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国盗り物語106

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:道三桜《どうさんざくら》 信長は、光秀と言葉をかわしているうちに、すっかり惚《ほ》れこんでしまった。(これは思わぬ買物を
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道三桜《どうさんざくら》

 信長は、光秀と言葉をかわしているうちに、すっかり惚《ほ》れこんでしまった。
(これは思わぬ買物をした)
とおもうと、口もとが自然とほころびてきた。この男が顔を崩して笑うなどということはめったにないことである。
まず光秀のもっている典雅さ、これは勇猛一点張りの織田家の諸将にはない美徳である。将来、織田家の外交官としては最適であろう。
外交官といえば、光秀は将軍義昭の信任が厚いだけでなく、京都の公卿《くげ》、僧侶《そうりょ》のあいだにもずいぶんと顔がひろいようだった。これも田舎大名の外交を担当させるにはうってつけの無形財産といっていい。
以上だけならば、単に信長の使いとしての外交技術者の能力にすぎない。それよりも光秀は織田家の外交そのものを決定できる能力をもっていると信長はにらんだ。
なぜといえば、光秀は諸国をくまなく歩いており、人物、交通、城郭、人情にあかるく、天下の情勢を語らせると、豊かな見聞を材料にして明晰《めいせき》そのものの判断を加えてみせた。
(まず、天下第一の才幹か)
と信長は舌をまく思いで光秀を見た。
しかも光秀の才能はこれだけではない。以上のあれこれは、明智光秀という男のほんの一部にすぎない。
光秀はなににもまして軍人であった。刀槍《とうそう》鉄砲の術に長じているというだけではなく、大軍を駈《か》け退《ひ》きさせる将帥《しょうすい》としての稀有《けう》な才能がありそうであった。信長もそうみた。
しかも態度は粗野でなく穏雅な風貌《ふうぼう》をもち、埃《ほこり》も鎮《しず》めるような静かさですわっている。
(これはいよいよ、よい買物をした)
信長は思い、初のお目見得《めみえ》にしては長時間にわたる謁見を遂げ、夕刻になってからやっと光秀を退出させた。
翌々日、信長は小牧城にかえって、濃姫の部屋にゆき、
「光秀めを見てやったぞ」
といった。
濃姫ははっと頬《ほお》を染めたが、すぐ、どのようなお人でございました、とおだやかに訊《き》いた。
「きんかん頭さ」
と、信長はいった。
「おつむり《・・・》が」
「ああ、薄禿《うすはげ》よ」
(まさか)
濃姫は思いたかった。彼女の記憶にある光秀は輝くような若衆で、その整いすぎるほどの顔だちは殿中の女どもの話題をほとんど独占していた。
(齢《とし》だろうか)
と思って胸のうちで指を繰ってみると、光秀は濃姫より七つ上だからまだ四十にはなったかならぬかの年齢である。さほどではない。
「使えそうなやつだ」
信長は、濃姫の膝をひきよせて寝ころがった。
「そなたのいとこ《・・・》だったな?」
「はい」
「どこか、面《おも》差《ざ》しが似ている。その点は多少気にくわぬ」
「わたくしの貌《かお》がお気に召さぬのでございますか」
濃姫は微笑を含みながらいった。このところ信長はしきりと侍女に手をつけては子を生ませているのが、濃姫の心の痛みになっている。
「ちがう」
信長はするどく言った。いやだ、というのは自分の女房《にょうぼう》の血縁で面差しまで似ている男というのは、見ていい気持のものではないという意味だったが、面倒だから説明はしなかった。幼少のころからたれに対しても、自分を説明したり行動の理由を弁解したりする習慣をもっていない男である。
「そなたも見てやれ」
信長はいった。身内の者がすべて亡くなった濃姫のために、彼女の数すくない血縁者と対面させてやろうというのが、信長の親切心だった。
「来年になればな」
「なぜ来年になれば、でございましょう」
「本拠を岐阜城に移す。そのときにあの男の面をみてやれ。おれは忘れるかもしれぬゆえ福富平太郎爺《じい》に憶《おぼ》えさせておこう」
福富平太郎はもと道三が愛していた家来で濃姫の織田家輿《こ》入《し》れのときに付き従ってやって来、以後奥むきの執事になっていた。その子の平左衛門は驍勇《ぎょうゆう》の士で、いまは信長の親《うま》衛隊士《まわり》として諸国に勇名を馳《は》せている。
「岐阜のお城はもはやそれほどまでに?」
「ああ出来た」
信長はいった。
「あとは稲葉山山頂の本丸の屋根ふきと、山麓の館《やかた》の庭を作ることだけが残っている。移るのは来年になる」
(来年。——)
には、濃姫は、自分の亡父の国と城に戻《もど》れるのである。すでに父はなく国は亡《ほろ》び城も様相が変わっているとはいえ、自分の実家の本城とされていた旧稲葉山城(岐阜城)にもどるのである。しかし、このようなかたちで実《さ》家《と》方《かた》の城に戻ろうとは夢にも思っていなかったことだった。
「お濃、なつかしいか」
「いいえ、別に」
濃姫は、すこし不機《ふき》嫌《げん》そうにかぶり《・・・》をふった。父母も昔の家臣や侍女たちもいない城に戻ったところでなにになるだろう。
ただ一つだけ、この暗い感慨のなかに光射す楽しみはあった。その城で、光秀という故旧に会えるのである。思えばあのころに睦《むつま》じんだ一族や家臣たちのなかで生きているのは光秀だけではないか。

織田家の家臣団の移動がおこなわれたのは翌《あく》る年の九月十八日である。
尾張清《きよ》洲《す》城から美濃岐阜城までの三十二キロの道を、一万余の武者が、旗指物《はたさしもの》をはためかせつつえんえんと行進した。
織田家の家臣の甲冑《かっちゅう》は、尾張の豊かさを反映して華麗なことは海内《かいだい》一といわれた。銃器の数も多い。それらが砂《さ》塵《じん》をあげて濃尾平野を北上してゆく景は壮観そのものだった。
濃姫は、小牧城から出発した。女どもの行列が数町もつづいた。
すべてが、岐阜城に入った。この日から、織田家の本拠は、美濃の岐阜に移る。
光秀は、城門のそとで、入城してくる尾張兵を迎えた。濃姫の女駕《おんなか》籠《ご》も通った。その朱と金で装飾された華麗な乗物を、光秀は謹直な表情で見送った。
が、多感なこの男の内心は、表情のように謹直ではなかった。
(まかりまちがえば自分の女房になっていたかもしれぬ女性。——)
という感慨なしではこの女駕籠を見ることはできない。むかし、鷺山城《さぎやまじょう》の道三に近《きん》侍《じ》していたころ、道三の言葉のはしばしではこの姫を自分に呉れるような気がしてならなかった。それが尾張へやられ、いまは天下の織田信長夫人になっている。
(人の運とはわからぬものだな)
と光秀も思わざるをえない。
織田勢の岐阜入りののち十日ばかり経《た》って濃姫付の老臣福富平太郎が光秀のもとにやってきて、
「殿の格別の思召《おぼしめし》でござる。御奥において奥方様のお目通りをゆるされます」
と、鄭重《ていちょう》にいった。福富老人は美濃出身であるため光秀のむかしの家柄《いえがら》を知っており、そのせいかまるで主筋《しゅすじ》の者に対するようないんぎんさであった。
光秀は、伺《し》候《こう》した。男臣の作法として庭に面した廊下まで進み、そこですわった。
濃姫は、室内にいる。この日彼女は入念に化粧《けわい》をしたせいか、二十三、四ほどにしか見えなかった。
「十兵衛殿、懐《なつか》しゅうある」
と、濃姫は、まるい湿りを帯びた声で、ひくくいった。
光秀は平伏した。やがて上体をややあげ、よく透《とお》る声で濃姫の息災を祝い、このたびの推挙の礼をのべた。
「なんの推挙はわたくしのみが致したわけではありませぬ。そなたの名はすでに高く、尾張でもよき目や耳を持つほどの者はみなそなたの名を口に致しておりました」
(薄禿ではない)
と、濃姫は言いながらおもった。髪の毛が細いほうだから信長の目には光線のかげんでそう見えたのであろう。濃姫のみるところ、光秀は相変らず唇《くちびる》の姿にえもいえぬ雅趣があり、目は涼やかで眉《まゆ》がのびのびと長い。その点、年若いころとすこしも変わっていないのである。
「そなたも、変わりませぬな」
「それは」
光秀は苦笑した。
「士に対する賞《ほ》め言葉ではございませぬ。士は三日見ざれば刮目《かつもく》して見るべしと古典《ほんもん》にもございます。変わるこそ漢《おとこ》たる者の本望でございましょう」
「いいえ、容貌《かおかたち》のことを申しているのです。すこしも変わりやらぬ」
そのあと、ふたりは斎藤山城入道(道三)の思い出について語りあった。
「あれに」
と、濃姫は袖《そで》をあげて庭を指した。
「桜の老いた樹《き》がありましょう。亡き父が青《せい》嵐《らん》と名づけて愛《かな》しんでいたものです。あの桜だけが、いまは遺《のこ》っている」
「山城入道様と申せば」
と光秀はいってから、言うべきかどうかをためらっている様子だったが、やがて思い決したように、
「京でお万阿《まあ》様にお目にかかったことが二度ばかりございまする。大変、もてなしをお受けいたしました」
「お万阿様とは、父上が京に住まわせていた真正《まこと》の御内儀、というお方ですか」
「はい、油問屋山崎屋庄九郎の妻」
「聞いています」
濃姫は、楽しそうに微笑《わら》いはじめた。
「父上がよくわたくしに話してくれましたので」
「山城入道様が?」
光秀は驚いた。自分の京での隠妻《かくしづま》のことをぬけぬけと娘に語ってきかせるとはいかにも道三らしい。
光秀が思い旋《めぐ》らせてみるに、濃姫は道三の唯一《ゆいいつ》の娘であった。おそらく濃姫が女であるがために安《あん》堵《ど》して自分の女どもの話を語って聞かせたのであろう。
「それも織田家に嫁《とつ》ぐ日が近づくにつれて、毎日のようにお万阿様のことを語ってきかせました。あの方は」
濃姫は、ふと涙ぐんだ。「父が生涯《しょうがい》愛しぬいたのはお万阿様だった」ということを言おうとして、感情が胸に堰《せ》きあげてしまった。
「お万阿様とはどのようなお方で、どのようなお暮らしのたたずまいでありました?」
濃姫は身を乗り出すようにして聞きたがった。父の愛した人についていささかでも知りたかったのであろう。
光秀は、簡潔にその人柄《ひとがら》の様子を語りつつやがて、「お万阿様ほどおもしろい女人はまたとござりませぬな」といった。
「どのように?」
「それがしに、美濃の国主斎藤山城入道道三などという仁は存ぜぬ。名も存ぜぬ。わたくしの夫は油商人《あきゆうど》にて山崎屋庄九郎と言い、長旅をしてはときどき京に帰ってきた、その夫しか知らぬ、と申されました」
「まあ」
濃姫には理解のできぬ面持《おももち》である。しばらく庭の桜樹を見つめて思いをしずめている様子だったが、やがて会《え》得《とく》が行ったのか急に頬を上気させて、
「浮世のひととは思えぬほどおもしろいお方でございますね」
と弾みすぎるほどの声でいった。光秀は濃姫の弾んだ感情を受けて微笑していたが、すぐ、
「世にもふしぎなお人と申せば、山城入道道三さまこそそうでござりましょう。美濃では国主、京では山崎屋庄九郎、一人にて同時に二人の人生を送ったお人など、古《こ》往今来《おうこんらい》、地に存在したためしがござりませぬ」
「男の理想《ゆめ》でありましょうね」
と、濃姫は軽く言い、光秀が感動する地点まではさすがに女の心情が邪魔してついてゆけぬらしい。
「まことに」
と、光秀は、濃姫のいう言葉を正面から受けてうなずいた。男の夢とはいうが、魔神の通力でももっていないかぎり、道三のように一人で二人分の人生を送るという変幻自在な生き方は不可能であった。そのことを思うと、道三の思い出が過去になればなるほど、その人柄の奇妙さ、驚嘆すべき人間力、さらには英雄という以外言いようのないそのふてぶてしさが、いまや神のように思われてくるのである。
「わたくしにとって、山城入道様は、師とも神ともいうべきお人でございました。この心持はいまも変わりませぬ。生涯かわらぬことでございましょう」
「そなたも」
濃姫は微笑した。
「二人の正室《つま》をお持ちですか」
「いえいえ、その点はとても真似《まね》はできませず、真似の仕様もござりませぬ。それがしめの妻はお槙《まき》と申し、それがしに愛されることをのみ仕合せと存じている哀《かな》しき者にござりまする」
「お槙殿と申しまするか」
濃姫は微笑をひそめ、すぐもとの表情にもどし、さぞ佳《よ》い者でありましょう、遊びに見えるようにお伝えなさい、といった。
「こどもは幾人あります」
「娘ばかりにて」
光秀は苦笑した。三人ある。娘ばかりでは武家のあとつぎに不便なのであるが、かといって光秀は側室をつくろうとはしなかった。その点、女というものを飽くなく好きだったかれの「先師」とはちがう。
「十兵衛殿は穏和でありまするな」
と、濃姫は声をたてて笑った。それが光秀には気に入らなかったらしく、声をやや荒《あら》らげて、
「なんの、世に志のある者が穏和でありますものか」
といった。別段、ふかい意味をこめていったわけではなかったが、この言葉がやがて十五年後に自他ともに思い知らねばならぬときがくるとは、光秀も気づかない。
ただ、翳《かげ》のない、おだやかな微笑でいま秋の陽《ひ》ざしのなかにある。
光秀は、退出した。
このころの光秀の仕事は、軍事官としてよりむしろ外交官として忙殺されていた。とくに対義昭外交である。
光秀は、この当時としてはひどくめずらしいことに信長から知行地をもらっていながら同時に公方の足利義昭からもわずかながら扶《ふ》持《ち》をうけていた。一人で二人の主人をもっているという点、珍奇といっていい。
もっとも、厳密には二人の主持とはいえないかもしれない。義昭は日本国の武家の頭領という雲の上の身分であり、岐阜の信長とは格差がありすぎるし、それに義昭は「武家の頭領」といってももはや装飾的存在で、この家から扶持をうけているといっても普通の主人・郎党の関係ではありにくい。
むしろそういう家来がいるというのは、織田家にとって名誉なことであった。信長はそれを歓迎したし、そういう光秀なればこそかれを珍重したともいえる。
光秀の当面の仕事は、越前金ケ崎で朝倉家の保護をうけている義昭をいっそ岐阜の織田家に連れてくるということであった。
織田家で義昭を保護する。さらに信長がこの将軍後継者を京に連れて行って将軍の位につけ、その権威によって天下に望む。この方法以外に、短時間で天下をとる良策がない、と光秀は信長に献策し、信長も大いにそれに賛同し、
「ぜひ、公方様をこの岐阜城に連れて参れ。わしを措《お》いて天下にあの方を将軍職におつけ申しあげる者があるか」
と言い、できるだけ早く義昭の移座を実現するように命じた。
光秀はこのため、岐阜と越前金ケ崎城を飛脚のように往来して、まったく寧日《ねいじつ》がなかった。光秀はこの足利・織田の結盟に、自分の将来への野望をも一《いち》途《ず》に賭《か》けている。
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