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国盗り物語81

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:お万阿《まあ》の庵《いお》 道三の死を京のお万阿が知ったのは、この年の初夏であった。 報告者は、赤兵衛である。赤兵衛は、
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お万阿《まあ》の庵《いお》

 道三の死を京のお万阿が知ったのは、この年の初夏であった。
 報告者は、赤兵衛である。
赤兵衛は、道三の晩年にも年に何度かは美濃と京を往復し、道三の手紙をとどけたり、金銀を持って行ってやったりしていた。
なぜか道三は北野の山中で赤兵衛とわかれるとき、
「お万阿にわが死を報《し》らせよ」
と、いうことだけはいわなかった。どういうわけであろう、赤兵衛にはいつもながら道三という男の気持がつかみにくい。
赤兵衛は、道三から託された二人の遺児を連れ、美濃を脱出し、とにもかくにも京へのぼり、妙覚寺本山のなかの塔頭《たっちゅう》に宿をとって、数日、鳴りをひそめて京にあつまる風聞に耳を立てているうちに、はたして美濃の政変がきこえてきた。
「斎藤山城入道道三殿は長良川畔で土岐義竜と決戦し、奮戦のすえ相果てた」
ということであった。
(はたして、そうであったか)
なおも赤兵衛は一《いち》縷《る》ののぞみを捨てきれずにいただけに、齢《よわい》が十も老《ふ》け果てるほどに落胆した。京の風聞によると、尾張の織田信長は救援におもむくべく美濃へ乱入したが、途中、美濃兵に扼《やく》され、ついに戦場に到着できなかったという。
(そこはたわけ《・・・》大将だ。元気はよくても、智恵も力もなかったのであろう)
赤兵衛には、信長のそういう不甲斐《ふがい》なさが腹だたしく思われたが、いまやなにを言っても詮《せん》がない。こうなれば、道三から託されたとおり、ふたりの少年を妙覚寺本山に入れ、僧にすることだけであった。
「山城入道様の御遺言でござれば」
と頼み入ると、道三の生前、しばしば土地の寄進などを受けていた妙覚寺ではそれを快諾し、師匠をえらび、ゆくゆく得《とく》度《ど》せしむべく寺の稚児《ちご》とした。
同時に赤兵衛の晩年も、この日から出発した。この男だけが俗体でいるわけにはいかないから、二人の若殿が稚児になる日に頭をまるめ、墨染の衣をまとい、俄《にわ》か道心になり、稚児たちの従者として後半生に入った。
僧になった翌日、赤兵衛は、京の町を西へ歩き、嵯峨野《さがの》をめざした。
そこに、お万阿が住んでいる。
お万阿は、すでに油問屋の御料人ではない。七年前に店をたたみ、嵯峨の天竜寺のそばに庵《いお》をたて、尼の姿になって暮らしている。
油屋の廃業は、道三とは関係がない。近年、菜種から油をしぼりとる方法が開発されて以来、お万阿らふるい油業者が「大山崎神《じ》人《にん》」という資格によって座仲間の独占のようにして取りあつかってきた荏胡《えご》麻油《まあぶら》が、その油としての首座を安くて大量に生産できる菜種油にうばわれ、このためふるい荏胡麻油の業者は軒なみに没落した。
もっともお万阿は、没落する前に荏胡麻油の将来に見きりをつけ、店をたたみ、嵯峨野に庵をたて、田畑を買い、老後の安全を期したために、彼女自身はべつだん没落したわけではなく、あいかわらず尼僧ながらも贅沢《ぜいたく》な暮らしを送っていて、
「嵯峨野の妙鴦《みょうおう》さま」
といえば、お国《くに》歌舞伎《かぶき》などを庵によんで興行させるほどに派手ずきな尼さまとして洛中《らくちゅう》洛外に知られていた。
赤兵衛は、その庵をたずねた。
庵とはいっても、まわりに堂々たる練塀《ねりべい》をめぐらし、小さいながらも四脚門をあけ、なかに入ると、使用人のための住居が二棟《ふたむね》ばかりあり、不自由ったらしい構えではない。
赤兵衛は門を入ってまず杉丸《すぎまる》を訪ね、道三の最期などをこまごまと語った。
聞きおわると、杉丸は溜《た》め息をつき、
「やはり、うわさは本当であったのじゃな」
といった。
「うわさで聞いておったのか」
「かような京の田舎でも、洛中からの人の往《ゆ》き来があるゆえ、自然と伝わる。しかし、なにぶん不確かな風聞であるゆえ、御料人様には申しあげておらぬ」
「申しあげれば、驚かれるであろうな」
「さて、どんなものか」
杉丸は、この男の昔からの癖で、しさい《・・・》らしく小首をひねった。むりもないであろう。ここ十年、道三は京には帰って来ず、夫婦の事実上の縁は絶えたも同然になっていた。お万阿御料人は、そういう不実な、いわば奇妙すぎるほどに奇妙な道三という夫の存在について、どう思っているのであろう。
(もう、お腹だちなさる根気もなくなって、御自分は御自分というふうに割りきって暮らしていなさるのであろう)
ここ十年、杉丸はそうみていた。
「では杉丸」
と、赤兵衛はこの男の持ち前の無神経な調子でいった。
「わしから申しあげてもかまわぬな」
「はて、それはどうか」
杉丸は、困《こう》じはてた。半生、お万阿御料人が機《き》嫌《げん》よく暮らすことだけを念じて身辺につかえてきた杉丸には、ことが重大すぎて即答できるような事柄《ことがら》ではない。
「聞くが」
杉丸はいった。
「美濃の旦《だん》那《な》様が、その最期をとげられる前に、おぬしに、京の御料人様に報らせよ、と言い置きなされたか」
「おうさ、言い置きなされたぞ」
と、赤兵衛は、事の勢いでうそをついた。赤兵衛にすれば、道三がお万阿のことを言わなかったのは、言わずとも赤兵衛がそれを語りにゆくだろうと思ったからにちがいない、とそう解釈していた。
「それならばやむを得ぬ」
杉丸はお万阿にその旨《むね》を伝えたのち、赤兵衛を女主人の居間に案内し、その次室にすわらせ、閉ざされた襖《ふすま》にむかい、
「赤兵衛殿が参りましてござりまする」
と声をかけた。
居室にいるお万阿は、くずしていた膝《ひざ》を正面にむけ、右膝を立てた。
が、ふすまを開けなさい、とは言わない。しばらくだまっていたが、やがて、
「庄九郎殿の身に、異変があったのですか」
と、おびえたような声できいた。なにか、予感をもったのであろう。
「なぜご存じでございました」
「十日ばかり前、あけ方にお帰りあそばしたような気配がして、おどろいて声をかけると、そのままお消えなされた。夢だったような気もする」
「もう、討死を、あそばされましてござりまする。去月の二十日、長良川畔にて、義竜殿のために。……」
赤兵衛は手短く事情を語り、語りおわるとさすがに感きわまったのか、そのまま両掌《りょうて》で顔をおおって泣きだした。
「義竜殿とは、深《み》芳《よし》野《の》とやら申されるおなごのお腹からうまれたお人でありますな」
「は、はい。左様で」
と、赤兵衛はいったが、お万阿はふすまを閉ざしたまま、なにもいわない。
居室が静まりかえっている。
四《し》半刻《はんとき》あまりも赤兵衛はお万阿からなにか言葉がかかるとおもって、うずくまったまま待ちつづけたが、ついに咳《しわぶき》ひとつ聞こえて来ぬために、
——どうしよう。
と、いうような眼を杉丸にむけた。杉丸は悲しげな表情でうなずき、
「退《さ》がるほうがいい」
と、小声でいった。

その秋、この嵯峨野の草を踏んでお万阿の庵をたずねてきた旅の武士がある。
まだ若い。
やや栗色《くりいろ》にちかい髪をきれいに束ね、薄い眉《まゆ》の下に一重瞼《ひとえまぶた》の目が、ふかぶかと澄んでいる。一種の美男といっていい。
めだたぬこしらえの大小に、茜《あかね》の袖無《そでなし》羽《ば》織《おり》、籠《かご》目《め》の模様の入った小袖に染革《そめがわ》の裁着袴《たっつけばかま》をはき、しずかに塀《へい》ぎわを歩んできて、門前に立った。
杉丸が出て応対すると、この気品のありすぎるほどの容貌《ようぼう》をもった武士は、
「ここが、妙鴦《みょうおう》様の御《ご》庵室《あんしつ》でござるか」
と、鄭重《ていちょう》な物腰できいた。
杉丸が、左様でござりまする、と答えると、ひとめなりとも尼御前にお目にかかりたい、と武士はいう。
「して、あなた様は?」
「申し遅れました。美濃の明智の住人にて、明智十兵衛光秀と申す者」
そう名乗って、自分は故斎藤道三のつながりの者であることを明かし、道三の最期のことなどをその遺言によって伝えに参った、と申しのべた。
杉丸はその旨をお万阿に取りつぐと、ぜひお会いしたい、とお万阿はいった。
光秀は、南庭の見える一室に通され、そこでしばらく待たされた。
(おもしろい女人らしい)
と、美濃にいるとき薄々きいていたが、こんど京にきてお万阿の所在をさがし、それが妙鴦という法名を名乗って嵯峨で侘《わ》び暮らしていることを知ったとき、
(妙鴦とは。——)
と、この文字にあかるい男は、訪ねる女人の類のない法名にまず興味をもった。おしど《・・・》り《・》のおす《・・》を鴛《えん》といい、めす《・・》を鴦という。髪をおろして尼になっても、俗世のころの夫をなおも恋うている、という名ではないか。
(道三殿も、罪のふかいお人であったな)
と、おもわざるをえない。なるほど自分の叔母の小見の方は美濃での妻であったが、聞けば、当庵のぬしこそ本来の妻であるという。
やがて、お万阿が出てきた。
白ぎぬを頭にまとい、おなじく白ぎぬの小袖を白ずくめで襲《かさ》ねに着、嵯峨野で枯れはてているとは思えぬほどに豊かな肉付きをもっている。
「十兵衛殿と申されましたな」
と、この尼は会釈《えしゃく》もせずにすわった。
十兵衛が型どおりにあいさつしようとすると、お万阿はまるい掌をあげ、
「ああ、それはごかんべんを」
と、こぼれるような笑みをたたえていった。
「このとおり、一生、行儀作法などせずに気《き》儘《まま》で生き暮らしてきたおなごでございます。当庵に参られれば固くるしいごあいさつなど、してくださりますな」
謹直な光秀はどぎもをぬかれ、どう理解してよいのかわからず、しばらく庵主《あんじゅ》の顔を見つめていたが、やがて、
(これは、うまれたままの、まだ産《うぶ》湯《ゆ》の匂《にお》いさえにおっているような女人だな)
ともおもい、それに馴《な》れるにつれて、お万阿の前で、常になく多弁なほどに喋《しゃべ》っている自分を発見した。
光秀の叔父光安は、道三に殉じた。
光安は、あの長良川畔の戦場を脱出して明智城にもどり、城の防備を固くしつつ、しばらく鳴りをひそめた。
新国主になった義竜は、しばしば使者を出して光安の降伏をすすめたが、そのつど、
「自分は、亡《な》き道三と姻戚《いんせき》であるだけでなく古い風雅の友で、半生の思い出は道三と分ちあっている。その道三を攻め殺した義竜の下に帰服することは、自分の感情がゆるさない」
と、依怙地《いこじ》な態度を持し、どう勧告しても、城を出て稲葉山城に出仕しようとしない。やむなく義竜はこの九月十八日討伐軍をおこし、長井隼人佐道利《はやとのすけみちとし》という者を大将にして三千七百人の人数でもって明智城をかこみ、攻城二日間で陥落させた。
その落城の前、光安は光秀を説き、
「道三への節義に殉ずるのは、これはいわばおれの好みで、この好みをもって明智一族を絶やしたくはない。おこと《・・・》らは、ここから落ちのびよ」
と、いった。光秀は、やむなくその意見に屈し、光安から頼まれたその遺児たちをまもりつつ城から落ちのび、一時は西美濃の府内の領主山岸光信をたよってその城館に潜伏し、遺児たちをあずけ、とりあえず京にのぼってきた、というのである。
「このような血なまぐさい話、ご興味のないことでありましょうな」
と、十兵衛光秀はいった。
「しかしそれを申さぬと、それがしが亡き道三殿とどういう因縁の者であったかをわかって頂けぬと思い、申したまででござる」
そのあと、光秀は、自分でも自分がどうかしたのではないかと思うほどに喋り続けた。
少年のころから道三のそば近くに仕え、道三に愛され、学問、武芸、戦術、遊芸までを直々《じきじき》に伝授されたこと、もはや道三の被官の子というよりも弟子のようなものであったこと、などを語った。
「そういえば、あなた様の物の言い方、お行儀、顔かたちまで、どことなくお若かったころの旦那様に似通うたところがござりまするな」
と、お万阿は、感慨ぶかそうにこの光秀という若者の顔をのぞきこんだ。
「彼の人は、尾張の信長殿とやらも、ひどく可愛がっておられましたとか」
「左様」
光秀は、みじかくうなずき、それ以上は言わず、ただ、信長ときいて、ふと従妹《いとこ》の濃姫《のうひめ》の顔をおもいうかべたが、牢人《ろうにん》になりはててしまったこんにち、それらはひどく現実感のうすい彼方《かなた》にとび去ってしまったような気がした。
やがて陽が翳《かげ》りはじめたので、光秀は思わぬ長居におどろき、
「道三殿のお話をもっとすべきところ、自分の長ばなしなど、ついよい気になって申しあげすぎたがために、刻限が移ってしまいました」
「ご遠慮には及ばぬことでございます」
と、お万阿はいった。
「あなた様の御自身のお身の上話のほうが、ずっと面白うございました」
「いやいや、道三殿は」
「その道三殿とやらが、美濃でどうおし遊ばして、そのためにどうなったとやらのお話は、わたくしはお聞きしたくはございませぬ」
「え?」
光秀は、けげんな色をうかべた。
「それはまた、なぜでありましょう」
「斎藤道三と申されるお人は、わたくしにとってなんの覚えもない真赤な他人でございますもの。ましては夫ではありませぬ」
「それは」
「ええ、違うのです。このお万阿の旦那様は山崎屋庄九郎といわれる油屋で、若いころから美濃にさしくだり、ときどき京に戻《もど》って参られました。出先の美濃でなにをなさっていたか、お万阿には縁のないことでございます。それゆえ、山崎屋庄九郎の話ならききとうございますが、その斎藤、——はてなんという名でしたか」
「道三」
「そうそう。そのような名のひとは、たとえ山崎屋庄九郎と同一人物であろうと、お万阿の一生にとってどういう意味もないお人でございます」
「おどろきましたな」
「ただ、その山崎屋庄九郎殿は、京に帰るたびに、お万阿いまに将軍《くぼう》になる、そのときはそなたを御所にむかえるなどと申しておりましたが、おもえば、この世に二人とない、おもしろいお人でございましたな」
この世に二人とない……とまで言ったとき、お万阿は光秀を見つめ微笑したままの表情で、どっと眼に涙をあふれさせた。
この日から数日、光秀はお万阿にひきとめられるままに、この庵に逗留《とうりゅう》したが、やがて発《た》つとき、門前まで見送りに出たお万阿が、
「これからどこへ参られます」
と、きいた。
「あてどはござらぬ」
ただ心にまかせて諸国を流《る》浪《ろう》し見聞を深めてみたい、と光秀が答えると、お万阿は微笑を消し、じっと光秀の顔をながめ、
「男とは難儀なものじゃな」
と、いった。
「あなた様も、そのお顔つきでは、天下とやらがほしいのであろう」
「いやいや、そのような大望はござらぬ。なにぶん美濃を離れれば木から落ちた猿《さる》も同然、一尺の土地もない素牢人でありますゆえ」
「その素牢人がこわい。山崎屋庄九郎殿も、もとはといえば妙覚寺の法蓮房《ほうれんぼう》、寺を逃げだして還俗《げんぞく》したときは、青銭《あおぜに》一枚ももたずに京の町を歩いておりました」
「願うらくは」
光秀は、微笑をうかべ、
「その法蓮房にあやかりたい」
と言い、くるりと背をむけ、門前の道を東へ、あとをふりむかず、すたすたと歩きだした。
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