表情でいる。
道三は、不快げであった。この馬鹿にふりまわされて平服で着座している自分が、たまらなくみじめだったのであろう。
やがて湯漬けの膳《ぜん》が運ばれてきた。
寺の衆が、膳を進める。
ふたりは、無言で箸《はし》をとった。無言のままで食べ、ついにひとこともしゃべらず、たがいに箸を置いた。
そのまま、別れた。
 道三は帰路、妙に疲れた。
途中、茜部《あかなべ》という部落があり、そこに茜部明神という社祠《やしろ》がある。その神主の屋敷で休息したとき、
「兵助《ひょうすけ》よ」
と、よんだ。
猪《いの》子《こ》兵助である。道三の侍大将のひとりで、近国に名のひびいた男であった。のち、信長、秀吉につかえた。余談だがこの家系は家康にもつかえ、旗本になっている。
「兵助、そちは眼がある。婿殿をどう思うぞ」
と、きいた。
兵助は、小首をひねった。
「申したくは存じまするが、殿の婿殿でありまするゆえ、はばかられまする」
と、そばの道空をかえり見、
「道空殿より申されませ」
といった。道空は膝《ひざ》をすすめ、
「まことに殿にとって御祝着《ごしゅうちゃく》なことで」
といった。
祝着、という言葉で、みなどっと笑った。美濃にとってもうけものだ、というのである。
「兵助も、道空とおなじか」
と道三がかさねてきくと、兵助ほどの男がひょうきんなしぐさで、
「はい、まことにおめでたく存じまする」
といった。
道三だけは笑わない。憂鬱そうな顔でいる。
「殿の御鑑定はいかがで」
と道空がいうと、扇子を投げ出し、
「めでたいのは、そのほうどもの頭よ。やがておれの子等は、あのたわけ《・・・》殿の門前に馬をつなぐことだろう」
といった。馬をつなぐとは、軍門にくだって家来になる、という意味である。
道三は夜ふけに帰城し、寝所にも入らず、燈火をひきよせ、すぐ信長へ手紙をかいた。
「よい婿殿をもって仕合せに思っている」
という旨《むね》の通りいっぺんの文章にするつもりだったが、書くうちに変に情熱が乗りうつってきて、思わぬ手紙になった。
「あなたを、わが子よりも愛《いと》しく思った」
とか、
「帰館してすぐ手紙をかくというのも妙だが、書きたくなる気持をおさえかねた」
とか、
「わしはすでに老いている。これ以上の望みはあっても、もはやかなえられぬ。あなたを見て、若いころのわしをおもった。さればわしが半生かかって得た体験、智恵、軍略の勘どころなどを、夜をこめてでも語りつくしたい」
とか、
「尾張は半国以上が織田家とはいえ、その鎮定が大変であろう。兵が足りねば美濃へ申し越されよ。いつなりとも即刻、お貸し申そう。あなたに対して、わしにできるだけのことを尽したい気持でいっぱいである」
とかいう、日ごろ沈《ちん》毅《き》な道三としては、あられもない手紙だった。
自分の人生は暮れようとしている。青雲のころから抱いてきた野望のなかばも遂げられそうにない。それを次代にゆずりたい、というのが、この老雄の感傷といっていい。
老工匠に似ている。この男は、半生、権謀術数にとり憑《つ》かれてきた。権力慾というよりも、芸術的な表現慾といったほうが、この男のばあい、あてはまっている。その「芸」だけが完成し作品が未完成のまま、肉体が老いてしまった。それを信長に継がせたい、とこの男は、なんと、筆さきをふるわせながら書いている。
 信長は帰城し、例の男根の浴衣《ゆかたびら》をぬぎすて、湯殿に入った。
出てきて酒をもって来させ、三杯、立ったままであおると、濃姫の部屋に入った。
「蝮《まむし》に会ってきたぞ」
と、いった。
「いかがでございました」
「思ったとおりのやつであった。あらためて干し豆などをかじりながら、ゆっくり話をさせてみたいやつであったわ」
「それはよろしゅうございました」
と、濃姫は笑った。言いかたこそ妙だが、これは信長にとって最大の讃《さん》辞《じ》なのだということが、濃姫にはわかっている。
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