たった一言が、これほどの力で歴史を変えたことは例がないであろう。
「鷺山《さぎやま》のご隠居さまは、お屋形さまのご実父ではござりませぬ」
と、長井隼人佐《はやとのすけ》道利はいったのである。
だけではない。
「お屋形さまのマコトのおん父君は、先代美濃国主土岐頼芸さまでござりまするぞ」
「ま、まことか」
と、義竜は、全身の血の流れがとまり、手のさきまで真蒼《まっさお》になった。にわかには信ぜられぬ。いや、信じられることか。先代土岐頼芸は父《・》の道三によって追われた。その追放戦である大桑城《おおがじょう》攻めには、義竜は十六歳の初陣で従軍し、槍《やり》をふるって大手門からなだれ入っている。もはや喜劇といっていい。知らぬとはいえ偽父の指揮をうけて実父を国外に放逐する合戦に奮迅《ふんじん》のはたらきをしてしまった。
「信じられぬ」
と、ぼう然とした。
が、頬《ほお》に血の気がさしはじめるとともに、徐々に思考力が回復してきた。そういえば思いあたるふしが多い。父《・》道三が、数ある子のなかで自分のみにつめたい、ということが、なによりの証拠ではないか。それに、風聞によれば道三は自分を廃嫡《はいちゃく》して弟の孫四郎を美濃国主の座につけようとしているという。
「隼人佐、念をおす。この一件、まことであろうな」
「手前のみが申しておるのではござりませぬ。美濃国中で、知らぬはお屋形さまのみ、と申してもよき公然たる秘事でござりまする」
「事実ならば、鷺山殿は父どころか、実父の仇《かたき》ではないか。そうなる」
「左様」
とはいわず、密告者の長井道利は事の重大さに小さな肩をふるわせて平伏している。
「隼人佐、そうであろう」
「は、はい。左様に相成りまするようで」
「隼人佐、父の仇ならば子として討たねばならぬぞ、鷺山殿を。——」
と、義竜は言い、おもわずそう口に出してしまってから、自分の言葉の重大さに気づき、目をみはり、唇《くちびる》を垂れ、ふたたびわなわなと慄《ふる》えはじめた。
「さ、さようで」
と、長井道利もはげしくふるえた。
「仇討」
と義竜はつぶやいた。こういう場合、言葉は魔性を帯びるものらしい。義竜の内部は平衡をうしなっている。その崩れをかろうじて食いとめて自分のなかに別な統一を誕生させるにはよほど電磁性のつよい言葉をまさぐる必要があった。
仇討である。
これ以外に、すでにひきさかれてしまった過去の義竜をすくう道はない。でなければ義竜はこの場の戦慄《せんりつ》とおどろきを永久につづけていなければならないであろう。
「仇討。——」
ともう一度つぶやいたとき、よくきくまじ《・・》ない《・・》を得たように義竜のふるえはとまった。
「やるかな」
と、この男はいつものねむそうな、にぶい表情にもどり、自分に言いきかせるようにそうつぶやいた。
「ただしお屋形さま」
と、長井道利はまだふるえている。この男は、密告者《・・・》としての自分の責任をなんとか軽くしたかった。
「なんぞ」
「お屋形さまが頼芸様の御子か道三様の御子か、それを存じておられまするのは天地にただひとりしかおわしませぬ。川《かわ》手《で》の正法寺でお髪《ぐし》を切って尼《あま》御前《ごぜ》におなりあそばされておりまする御生母深《み》芳《よし》野《の》さまにこそ、その実否をおたずねあそばさるべきでござりましょう」
「ふむ」
と、義竜はうなずき、
「しかし隼人佐。母者《ははじゃ》が、いかにもそうである、と申されたあかつきはいかがする」
「……それは」
と、長井道利が畳を見つめながらいった。
「お屋形さまがお決めあそばすことでござりましょう」
「おう、わしが決めるわさ」
義竜はそのまま座を立ち、わずかな供まわりをつれ、稲葉山城を出て、川手の正法寺にむかった。
「鷺山《さぎやま》のご隠居さまは、お屋形さまのご実父ではござりませぬ」
と、長井隼人佐《はやとのすけ》道利はいったのである。
だけではない。
「お屋形さまのマコトのおん父君は、先代美濃国主土岐頼芸さまでござりまするぞ」
「ま、まことか」
と、義竜は、全身の血の流れがとまり、手のさきまで真蒼《まっさお》になった。にわかには信ぜられぬ。いや、信じられることか。先代土岐頼芸は父《・》の道三によって追われた。その追放戦である大桑城《おおがじょう》攻めには、義竜は十六歳の初陣で従軍し、槍《やり》をふるって大手門からなだれ入っている。もはや喜劇といっていい。知らぬとはいえ偽父の指揮をうけて実父を国外に放逐する合戦に奮迅《ふんじん》のはたらきをしてしまった。
「信じられぬ」
と、ぼう然とした。
が、頬《ほお》に血の気がさしはじめるとともに、徐々に思考力が回復してきた。そういえば思いあたるふしが多い。父《・》道三が、数ある子のなかで自分のみにつめたい、ということが、なによりの証拠ではないか。それに、風聞によれば道三は自分を廃嫡《はいちゃく》して弟の孫四郎を美濃国主の座につけようとしているという。
「隼人佐、念をおす。この一件、まことであろうな」
「手前のみが申しておるのではござりませぬ。美濃国中で、知らぬはお屋形さまのみ、と申してもよき公然たる秘事でござりまする」
「事実ならば、鷺山殿は父どころか、実父の仇《かたき》ではないか。そうなる」
「左様」
とはいわず、密告者の長井道利は事の重大さに小さな肩をふるわせて平伏している。
「隼人佐、そうであろう」
「は、はい。左様に相成りまするようで」
「隼人佐、父の仇ならば子として討たねばならぬぞ、鷺山殿を。——」
と、義竜は言い、おもわずそう口に出してしまってから、自分の言葉の重大さに気づき、目をみはり、唇《くちびる》を垂れ、ふたたびわなわなと慄《ふる》えはじめた。
「さ、さようで」
と、長井道利もはげしくふるえた。
「仇討」
と義竜はつぶやいた。こういう場合、言葉は魔性を帯びるものらしい。義竜の内部は平衡をうしなっている。その崩れをかろうじて食いとめて自分のなかに別な統一を誕生させるにはよほど電磁性のつよい言葉をまさぐる必要があった。
仇討である。
これ以外に、すでにひきさかれてしまった過去の義竜をすくう道はない。でなければ義竜はこの場の戦慄《せんりつ》とおどろきを永久につづけていなければならないであろう。
「仇討。——」
ともう一度つぶやいたとき、よくきくまじ《・・》ない《・・》を得たように義竜のふるえはとまった。
「やるかな」
と、この男はいつものねむそうな、にぶい表情にもどり、自分に言いきかせるようにそうつぶやいた。
「ただしお屋形さま」
と、長井道利はまだふるえている。この男は、密告者《・・・》としての自分の責任をなんとか軽くしたかった。
「なんぞ」
「お屋形さまが頼芸様の御子か道三様の御子か、それを存じておられまするのは天地にただひとりしかおわしませぬ。川《かわ》手《で》の正法寺でお髪《ぐし》を切って尼《あま》御前《ごぜ》におなりあそばされておりまする御生母深《み》芳《よし》野《の》さまにこそ、その実否をおたずねあそばさるべきでござりましょう」
「ふむ」
と、義竜はうなずき、
「しかし隼人佐。母者《ははじゃ》が、いかにもそうである、と申されたあかつきはいかがする」
「……それは」
と、長井道利が畳を見つめながらいった。
「お屋形さまがお決めあそばすことでござりましょう」
「おう、わしが決めるわさ」
義竜はそのまま座を立ち、わずかな供まわりをつれ、稲葉山城を出て、川手の正法寺にむかった。
深芳野は、庭前の楓《かえで》から紅葉《もみじ》一枝を剪《き》り、仏前にそなえていたときに、義竜の不意の訪問をうけた。
すぐ座をもうけ、下座にすわった。
「母者人《ははじゃびと》」
と、義竜は上座からそういうよびかたをした。美濃の国母は、道三の正妻であった明《あけ》智《ち》氏小見《おみ》の方《かた》である。小見の方は先年病死していまは亡《な》い。いずれにしても、生涯《しょうがい》、道三の側室の位置しかあたえられなかった深芳野の位置はこの国では高いものではない。現国主の義竜がその腹から出た、ということで、俗体のころはお方様とよばれ、剃髪《ていはつ》後は、かろうじて正法寺のなかの持是《じぜ》院《いん》に住むことをゆるされている程度である。
「なんでございましょう」
と、深芳野は小さな声でいった。
「人ばらいつかまつる」
と義竜は言い、自分の家来や深芳野のまわりの者をしりぞけ、そのあと上座からくだり深芳野のそばへゆき、その膝《ひざ》に手をおいた。
「真実をおきかせねがいたいことがござる。それがしは道三殿の胤《たね》ではござらぬな」
「えっ」
深芳野の目が、瞬《またた》かなくなった。義竜を凝視した。やがて目を伏せ、つとめて表情をかくそうとしている様子だったが、内心がはげしく動揺していることは、膝の上の手のわななきでわかった。
「ま、まことでござったか。……」
と、義竜が叫ぶようにいうと、深芳野はとっさに目をあげた。
「申せませぬ」
と、低い声でいった。義竜はそういう母を憐《あわ》れむようにうなずき、深芳野の肩に手を置き、
「母者人、子として母のむかしの淫《いん》事《じ》をきくのがつらい。しかしいまはきかねばならぬ。母者人はもともと頼芸殿の側室であられたげな。その胤をやどしたまま、道三に奪いとられたげな。これはまちがいござるまい。それがしは、歴《れき》とした筋よりきいた」
義竜はすでに道三、とよびすてにしている。
「道三は、母者をむごい目にあわせた。正室にもせず、明智から小見殿をむかえて母者を側室のままに据えおいた。母者にとっても道三は呪《のろ》うべき男でござるぞ」
「お屋形様には男女のことなどおわかりになりませぬ」
「いつわりを申されるな。母者が若くして世をはかなみ、かようなお姿になられたのも道三に対するつらあてのお気持があってのことでござろう。そのお気持は、義竜は子なればこそわかっています」
と義竜がいったとき、深芳野は不意に袖《そで》をあげて顔に押しあてた。泣いている。
「さ、申してくだされ。義竜はさきの美濃守護職土岐頼芸の子であると」
と、義竜は生母の顔をのぞきこんだ。
深芳野の歔《きょ》欷《き》は深くなっている。そのほそいうなじ《・・・》のふるえは、子の目からみても異常に女くさい。義竜は生母に奇妙ななまなましさを感じ、異臭を嗅《か》いだような不快感がつきあげてきた。
「おんな。——」
と叫びたい衝動を義竜はおさえかねているようであったが、やがて目をそむけた。が、自分を生んだ女体はいよいよ歔欷をつづけてやまない。
義竜は、気長に深芳野の返事を待った。そのひとことで、道三こと若き日の通称庄九郎が美濃で営々として築きあげた権力という芸術作品は一挙に崩れ去るであろう。それも、庄九郎こと道三が、およそたか《・・》をくくって平然と不幸におとし入れたひとりの非力の女からである。
義竜はなおも生母の唇の動く瞬間を待ちつづけたが、深芳野の沈黙はそれ以上につづこうとした。義竜はついにたまりかねた。
「母者。答えてくださらねばそれでもよい。義竜は、そう信ずるのみです。わしの父君は鷺山城にある斎藤山城入道道三にはあらず、さきの美濃守護職、土岐源氏の嫡流、美濃守頼芸殿であることを。——」
「お屋形さま」
と、深芳野はやっと顔をあげた。
「そうとすれば、あなたさまはどうなさるのです」
「義竜は男でござる。男としてのとるべき道をゆくのみだ」
といって、座を立った。廊下に出、障子をしめ、一瞬その場に立ちどまって内部の気配をうかがったが、深芳野はなお泣きくずれているようであった。
義竜は濡《ぬ》れ縁を蹴《け》り、巨《きょ》躯《く》を宙にとばし、庭におり立った。そうする必要もないことだが、なにかしら、そうとでもしなければ自分を鎮《しず》めがたいものがあったのであろう。
鷺山の道三は、むろんそういうことは知らない。この男は、
——義竜を廃嫡する。
とは言明したことがない。お勝の仇討事件で日ごろの義竜への感情がなるほど募りはしたが、廃嫡、とまでは真底から考えているわけではなかった。正直なところ、廃嫡して事を荒だてるには、道三は年をとりすぎていた。
おだやかな毎日がほしい。
そういう慾望のほうがつよくなっている。すでに働き者の権謀家のかげがうすれ、平和をこのむ怠惰な老年をむかえようとしていた。
——それに。
道三にとって大事なことは義竜などは愚人でしかなかった。孫四郎以下の実子も、義竜に輪をかけたほどの不器量人である。変えたところで変えばえもしない。また義竜をその位置にすえておいたところで、あの年若い肥大漢になにほどのことができよう。
深芳野という、義竜の出生の秘密を知っている者がいる、ということも、ついぞ道三は考えたことがなかった。深芳野という女は、かつてその体を愛し、それをさまざまに利用した。道三の美濃における慾望の構築に、ある時期はそれなりの役に立った。その効用はおわった。効用のおわった深芳野は、尼になって川手の寺で世を捨てている。それだけのことである。その深芳野が、わが子の義竜に無言の告白をし、そのために義竜の心に思わぬ火がつく、というような珍事は、道三は空想にもおもったことがない。自分以外の者は、すべて無能でお人好しで自分に利用されるがためにのみ地上に存在していると思いこむ習慣を、この老いた英雄はもちすぎていた。
義竜が重病に陥《お》ちた。——
と、いうことをきいたときも、である。それを意外とも奇妙とも思わなかった。
(義竜が? あの化けものは巨《おお》きすぎた。巨きすぎるのは体のどこかにむりがあるということだ。そのむりが、裂け目をひらいた。死ぬかもしれぬ)
と、おもっただけである。義竜が死ぬ、ということで、実子の孫四郎をその跡目に立てるということも道三はしなかった。義竜には竜興《たつおき》という子がある。ごく当然のこととしてその竜興に継がせるつもりであった。されば道三の血統はついに美濃を継がなくなる。それでもよいわさ、というあきらめが、この男にはあった。無能の人間を跡目につければやがてはその無能のゆえにほろぶ、ということをこの老人は身をもって知りぬいてきている。
(どっちにしろ、おれ亡きあとは尾張の婿《むこ》どのが美濃を併呑《へいどん》してしまうにちがいない。あの若者はきっとやる。それだけの天分をもってうまれている。おれが営々ときずきあげた美濃一国は、あの者がふとってゆくこやしになるだけだろう。それはそれでよい)
と、道三はおもっている。こういういわばおそるべき諦観《ていかん》と虚無のなかにいる道三が、たかが義竜ごとき者の一挙手一投足にうたがいの視線をむける努力をはらわなかったのも、当然といえるであろう。
——義竜を廃嫡する。
とは言明したことがない。お勝の仇討事件で日ごろの義竜への感情がなるほど募りはしたが、廃嫡、とまでは真底から考えているわけではなかった。正直なところ、廃嫡して事を荒だてるには、道三は年をとりすぎていた。
おだやかな毎日がほしい。
そういう慾望のほうがつよくなっている。すでに働き者の権謀家のかげがうすれ、平和をこのむ怠惰な老年をむかえようとしていた。
——それに。
道三にとって大事なことは義竜などは愚人でしかなかった。孫四郎以下の実子も、義竜に輪をかけたほどの不器量人である。変えたところで変えばえもしない。また義竜をその位置にすえておいたところで、あの年若い肥大漢になにほどのことができよう。
深芳野という、義竜の出生の秘密を知っている者がいる、ということも、ついぞ道三は考えたことがなかった。深芳野という女は、かつてその体を愛し、それをさまざまに利用した。道三の美濃における慾望の構築に、ある時期はそれなりの役に立った。その効用はおわった。効用のおわった深芳野は、尼になって川手の寺で世を捨てている。それだけのことである。その深芳野が、わが子の義竜に無言の告白をし、そのために義竜の心に思わぬ火がつく、というような珍事は、道三は空想にもおもったことがない。自分以外の者は、すべて無能でお人好しで自分に利用されるがためにのみ地上に存在していると思いこむ習慣を、この老いた英雄はもちすぎていた。
義竜が重病に陥《お》ちた。——
と、いうことをきいたときも、である。それを意外とも奇妙とも思わなかった。
(義竜が? あの化けものは巨《おお》きすぎた。巨きすぎるのは体のどこかにむりがあるということだ。そのむりが、裂け目をひらいた。死ぬかもしれぬ)
と、おもっただけである。義竜が死ぬ、ということで、実子の孫四郎をその跡目に立てるということも道三はしなかった。義竜には竜興《たつおき》という子がある。ごく当然のこととしてその竜興に継がせるつもりであった。されば道三の血統はついに美濃を継がなくなる。それでもよいわさ、というあきらめが、この男にはあった。無能の人間を跡目につければやがてはその無能のゆえにほろぶ、ということをこの老人は身をもって知りぬいてきている。
(どっちにしろ、おれ亡きあとは尾張の婿《むこ》どのが美濃を併呑《へいどん》してしまうにちがいない。あの若者はきっとやる。それだけの天分をもってうまれている。おれが営々ときずきあげた美濃一国は、あの者がふとってゆくこやしになるだけだろう。それはそれでよい)
と、道三はおもっている。こういういわばおそるべき諦観《ていかん》と虚無のなかにいる道三が、たかが義竜ごとき者の一挙手一投足にうたがいの視線をむける努力をはらわなかったのも、当然といえるであろう。
義竜の病状は、日一日と悪化しているらしい。すでに国中のうわさになっている。
その義竜から、使者として日根《ひね》野備中守《のびっちゅうのかみ》という侍臣が、鷺山城へやってきたのは弘治元年の十月なかばである。
「おそれながら稲葉山のお屋形さまの御《み》病状《けしき》はかようでござりまする」
と日根野備中守はのべ、すでに命旦夕《めいたんせき》にせまっている、といった。
「それほどに悪いか」
と、道三は正直におどろき、さすがに義竜が不《ふ》憫《びん》になってきた。
「不《ふ》日《じつ》、日をえらんで見舞うて進ぜるゆえ、気をたしかに持ち、病いに負けるなと申しつたえよ」
といった。
「左様に申しつたえまするでござりまする」
と平伏した使者日根野備中守は、すでに義竜からクーデターの秘謀をうちあけられており、むろん「命旦夕」の病態が仮病《けびょう》であることも知りぬいている。
日根野は、道三の前を退出してから、道三の実子孫四郎と喜平次にも拝謁《はいえつ》し、病状をのべ、かつ兄義竜からの伝言をつたえた。
自分の病態はもはやあすも知れぬ。命のあるうちに今生《こんじょう》の別れをつげたい。
というのが伝言である。孫四郎と喜平次は、
「兄上としてはそうもあろう。すぐゆく」
と支度をし、日根野備中守の人数に警固されながら稲葉山城に登城した。むろん、孫四郎・喜平次は、義竜を実の兄とおもっている。
義竜は病床にいた。
ふつうの二倍ほどもあるしとね《・・・》に臥《ふ》し、枕《まくら》からわずかに頭をあげ、
「よう来て賜《たも》ったな」
と、かぼそい声でいった。道三があほう《・・・》あつかいにしているこの巨人も、一世一代の重大事をやる前だけにその演技は真にせまっている。
「孫四郎、わしの子はまだおさない。わしの身が儚《はかな》くなれば、この家と国はそなたが継いでくれるか」
と、心にもないことを問うた。
孫四郎は、白い顔に意外な色をうかべ、
「父上は左様には申されませぬ。そなたは不器量者ゆえ武士にはなるな、武士で無能なるは身をほろぼすもとぞ、学問でもするか、それとも出家なとせよ、とのみ申されておりまする。されば孫四郎は命がおしゅうございますゆえ、将来《すえ》は武士にはなりませぬ」
と、いったから義竜は目をみはり、心中、勝手がちがう、とつぶやいたが、しかし事は進んでいる。計画どおりに進めるしかない、とおもい、表情をいっそうにぶくして、
「過去《こしかた》のことなども語りあいたい。一両日、城にとまって話の相手になってくれぬか」
「はい」
と、次弟の喜平次も元気よく答えた。
「そのつもりで参りましたゆえ、なにくれとお話しして兄上をお慰めしとうございます」
「それはよかった」
と、義竜はひどく疲れたふりをして目をつぶった。それを合図に、孫四郎・喜平次は病室を退出し、別室で休息した。
接待役は、日根野備中守兄弟である。酒肴《しゅこう》を出し、まだ元服のすまぬ喜平次のためにあまい菓子などもすすめた。
その夜は、城内で寝た。
夜中、日根野備中守は義竜の病室に入り、そのしとね《・・・》ぎわまで進み寄り、
「おやすみなされてござりまする」
と報告した。
日根野備中守としては、まだ大人にもならぬふたりの御曹《おんぞう》司《し》に不《ふ》憫《びん》を感じているが、主命とあればやむをえない。ただ、その主命に変りはないか、念を押しにきたのである。
「いかがつかまつりましょう」
と、きいた。が、表情のにぶい義竜はわずかに眼をひらいただけであった。
「命じたるとおりになせ」
とのみ言い、反転して屏風《びょうぶ》のほうに寝返った。備中守には表情をうかがうこともできなかった。備中守は廊下へ出た。
その弟が待っていた。
目顔で報《し》らせ、ふたりでかねて装束を用意している部屋に入った。そこに、日根野家の家来五人がいる。やがて主従ともに小《こ》袖《そで》、野《の》袴《ばかま》にきかえ、袴のすそはひもでくくり、黒布で顔をつつみ、廊下へ出た。
疾風のように走り、それぞれ手分けして孫四郎・喜平次の寝室へなだれこんだ。
「上意でござる」
と、備中守はさけぶや、その叫びの下をかいくぐって家来が走り、孫四郎の心臓を夜具の上から刺しつらぬいた。
喜平次もおなじ経緯で絶命した。
その義竜から、使者として日根《ひね》野備中守《のびっちゅうのかみ》という侍臣が、鷺山城へやってきたのは弘治元年の十月なかばである。
「おそれながら稲葉山のお屋形さまの御《み》病状《けしき》はかようでござりまする」
と日根野備中守はのべ、すでに命旦夕《めいたんせき》にせまっている、といった。
「それほどに悪いか」
と、道三は正直におどろき、さすがに義竜が不《ふ》憫《びん》になってきた。
「不《ふ》日《じつ》、日をえらんで見舞うて進ぜるゆえ、気をたしかに持ち、病いに負けるなと申しつたえよ」
といった。
「左様に申しつたえまするでござりまする」
と平伏した使者日根野備中守は、すでに義竜からクーデターの秘謀をうちあけられており、むろん「命旦夕」の病態が仮病《けびょう》であることも知りぬいている。
日根野は、道三の前を退出してから、道三の実子孫四郎と喜平次にも拝謁《はいえつ》し、病状をのべ、かつ兄義竜からの伝言をつたえた。
自分の病態はもはやあすも知れぬ。命のあるうちに今生《こんじょう》の別れをつげたい。
というのが伝言である。孫四郎と喜平次は、
「兄上としてはそうもあろう。すぐゆく」
と支度をし、日根野備中守の人数に警固されながら稲葉山城に登城した。むろん、孫四郎・喜平次は、義竜を実の兄とおもっている。
義竜は病床にいた。
ふつうの二倍ほどもあるしとね《・・・》に臥《ふ》し、枕《まくら》からわずかに頭をあげ、
「よう来て賜《たも》ったな」
と、かぼそい声でいった。道三があほう《・・・》あつかいにしているこの巨人も、一世一代の重大事をやる前だけにその演技は真にせまっている。
「孫四郎、わしの子はまだおさない。わしの身が儚《はかな》くなれば、この家と国はそなたが継いでくれるか」
と、心にもないことを問うた。
孫四郎は、白い顔に意外な色をうかべ、
「父上は左様には申されませぬ。そなたは不器量者ゆえ武士にはなるな、武士で無能なるは身をほろぼすもとぞ、学問でもするか、それとも出家なとせよ、とのみ申されておりまする。されば孫四郎は命がおしゅうございますゆえ、将来《すえ》は武士にはなりませぬ」
と、いったから義竜は目をみはり、心中、勝手がちがう、とつぶやいたが、しかし事は進んでいる。計画どおりに進めるしかない、とおもい、表情をいっそうにぶくして、
「過去《こしかた》のことなども語りあいたい。一両日、城にとまって話の相手になってくれぬか」
「はい」
と、次弟の喜平次も元気よく答えた。
「そのつもりで参りましたゆえ、なにくれとお話しして兄上をお慰めしとうございます」
「それはよかった」
と、義竜はひどく疲れたふりをして目をつぶった。それを合図に、孫四郎・喜平次は病室を退出し、別室で休息した。
接待役は、日根野備中守兄弟である。酒肴《しゅこう》を出し、まだ元服のすまぬ喜平次のためにあまい菓子などもすすめた。
その夜は、城内で寝た。
夜中、日根野備中守は義竜の病室に入り、そのしとね《・・・》ぎわまで進み寄り、
「おやすみなされてござりまする」
と報告した。
日根野備中守としては、まだ大人にもならぬふたりの御曹《おんぞう》司《し》に不《ふ》憫《びん》を感じているが、主命とあればやむをえない。ただ、その主命に変りはないか、念を押しにきたのである。
「いかがつかまつりましょう」
と、きいた。が、表情のにぶい義竜はわずかに眼をひらいただけであった。
「命じたるとおりになせ」
とのみ言い、反転して屏風《びょうぶ》のほうに寝返った。備中守には表情をうかがうこともできなかった。備中守は廊下へ出た。
その弟が待っていた。
目顔で報《し》らせ、ふたりでかねて装束を用意している部屋に入った。そこに、日根野家の家来五人がいる。やがて主従ともに小《こ》袖《そで》、野《の》袴《ばかま》にきかえ、袴のすそはひもでくくり、黒布で顔をつつみ、廊下へ出た。
疾風のように走り、それぞれ手分けして孫四郎・喜平次の寝室へなだれこんだ。
「上意でござる」
と、備中守はさけぶや、その叫びの下をかいくぐって家来が走り、孫四郎の心臓を夜具の上から刺しつらぬいた。
喜平次もおなじ経緯で絶命した。