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国盗り物語72

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:清《きよ》洲《す》攻略 隣国の道三は、妙に厚情を示しはじめた。信長に、である。しばしば自筆の手紙がおくられてきたり、物品
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清《きよ》洲《す》攻略

 隣国の道三は、妙に厚情を示しはじめた。
信長に、である。しばしば自筆の手紙がおくられてきたり、物品がとどいたりした。
はじめは信長も、
「蝮め、薄気味がわるい」
とつぶやいていたが、だんだん道三の愛情を疑わぬようになった。
(あの爺《じじ》イ、本気らしい)
とおもうようになったのは、道三から新工夫の雑兵《ぞうひょう》(足軽)用の簡易具足が一領《りょう》おくられてきたときである。
鉄砲の出現で、中世式の鎧兜《よろいかぶと》がすたれ、当世具足とよばれるものが流行している。
軍のたてまえも、侍の騎兵戦から、足軽の歩兵戦にうつった。鉄砲組、弓組、槍《やり》組の三つの兵科の足軽兵が、密集部隊となって敵と衝突する時代になった。
こまるのは、その足軽の肉体をまもる官給の具足である。むかし革で縅《おど》した程度の腹巻では、すぽりと鉄砲玉をとおしてしまう。
足軽が大量に死ねば、軍の前陣はくずれ立ち、喧《けん》嘩《か》は負けになってしまう。かれらのための簡易具足の研究は、どの国のどの大名も工夫をこらした。
その簡易具足の新工夫のものを、道三は信長に送りつけてきたのである。
「よければ、織田家でもつかいなされ」
と、手紙にある。いわば軍事機密を無償でくれたことになる。
信長がその具足を手にとってみると、なるほど、おもしろい。
織田家では鉄砲出現以来、雑兵には、桶皮《おけがわ》胴《どう》といわれるものを着用させている。打ちのべにした鉄板を四、五枚鋲《びょう》でつなぎとめたもので、簡便だが屈伸の自由がない。
道三からおくられてきたそれは、鉄板を革ひもでとめ、提灯《ちょうちん》のように屈伸できるのである。道三はそれを「胴丸《どうまる》」と名づけ、侍具足にも応用していた。
信長は念のためにそれを樹《き》の枝につるし、三十間はなれて鉄砲をかまえ、
ぐわーん
と射ちとばしてみたが、胴丸には穴があかなかった。
さらに足軽ひとりをよび、それを着せ、槍をもたせ、白洲をとんだりはねたりさせた。
「どうだ」
ときくと、「ぐあいがよろしゅうございまする」という。
そこで信長は、城下でそれとおなじものを五十領つくらせた。
それを五十人の足軽に着せ、他の五十人の足軽にはいままでの桶皮胴を着せ、棒たたきの試合をさせたところ、たちまち運動の軽快な胴丸のほうが勝った。
そこでやっと信長は、
(蝮めはよいものをくれたわい)
とおもった。性格なのであろう、万事、執念ぶかいほどにこの男は実証的だった。
実証のすえ、蝮の好意を感じた。
(蝮に野心があれば、こういうものはくれまい)
とおもうのだ。蝮は若いころ、美濃守護職土岐頼芸《よりよし》の位置をうばうために、京から女をつれてきてはあてがい、酒池肉林にのめりこませて性根をうばい、目的を達している。
が、信長には武具を贈っているのだ。しかも、大名道具の名刀などは贈らず、織田軍団を強化する新工夫の武具を、である。
(あいつ、おれがすきだな)
とおもうようになった。
この狂児を理解してくれた者は、亡父の信秀しかいない。自害した「爺《じ》ィ」の平手政秀はこの、万人に毛ぎらいされていた若者に愛情をもってくれた唯一《ゆいいつ》の人物だった。しかし、政秀はついに信長という若者がわからなかった。
(どうも薄気味がわるい)
と信長がおもったのは、ひともあろうに隣国の蝮が、あられもない打ちこみようで信長を可愛がりはじめたことである。
(まさか、おれを油断させておいてぺろりと呑《の》みこむつもりではあるまいな)
という疑いは、おかしなことに、まるでもたなかった。自分の父をあれほど手こずらせた蝮を、信長は少年のころから半身のようにみてきた、といえば言いすぎだが、わりあい気に入っている。そういう感情が、疑わせなかったのかもしれない。
研究もしている。
蝮の外交、謀略、軍事、民政というものを濃姫や濃姫づきの各務《かがみ》野《の》、それに美濃からきた福富平太郎などの口からできるだけききだそうとした。
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