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国盗り物語82

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:朽《くつ》木《き》谷《だに》 光秀は、落葉を踏んで、琵琶湖《びわこ》の西の山岳地帯を、北へ北へと分け入っている。弘治二年
(单词翻译:双击或拖选)
朽《くつ》木《き》谷《だに》

 光秀は、落葉を踏んで、琵琶湖《びわこ》の西の山岳地帯を、北へ北へと分け入っている。
弘治二年の冬。
このとし、師父ともいうべき道三が戦死し、明智氏が没落し、光秀自身は牢人になりはてた。
(なんと多難な年であったことよ)
光秀はそれを思い、これを想《おも》えば、うたた、ぼうぜんたらざるをえない。
(今後、どうする)
たれかをたよって主《しゅ》取《ど》りをすべきであろう。しかし乱世のことだ、凡庸の主には仕えたくはない。できればひろく天下を歩いて英傑の人をもとめ、その下に仕えて自分の運命をひらきたい。
が、——
光秀という男の情熱はそれだけを求めているのではない。この、武士としては史書や文学書を読みすぎている男は、たとえば諸葛孔《しょかつこう》明《めい》のような、たとえば文天祥《ぶんてんしょう》のような、そういう生涯《しょうがい》を欲した。かれらは王室の復興や防衛にすべての情熱をそそぎこみ、その生涯そのものが光芒燦然《こうぼうさんぜん》たる一編の詩と化している。
(諸葛孔明、文天祥をみよ)
と、光秀はおもうのだ。
(その名、そのものが、格調の高い詩のひびきをもっているではないか。男とうまれた以上、そういう生涯をもつべきだ)
この男を、どう理解すればよいか。自分の生涯を詩にしたいという願望は、つまりそういう願望をもつ気質は——男のなかでは、志士的気質というべきであろう。明智十兵衛光秀は、自分がそういう気質の人間であることを、むろん気づいている。
だから単なる主取りやその意味での立身では満足しない。もっと緊張感のある、もっと壮大な、もっと碧落《へきらく》の高鳴りわたるような、そういう将来を夢見ていた。
(おれだけの男だ)
と、いう自負がある。
(単なる主取りを望むだけなら、千石、二千石の俸禄《ほうろく》ぐらいはたちどころに、ころがってくるだろう)
法螺《ほら》ではない。
この男のもっている技術のうち、火術だけでも十分に二千石の価値はあった。少年のころから道三が、
「これからは鉄砲だ」
と言い、堺《さかい》から購入した鉄砲を光秀にあたえ、その術を練《れん》磨《ま》させた。いまでは二十間を離れて、枝につるした木綿針を射《う》ちとばすことさえできる。火薬の配合法はおろか、戦場における鉄砲隊の使用法など、この新兵器についてのあらゆる知識と抱負をもっている。具眼の大名があれば光秀のこの才能を一万石に評価しても損はないであろう。
そのほか、槍術《そうじゅつ》、剣術に長じ、さらに古今の軍書についての造詣《ぞうけい》、城の設計法《なわばりほう》など、どの一芸をとっても光秀ほどの者は、天下に十人とはないであろう。
そういう自信がある。
(そのおれを、安く売れるか)
と、いう気持もあるし、それだけの資質にうまれてきた以上、たかだか大名の夢をみるより為《な》しうべくんば、百世ののちまで敬慕されるような志士的業績をこの地上に残したかった。
その対象はないか。
つまり、志士的情熱の。——
と、光秀は美濃を脱出して以来あれこれと想いをこの一点にひそめてきたが、ここに打ってつけの対象がある。
足利将軍家であった。
京に出て数日滞留した光秀は、将軍の居館である室町《むろまち》御所や二条の館《やかた》などのあたりをうろついたが、そこは廃墟《はいきょ》でしかない。廃墟であれば、そこには素姓も知れぬ田舎武士が住んでいた。
京は、三《み》好長慶《よしながよし》に握られ、その幕下の阿波《あわ》兵が市中をわが物顔で横行している。三好長慶といえば、将軍家からみれば素姓もさだかでない陪臣《ばいしん》であった。
将軍は、京にいない。
追われて、流亡していた。
「将軍《くぼう》様はどこにおわすか」
と、光秀は京に滞在中、機会あるごとに人にきいたが、満足に答えられる者もひとりもいなかった。ただお万阿だけは、さすがに、もと幕府機関に油を納入していた縁があるだけに、
「近江《おうみ》の朽《くつ》木《き》谷《だに》ときいていますけど」
と言ってくれた。
「朽木谷と申すところは、よほどの足達者でないと踏み入れぬ山奥じゃげな」とも、お万阿はいった。
(その朽木谷とやらに行ってみよう)
と光秀がおもい立ったのは、このときである。猿《さる》や鹿《しか》の棲《す》むような鄙《ひな》びた山奥に将軍が流寓《りゅうぐう》している、というだけでも、光秀の好みにあう想像であった。

朽木谷
というのは、琵琶湖の西岸の奥地にある。この近江の大半を占める大湖《おおうみ》は、東岸を平野とし、西岸を山岳重畳《ちょうじょう》の地帯としている。
その連山を安曇《あど》川《がわ》が渓谷《けいこく》を穿《うが》ちつつ流れている。この川の上流を、朽木谷という。
なるほど途方もない山奥だが、京からの道路もあり、若狭《わかさ》へぬける山道もあって、はやくからひとに地名だけは知られていた。
ここに、近江源氏の一流と称する朽木氏が城館を構え、ふるくから家系を伝えてきている。
(ここまでは時代の波は押し寄せぬらしい)
と思いながら、光秀は、安曇川の渓谷の光を北へさして踏みわけてゆく。すでに満山の落葉樹は冬の姿態になりはてているが、秋に来れば華麗な紅葉がみられるのであろう。
(まるで桃源郷だな)
と、光秀はおもう。この山間に居ればこそ朽木氏は世の興亡の波にあらわれずに所領を全《まっと》うしてきたのであろう。
余談だが、この朽木氏。
光秀の実感どおり、この後も戦国の風雲のなかを生きつづけ、徳川時代には本家は諸侯に列せられ、その分家も数軒、旗本になり、六千石の旗本寄合席《よりあいせき》を筆頭に明治に至っている。
足利将軍は、京で乱がおこって追われるたびに朽木谷に走った、といっていい。光秀の生まれた年の享禄《きょうろく》元年には将軍義晴《よしはる》が、さらに道三が稲葉山城を造営した天文八年には将軍義晴・義藤(のちに義輝)の父子が流寓し、いまは十三代将軍義輝が、わずかな近臣をつれて朽木氏の居館に身を寄せている。
朽木氏の当主は稙綱《たねつな》という老人で、いかに落魄《らくはく》したとはいえ日本の武家の頭領である将軍を自分の手で保護するという栄誉に感激し、城内に小さいながらも公方館《くぼうのやかた》をつくり、そこに義輝将軍を住まわせていた。
 光秀は、朽木谷に入った。
ここは「市場」という聚落《しゅうらく》で、山中ながらも、炊煙があちこちに立ちのぼり、朽木谷の首邑《しゅゆう》をなしているらしい。
すでに日暮に近くなっている。
一軒の農家に入り、銭《ぜに》をとらせ、
「これは旅の者であるが、今夜、一夜の宿は借れぬか」
というと、人情のあつい土地らしく、手をとるようにしてなかへ入れ、家のあるじは、炉端の首座を光秀のためにゆずってくれた。
「どこから渡《わ》せられました」
「美濃だよ」
光秀はだいぶ旅なれてきて、微笑を絶やさない。旅をする者には不愛想は禁物で、無用の疑いをうけるからである。
それに娯楽のすくない山村では、諸国の噺《はなし》がもっともよろこばれることも知っていて、光秀は美濃のはなしや京のはなしなどをした。
やがて、炉に猪汁《ししじる》の鍋《なべ》がかかった。
「朽木殿の御館《おやかた》に、くぼうさまが身を寄せておられるそうだな」
「お気の毒なことで」
と、家のあるじは、将軍の日常などをこまかく話した。ご家来といえばわずか五人いらっしゃるだけであるという。
「五人か」
光秀は、凝然と宙に眼をすえた。その眼にみるみる涙があふれた。
多感な男である。
「日本の総国主であり、征《せい》夷《い》大将軍《たいしょうぐん》である将軍が、住まわれる屋敷もなく流《る》浪《ろう》なされておるばかりか、従う者はわずか五人とは」
「ご時勢でござりまするな」
宿のあるじも、光秀の涙にさそわれてついつい鼻をつまらせた。
「朽木殿の御館とは、どこにある」
「ほんのそこの藪《やぶ》のむこうでござりまする」
「近いのか」
はい、とあるじは答えた。
「武士と生まれた以上は、一度はくぼう様に拝謁《はいえつ》したいものだ」
「さあ、それは」
さすが人の好いあるじも言い淀《よど》んで光秀の風体《ふうてい》をじろじろみた。将軍といえば、人というよりも神に近い。いかに落魄《らくはく》しているとはいえ大名でなければ謁見なさらぬものを、美濃から流れてきた素牢人風《ふ》情《ぜい》では、その御《み》影《えい》などはとてものこと、おがめたものではないのだ。
「いやこれは、よしなき痴語《たわごと》を申した。わすれてくれい」
「あなた様はよいお人でござりまするな」
と、家のあるじは光秀の顔をじっと見た。この当節、諸国の武士は京に将軍あることなどもわすれて互いに攻伐しあっている。それを物好きにも朽木谷にやってきて、将軍の不幸な御境涯に涙をながしている、などはよほどの善人でなければこうはいかぬであろうと、家のあるじは思ったのである。
宿の家族は一様にそう思ったらしい。
光秀の横にすわって、酒を注《つ》いだり、汁《しる》のおかわりをしてくれたりしている娘も、光秀のそういう人柄《ひとがら》には打たれたようだった。
「お酒を沢山《たんと》おあがりくださりませ」
と、鄙《ひな》びた言いかたで寄り添ってきては、徳利をかたむけてくれる。
光秀は謹直な男である。
こういう賤《しず》が家《や》の炉端にすわっていても、まるで貴人の館に伺《し》候《こう》しているようになり姿《・・・》を崩さない。酒を注がれるたびに、
「かたじけない」
と、会釈《えしゃく》して受けている。その挙《きょ》措《そ》、声《こわ》音《ね》が娘の心に滲《し》み入って、からだのなかにただごとでない音律をかなでさせはじめていた。
娘は、志乃《しの》といった。
この里の、いやこの里だけでなく、どの土地のどの里にもある風習《ならい》のとおり、今夜はこの旅人のために一夜の伽《とぎ》をすることになっている。
その刻限がきた。
光秀は、炉の間の北側の部屋を寝所にあてがわれていたが、やがて板戸がひらき、手燭《てしょく》をもった志乃が入ってきた。
「志乃どのか」
光秀は、ふしど《・・・》のなかで動く光を見た。志乃はだまってひざまずいた。やがて、
「御伽をさせていただきまする」
と、いったが、光秀は、答えなかった。
この男はこういう点でも謹直で、旅をかさねていてこういう好意をうけることがあっても、つねに婉曲《えんきょく》にこばんでいる。が、今夜はややちがっていた。無性に女が欲しい。というより、この朽木谷の土を踏んでいよいよ高まってきた流亡の将軍への詩的情感が、ふしどに入っても体を火照《ほて》らせ、心が濡《ぬ》れ、眼が冴《さ》えきってしまっている。なにやら孤独《ひとり》でふしどの冷たさのなかに息をひそめているには堪《た》えきれなくなっていた。
「これへ、参られよ」
よく透る、静かな声で光秀はいった。娘はその横に身をさし入れてきた。
「足が、冷とうございましょう?」
娘は、気の毒そうにいった。
「温めて進ぜよう。わしの体は、冬でも肌《はだ》着《き》ひとえ《・・・》でおれるほどにあつい」
「お姿に似気《にげ》もござりませぬな」
「印象《そとみ》は、冷たいか」
「はじめはそのように。——しかし炉端でお話をうかがうにつれて善《よ》い兄様のように思えて参りました」
娘は、股《もも》をつと《・・》すぼめた。
光秀の手が、そこへ行ったのである。
「物語などしてくりゃれ」
「明智様こそ聞かせくださりませ」
「閨《ねや》では男はだまるものだ。目をとじておなごが奏《かな》でるさまざまな妙音を聴くのが楽しい」
問われるままに、娘は里の話などした。
「おそろしい話もございます」
「どのような」
「物怪《もののけ》」
と、志乃はいった。
「出るんです、村の明神さまのお社に、見た者が何人もいるのです」
旅をしているとよく聞く話である。まじめに聞いていれば一つの里にいっぴきずつは物怪がいて、諸国あわせれば何百万びきという物怪が、天下の夜を横行していることになるだろう。
「どういう物怪かね」
「侍の姿をした猫《ねこ》の妖《ばけもの》だと申します。毎夜社頭にあらわれては油をなめるのです」
「油を、かね」
怪物譚《かいぶつたん》としても、独創性がない。光秀は笑いだして、
「その種のはなしはすべて嘘《うそ》だ」
と言い、はなしにも倦《あ》きたのか、あとは沈黙して娘の体をさぐりはじめた。
その所作が、娘を沈黙させた。娘の口が沈黙するとともに、その体が濡れはじめた。
「志乃」
と、光秀は抱きよせた。
「あらためていうようだが、わしは美濃明智の里の住人で明智十兵衛光秀という。美濃ではついことしの九月までは小さいながらも一城のぬしで、この家は、一族郎党をあわせれば七百人ばかりの人数を掻《か》きあつめることができる程度の家だ。いまはない。牢人にすぎぬ。しかし他日、どこかでこの名を聞くことがあろう」
「………?」
「血すじはいい」
光秀はつづけた。
「土岐源氏の流れを汲《く》んでいる。家紋は桔梗《ききょう》」
「…………」
すでに体を開かされている志乃は、なぜこの期《ご》におよんで武者が合戦で名乗りをあげるような名乗りを、この男は言うのだろうかと不審に思った。
「覚えていてもらいたい」
「はい」
「他日、万一、子供がうまれたときに、わしをたずねてくることだ。忘れずに」
と、光秀はいった。娘はようやく名乗りの意味がわかった。なんと周到な男であろう。子供がうまれるかもしれぬということを想定し、そのときは父としての責めを負うことを言明したうえで、体のつながりに入ろうというのである。思慮が周到な、というより性格がよほど律《りち》義《ぎ》なのかもしれない。
「志乃、罷《まか》るぞ」
と、そう光秀は言い、志乃は暗闇《くらやみ》でかすかにうなずいた。念の入った男だ、と志乃がおもったのは、後年、志乃も女として成熟してからのことである。とにかく、志乃にとって光秀は、一見行儀のよい公達風《きんだちふう》の男であったが、よくよく思えば、どことなく風変りな男であった。
夜明けに志乃が眼をさますと、光秀はまた志乃を抱いた。おとなしくみえていて、よほどの情炎をもっている男なのであろう。
その翌日、光秀は発《た》とうともせず、
「この里が気に入ったゆえ、しばらく逗留《とうりゅう》させてくれぬか」
と、銀を樫《かし》の葉ほどの大きさに打ち伸ばしたものを、家のあるじに渡した。
家人たちも、光秀が滞留することにいなや《・・・》はない。
その夕刻ふと、
「志乃殿、昨夜のはなし。物怪のことだが、あれは明神の社だと申したな」
と念を押した。
光秀は左様な現象を信じてはいないが、その正体をあばいて評判をとることによって、朽木館に近づくなにかの足しにはならぬか、とおもったのである。
「今夜、出かけてみる」
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