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千里眼05

时间: 2020-05-27    进入日语论坛
核心提示:トレーニング 夕方から二時間は、品川にある赤十字福祉センターの臨床精神医学棟で、先輩の臨床心理士である舎利弗の指導を受け
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トレーニング

 夕方から二時間は、品川にある赤十字福祉センターの臨床精神医学棟で、先輩の臨床心理士である舎利弗の指導を受ける。それが岬美由紀の日課だった。
窓から夕陽が差しこみ、オレンジいろに染まった廊下に歩を進めながら、舎利弗は美由紀にたずねてきた。「じゃあ、気分障害のうつ病性障害について、大うつ病性障害について説明してみて」
美由紀は歩調を合わせながらいった。「重症のエピソード性うつ病で、症状が二週間以上持続。男女比率は一対二で、女性のほうによくみられる症状。早朝には悪化、精神運動または興奮が認められる。自律神経兆候を伴い、妄想と幻覚も生じる。遺伝的要因もみられる」
「いくつかのタイプに区分されるけど」
「ええ。慢性、季節性、メランコリー型。それにヒステリー性不快気分症、仮性|痴呆《ちほう》、二重うつ病。小児や、妊婦が出産し四週間以内に始まる症状もあって、それぞれに特色がある。このほか、特定不能のうつ病性障害として、たとえば反復性短期うつ病性障害、小うつ病性障害、月経前不快気分障害などがある」
「驚いたな」舎利弗は心底感心した様子だった。「つい二週間前から勉強を始めたばかりだってのに、テキストの重要な部分についちゃぜんぶ頭に入ってるみたいだ」
「記憶には自信があるほうなの」美由紀は笑ってみせた。「でも、ちょっとわからないことがあって」
「ほう。どんな?」
無人の教室に歩を踏みいれる。視聴覚の教育資材が整ったこの部屋は、舎利弗からマンツーマンの指導を受けるための重要な場所だった。
美由紀は椅子に腰を下ろしながらいった。「気分障害の兆候を察することなんて、ほんとに可能なの? 相談者《クライアント》が悲しみや空虚感を覚えていて、いつも抑うつの気分に陥っていたり、苛立《いらだ》ちを覚えていたりするのがその基準だって書いてあったけど……。どこからそれを判断するの?」
「その人自身の言明または、他者による観察。DSMにもそう記してあったと思うけど」
「ようするに、本人がしゃべるか、それとも外見上、涙を流してたりして悲しそうな顔だと判断するか、そのどっちかってことよね」
「まあ当然、そうなるね。でも相談者が本当のことを告白しているとは限らない。真の感情は、カウンセラーの側が見抜かなきゃならない」
「自信ないなぁ」
「どうして?」
「わたし、あまり人と目を合わせないほうだったの。表情を見て、喜んでいるのか悲しんでいるのかぐらいはわかるけど、思い違いをすることも多くて。第二○四飛行隊の同僚に、なにをそんなに怒ってるのって問いかけたら、悩んでるんだよって言われちゃったりして」
「ああ、それらふたつの感情については、表情は似たものになるからね。でも美由紀なら、そのうち勘が働くようになるよ」
「舎利弗先生は、わたしがいまなにを考えているのかわかる?」
ふいに舎利弗は、初めて会ったときのようにおどけた顔になり、口ごもりながらいった。
「なにを……考えてるかって? きみが? いや。そのう……」
「先生のことについて考えてたんだけど。どんなことだと思う?」
「ぼ、僕のこと? いやぁ、それはちょっと……。なんだろ。あのう、変なDVDばかり集めてる暗い奴だと思ったかい? 事務局の僕の机にある棚を見ただろ? クレクレタコラが全巻揃ってる……」
美由紀は苦笑した。「たしかに見たけど、そんなことは思ってないわ。いつの間にか、わたしのことを美由紀と呼ぶようになってたんだな、って。そんなことを考えてたの」
「あ、そうか。……嫌かな。岬さんと呼んだほうがいいか」
「いいえ。美由紀と呼ばれるほうがいいですよ。舎利弗先生、人見知りする性格だなんて言ってたけど、ぜんぜんそんなことないみたい」
「まあ、ね。性格なんてものは、一元的じゃなく多面的なものだから。でも、ふだんは事務局に籠《こ》もりっきりだから、人と会うのが苦手なのはたしかだよ」
「わたしの場合は例外なのかな」
「そうだね。きみは、なんていうか、とてもいい人だから」
「え?」
「いや。なんでもないよ」舎利弗は照れたように耳を真っ赤にしていた。そそくさとパソコンに向かうと、キーを叩《たた》く。
モニター画面に、ひとりの男の顔が大きく映しだされた。
「これ、誰?」と美由紀はきいた。
「誰でもない。こいつはカウンセリング用の教材ソフトでね。この男性だけど、いま内面はどんな状態にあると思う?」
「そうね……」美由紀は身を乗りだして画面を見つめた。「なんだかちょっと眠そうに見えるけど。疲れてるのかな」
舎利弗は唸《うな》った。「間違いじゃないけどね。上まぶたが閉じそうなくらい垂れてきてるから、疲労とみるのも誤りではない。けれども、疲労しているのなら目の焦点がもう少し失われる。これはちょっと憂鬱《ゆううつ》な、悲しみを帯びた感情をしめしているんだ。悲しみは、眉《まゆ》と唇のいずれか、あるいは両方を観察することで読みとれる。じゃ、次のこれは?」
キーを叩く音とともに、画面が切り替わる。今度は女性の顔の静止画が映った。一見して、むっとしているように感じられる。
「怒ってるんじゃないかな」と美由紀はいった。
「ハズレだな。この女性、鼻に皺《しわ》が寄っていて、眉間《みけん》を狭めているだろ? 上唇の片端もわずかに持ちあがっている。顔の左右でアンバランスな表現をとっている。これは嫌悪の感情を表してるんだ。苛立ちや敵意など怒りに類する感情の場合、もう少し眉毛がさがって、上まぶたが上がる傾向があるんだよ」
「さっぱりわからない……」
「だろうね。でも、これは静止画だ。実際に相談者を前にしたときには、こうだよ」舎利弗がキーを叩くと、モニター画面の映像が動きだした。
女性の表情は絶えず変化する。目は落ち着きなくあちこちに向けられているし、眉間に皺を寄せたかと思えば、直後に笑みを浮かべたりもする。なにかを喋《しやべ》っている。無音なので声は聞こえないが、自分の発言やカウンセラーの返答に一喜一憂し、気分は常に変移しつづけているようだった。
「これが人ってもんだよ」舎利弗はいった。「人は感情を表情にだすまいと努める。わずか五十分の一秒にほんのささいな表情の変化が表れ、すぐ次の瞬間には別の感情が生じている。時間だけでなく、顔の一部にしか変化が表れなかったり、表情筋の収縮が少なかったりもする。感情を読みとるのはとても難しいことなんだ」
美由紀はため息とともに、椅子の背に身をあずけた。「ムリかぁ。友里先生とか、魔法みたいに人の気持ちを読んでるのに」
「あの人は千里眼だなんて呼ばれるくらい、表情筋の観察に長《た》けてるからね。でもそれも、訓練しだいであるていどは可能になるものだよ」
「訓練?」
「そう。人の身体と心が密接に結びついていることは、知ってるね? 心が緊張すれば、身体もこわばる。身体を弛緩《しかん》させると、心もリラックスする。両者は常に一体で、相反する状態にはならない。つまり、身体が緊張しているのに心が弛緩しているとか、そんなことは起こりえないってことだ」
「ええ。だから自律訓練法などの自己催眠では、まず全身の筋力を弛緩させることで、心のリラクゼーションが得られる仕組みになってる」
「その通りだよ。表情を読む訓練はそれを利用するんだ。このモニターに映っている人物の顔を見つめて、そっくり同じ表情を真似てみる。とにかく同じ顔をすることに集中してみる。それからその表情を保ち、心の奥底からぼんやりと生じてくる感情を味わってみる。自律訓練法と同じく、受動的な注意集中で感じるんだよ。けっして無理やり思い浮かべようとしてはならない」
「なるほど」美由紀は身体を起こした。「心と身体は一体だから、同じ表情を浮かべれば、同じ感情が生じてくる。そういうことね」
舎利弗はうなずいた。「エンターキーを押せば、画像の人物の感情が本当はどうだったかが文章で表示される。自分が抱いた感覚とそれを照らし合わせて、なるべく一致するように繰りかえし練習するんだよ。感情は単純ではないから、言葉で言い表すのは難しい。だから自分で実感し理解するほうが手っ取り早い。このソフトで表示されるあらゆる表情を真似て、どんな感情が沸き起こるかを脳に刻みこむんだ。静止画で慣れてきたら、次は動画を観察すること。そうやって、表情と感情の因果関係を把握するんだよ。理論でなく、実践的な感覚で」
「わかった。やってみる」美由紀はパソコンにまっすぐ向き直った。
しかし、しょぼくれた表情の男の顔をモニターのなかに見た瞬間、美由紀は困惑した。舎利弗の視線が気になる。
「ああ。僕はもう帰るよ」舎利弗はあわてたようにその場を離れた。「終わったら消灯して、鍵《かぎ》は管理室に預けておいてね」
「どうもありがとう、舎利弗先生。クレクレタコラのDVDも、そのうち観せてくださいね」
「ほんと?」と舎利弗は目を輝かせた。「タコラの独裁者の巻、が傑作なんだ。ほかにも、面白いエピソードを厳選しとくよ」
「ええ……。楽しみにしてます……」
嬉々《きき》としたようすで、足取り軽く退室していった舎利弗の背を見送りながら、美由紀は戸惑いを深めた。
社交辞令だと気づかないなんて。本当に彼は人の感情を読むことができるのだろうか。
気を取り直し、画面に見いる。男の表情と同様に、眉間に皺を寄せ、眉を八の字にして、泣きそうなほど情けない顔をつくってみせる。
そのとき、笑い声が聞こえた。ふと視線をあげると、向かいの窓の外に延びる歩道で、足をとめてこちらを見ている若者たちの姿があった。
美由紀は憤然と立ちあがり、ブラインドを固く閉ざした。思わず吐き捨てる。ったく、見せものじゃないんだから。
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