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千里眼06

时间: 2020-05-27    进入日语论坛
核心提示:航空機事故 南イタリアのアマルフィ海岸は、高級ホテルの建ち並ぶリゾート地だった。ユネスコの世界遺産にも登録されているこの
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航空機事故

 南イタリアのアマルフィ海岸は、高級ホテルの建ち並ぶリゾート地だった。ユネスコの世界遺産にも登録されているこの場所は、史跡とレモンやブドウの段々畑が織り成す、絵画のように美しい風景が広がっている。
それだけに、美を汚す存在は早急に排除されることが求められる。サレルノ県ラヴェッロのベンフェヌート巡査長が、日の出前から現場に駆けつけることを余儀なくされたのは、そのせいだった。
眠い目をこすりながら、崖《がけ》沿いの道路に集合している警察車両の群れに近づく。顔見知りの警官に声をかけた。「おはよう、イウリアーノ」
「ああ、ベンフェヌートか」ポジターノ署勤務の古株、イウリアーノも同様に、寝不足の顔を向けてきた。「ゆうべは娘さんの買い物につきあったんじゃないのか」
「父親は門前払いさ。親にカードの支払いだけさせて、あとは男と消えやがった」ベンフェヌートは崖に近づいた。
数十フィートにわたって破損したガードレールのほぼ真下、崖の波打ち際付近に、転落したセダンが後部半分を海面に突き立てるかたちで大破している。ボディは大きく変形し、一見してクルマと判別するのは難しいほどだった。
ウェットスーツ姿の鑑識員らが潜水し、状況の把握につとめている。間もなく引き揚げ作業に入るだろう。
「こりゃひどいな」とベンフェヌートはつぶやいた。
「運転手は日本人だ。パスポートがあった。小峰忠志、二年前にフィレンツェのアトラクション製造業をクビになって以来、住所も転々としてたらしい」
「なんだ。観光客じゃないのか。なら、大使館からやかましくいわれることもないな」
「飲んだくれだからな。体内から大量のアルコールが検出された」
「ふうん……。職が定まらずにイライラして、自暴自棄になったってことか」
「そうだな。酒場の仲間には、でっかいスポンサーがついて、なにか特別な開発をまかされてるって息巻いてたらしいが」
「ほんとかい」
「いいや。この男が最後に住んでたアパートの部屋にも、そんな開発とやらの痕跡《こんせき》はまるでなくてね。ただのホラ話だったんだろう。さ、クレーンが来るまで休もうぜ」
イウリアーノは警察車両に歩き去っていった。が、ベンフェヌートは崖下のクルマを眺めつづけた。
はるばる日本から来て、職を追われ、最期は事故死か。遺言がわりに披露できたのは、途方もない夢物語だけだった。それが彼の人生だった。
やりきれない気分になる。ベンフェヌートは胸の前で十字をきった。故人の宗教は知らない。だが、ここはイタリアだ。神に召されることは、彼にとっても本望だろう。
 九州の宮崎は亜熱帯性の気候で、夏は雨も多い。快晴の日に空港に降り立つことができたのはさいわいだった。
二十七歳になった岬美由紀は、宮崎空港のレンタカー棟でハーレーのリッターバイク、ロードスターを借りた。
係員はしきりにもっと小さなバイクが女性向けだと力説していたが、大型バイクについて講釈を受ける必要はなかった。足つきさえよければ、排気量は大きいほどいい。動体視力と反射神経に自信のある美由紀にとっては、一千cc以下のエンジンでは走行時にフラストレーションが溜《た》まるばかりだった。
ロッカールームでエンジいろのつなぎに着替えて、バイクで公道に乗りだした。
航空大学校は空港と隣接してはいても、距離は少しばかり離れている。全速力で飛ばしても、それなりに時間はかかる。心理学の特別講義の終了時刻まで、もうそれほど猶予はない。
パームツリーが立ち並ぶ海岸線を駆け抜け、航空大学校の正門に乗りいれる。警備員に国際線の特別講義を実施している教室の場所を聞き、その敷地内に入った。
ここはパイロットを養成する専門機関だ。空港と地続きの立地とは羨《うらや》ましい話だと美由紀は思った。防衛大は基地から離れているので実技の回数にも制限があったからだ。
バイクを校舎の脇に停めて、美由紀は吹き抜けのホールに足を踏みいれた。チャイムが鳴っている。二階のバルコニー状の通路に、大教室から人が吐きだされるのが見えていた。
目当ての人物は、すぐに見つかった。分厚いファイルを小脇に抱えて、せかせかとした足取りで螺旋《らせん》階段を下りてくる痩身《そうしん》の男。まぎれもなく二年前に百里基地の会議室で向かいあった、笹島雄介に違いなかった。
階段を下りきるまで待って、美由紀は声をかけた。「笹島先生」
笹島は足をとめ、振りかえった。
どこか優雅にみえる身のこなし。三十一歳になったはずのその顔は、以前と少しも変わったところがなかった。髪を短くしたせいか、むしろ若がえったようにも思える。その涼しげな目つきが、美由紀にとってはかえって腹立たしかった。
「やあ」笹島は親しみのある微笑を浮かべた。「これは驚いた。岬二尉じゃないか」
「元二尉よ」美由紀は歩み寄った。「あいかわらず忙しいのね。先週まで羽田の航空保安大学校の心理学の授業を担当してたのに、今度は宮崎にまで来てるなんて」
「航空関係者の心理について研究している専門家が、ほかにいないんでね」
「きょうは国際線に関する講義なのに、国内便の資料を抱えてるの?」
「なぜわかる?」
「それ、V17─V59─V52って書いてある。大島から浜松、名古屋、小松への航空路、つまり空の道でしょ」
「さすがだね……引退したのに。ご名答だよ。わずかな空き時間にも、自分用の研究を進めたくて」
「いまも理論重視なのね」
「まあ、ね。……ところで、ここになんの用? パイロットを目指すのかい? きみなら確実にトップクラスの仲間入りだろうけどな」
「まさか。操縦|桿《かん》を握るつもりなんて、もうないの。わたしがどんな道を目指すのかは、前に伝えたはずでしょ」
「すると、臨床心理士になったのかい?」
美由紀はため息まじりに首を振った。「いいえ、まだよ。やっと資格試験を受けるのに必要な臨床の経験年数を満たしたところだし、試験はこれからだし。でも、あなたとの約束を果たすために充分な知識は得られたわ」
なんの目的でここを訪ねたか、笹島には察しがついたらしい。笹島は表情を曇らせてつぶやいた。「ああ、そのことか……」
「辛《つら》い記憶が抑圧され、無意識の世界に封じこめられていて、本人は意識しないけれども、それが|心的外傷後ストレス障害《PTSD》を引き起こす。いわゆるトラウマっていうやつね。二年前、あなたはわたしと板村三佐について、過去のトラウマが原因で精神面に異常をきたしたと結論づけた」
通りすがる学生たちの目が気になるらしい。笹島はなだめるように声をひそめていった。
「きみも勉強したならわかると思うけど、精神医学の世界というのは日進月歩で……」
「トラウマによる抑圧だなんて。そんなの、古色|蒼然《そうぜん》としたフロイト理論に基づく迷信にすぎないわ。かつては学問として研究されたこともあるけど、いまはもう時代遅れ」
「アメリカ精神医学会は、まだフロイトを完全否定したわけではないよ」
「ええ。あなたが聖書のようにみなすDSMにフロイトの名前は残ってる。ただし、不安障害について潜在的理由とか無意識の働きとか、そういう説もあるって軽く触れられてるにすぎない。かつての辛い記憶を失った相談者が、カウンセラーの手助けで幼少のころの失われたショッキングな記憶を取り戻すなんて、すべてがフィクションにすぎなかった。精神障害を両親のせいにすることで、相談者本人は罪の意識から逃れられるし、カウンセラーの側は独善的な判断によって人を正しい道に導いたと自負できるっていう、互いのエゴを満足させる甘えた関係が成立する。両者のうぬぼれの儀式にすぎなかったのよ。まるで宗教と同じ。非科学的ね」
「手厳しいな」笹島の表情は穏やかなものだった。「たしかに認知心理学の研究が進んだ現在、かつては心理面に起因するとされた障害の多くが、脳の化学物質の代謝異常など生理学的な理由だと判明してきた」
「脳内のニューロンに情報伝達を促進する、神経伝達物質の段階で起きる障害が原因になってる。心理的ショックだとか、人生における悲しみや怒りにすべての異常の要因を求めるなんて、あきらかに度が過ぎてる。だいたい、トラウマ体験が無意識に抑圧されるって説や、それが原因で異常が起きるって説には、信じるに足る科学的根拠や裏づけなんかどこにもなかった。それなのに、さももっともらしく流布されて人々に真実として受けいれられてしまった」
「きみのいうとおりだよ」笹島はあっさりといった。
美由紀は口をつぐんだ。笹島からいかなる反論があろうと、論破する覚悟でやってきた。しかし笹島は、案外すなおに自分の非を認めた。
笹島は深いため息をついた。「この学問の世界は、ときどき信じられない勢いでエセ科学が蔓延《まんえん》する。とりわけ日本では迷信がはびこる率が高い。最初は人を意のままに操る催眠術、次が血液型性格分類。そして今度はトラウマ論。ぜんぶ非科学的な理屈がまかり通ってブームとなってしまった、その名残りが世間にはまだ尾をひいてる」
「あなたたち専門家がはっきりと見解の誤りをしめさないから、いつまで経っても迷信はなくならないのよ。欧米では幼少のトラウマはおもに父親のせいで、日本では母親のせいにされる傾向がある。科学的事実なら、こんな偏りは生じないんじゃなくて?」
「ああ、違いないな。きみのいうことはすべて正論だよ」
「……じゃあ、二年前の申し立てを撤回してくれる?」
「撤回?」
「防衛大の内部部局、人事教育局宛に訂正の文書を送付して。板村三佐が事故のトラウマによって判断ミスをしでかしたなんて、すべてナンセンス。そう認めてほしいの。板村三佐の復職と名誉回復に、力を貸してほしいのよ」
「それは」笹島は口ごもった。「できない」
「どうしてよ」美由紀は怒りを覚えた。「あなたの報告が事実に反していて、それを元に板村三佐は……」
「あの時点では誤りではなかったんだ。きみもそれだけ勉強したのなら、知っているだろ? 神経症なるものが心理的要因によって生じ、心理的な療法で治るという理屈がDSMから姿を消したのは、第三版の改訂時だ。それからは不安障害という症名でくくられるようになった。にもかかわらず、第四版でPTSDが登場すると、その素因としてトラウマ論がまたもや持ちだされてきた。理由は、PTSDってものが、ベトナム帰還兵への政府補償のために都合よく作りだされた症例だったからだ。いわばアメリカ精神医学会さえも、政治的な理由に振りまわされているってことの証明だよ。日本はその表層だけを受けいれて、PTSD、トラウマ、すべて過去の心の傷だなんて解釈を肥大化させてしまった。二年前まで、日本の精神医学界はまだその解釈を主流として引きずっていたんだ」
「なら、なおさらのこと真実を追求するべきでしょ」
「幹部自衛官だったきみには、防衛省の内部部局がどのように人事の決定を下すのか、あるていどわかっていると思う。僕からの報告は、二年前に義務づけられたものだ。その時点で報告が正しいか正しくないか、彼らが果たすべき義務もそこだけにあった。板村三佐を免職にする提案は防衛参事官、事務次官、長官政務官を通じて、最終的に長官によって了承された。なにもかも二年前のことだ。あのとき、すべては正しかった。それだけだ」
「そんな……。じゃあ、板村三佐が裁判に訴えでもしないかぎり、決定は覆らないっていうの?」
「半年ほど前、防衛省は板村元三佐に対し、あのときの免職についてどう思っているかを文書でたずねた。現在は民間の空港で管制官を務める板村元三佐は、すべてを納得して受けいれていますと手紙で返事を寄越した」
美由紀は衝撃を受けた。
先に手をまわしたのか。精神医学界におけるトラウマ理論の終焉《しゆうえん》を予感した防衛省は、かつての判断の誤りを指摘されるのを恐れ、板村に訴訟の意志がないことを明確にさせたのだ。
「ずるいわね」美由紀は憤りとともにいった。「元幹部自衛官が組織に逆らえないと知って、わざと意志を確認したのね。本心はどうであれ、争う気がないと直筆の手紙に記録が残った以上、もう裁判の心配はない。あなたたちは自分たちの責任逃れしか考えてない。板村三佐がどんなに傷ついたか、それをわかろうともしない」
「しかし……。彼が命令違反を犯したのは事実だよ」
「ええ。わたしもね。でも理由を聞かれたのなら、徹底的に自分の信念を主張するつもりでいた。それなのに、あなたのせいでそのチャンスはつぶされた。トラウマだなんて非科学的な理由づけで、異常とひとくくりにされてしまった……」
静寂が訪れた。
いつの間にかホールでは、学生らが足をとめてこちらを眺めていた。ライダースーツ姿の女が心理学の講師となにを言い争っているのか、興味を惹《ひ》かれたのかもしれない。美由紀が顔をあげると、学生らはそそくさと退散していった。
「あのう、岬元二尉」笹島は戸惑いがちにささやいてきた。「いや、岬さんと呼ばせてほしい。こんなことになって、本当に申しわけなく思ってる。僕が防衛省の動きを察知したときには、もう板村元三佐が回答の書面を寄越した後だった。たとえわかっていたとしても、組織の規則では……」
が、そのとき、美由紀は瞬時に視覚から得た情報に突き動かされた。
「嘘をいわないでよ!」と美由紀は怒鳴った。「あなたはたしかに反省してはいるけど、知らなかったなんて真っ赤な嘘。防衛省に火消しの提案をしたのはあなたでしょう。板村三佐のトラウマうんぬんについて、早めに問題を解消しておかないと自分の身が危うくなると知って、あなたは文書のやりとりを防衛省に提案した。そのことに対し罪悪感は抱いているけど、同時に安堵《あんど》も覚えていたはずよ。いま問い詰められて心拍が速まっている」
「ちょ、ちょっと。ちょっと待って」笹島はあわてたように両手をあげて、美由紀を制した。「その……。どうしてわかるんだ? 僕のところに来る前に、防衛省を訪ねたのか?」
「いいえ」説明するのももどかしい。美由紀は早口にまくしたてた。「笹島先生、リエゾン精神科医なら、臨床心理士と同じぐらいカウンセリング技術には精通しているはずでしょ。相手の表情の読み方ぐらい、練習して身につけてないの? 唇の両端が下がっていると同時に両頬が持ちあがってる。視線が下に向きがちで上まぶたが落ちてる。あなたが罪の意識を感じていなければこんな表情にはならない。悲しみを生じていることは、反省と罪悪感につながっていると考えられる。でも、ときおり眉《まゆ》があがったりする。嘘が発覚することを恐れる脅《おび》えの心理に近い。ようするに、あなたが事実を偽っているがゆえに体裁の悪さを感じている可能性が高いのよ」
「だ、だけど……。いや、たしかに理論的にはそうなんだけど、ほんのわずかな表情筋の変化のはずだろ。それも一瞬にすぎないはずだし……」
美由紀には、笹島がなぜ驚きの感情をしめしているのか理解できなかった。
だがそんなことよりも、怒りにまかせてわめき散らす衝動を抑えられなかった。「とぼけないで。感情は自覚なく表情に表れる。先天的なものじゃなく、後天的に学習した行動が生みだされる。これは誰でも避けられない。直後に、自律神経系が活発になって、行動を絶え間なく修正したり抑制を図ったりするけど、それまでに表れる感情の信号は明確かつ明白なものよ」
「それはそうなんだけど、岬さん。感情の兆候が表情に表れるのは〇・二五秒からせいぜい〇・五秒ていどだよ。悲しみは比較的長いけど、驚きについてはまさに瞬時の反応にすぎない。ビデオの映像をスロー再生して、やっと分析できるていどのはずだ」
「お世辞なんかたくさんよ。精神医学界の先輩として、わたしの才能を評価してくれてるの? あいにくだけど、わたしにとってあなたは尊敬の対象じゃないわ。保身を図って、過去の汚点に目をつぶって、わたしにも真実を語ろうとしなかった。トラウマなんてものがこの世にあるなら、あなたがさいなまれるべきね」
喋《しやべ》っているうちに、泣きそうになってくる。ただ吠《ほ》えることしかできない自分が愚かしかった。美由紀は憤りを抑えながら、笹島に背を向けて歩きだした。
笹島がその背に声をかけてきた。「岬さん。本当にすまない。反省してるよ」
歩が緩む。感情は、表情よりも声に表れる。そのトーンが嘘偽りを含んだものでないことが、かえって恨めしかった。あくまでわたしを騙《だま》しおおそうとする悪人であってくれればいいのに、彼はいま心から申しわけなさそうにしている。
それでも、自分を裏切った男に対する怒りはおさまらない。美由紀は振りかえると、笹島に厳しくいった。「本当に反省する気があるのなら、あなたもいちど職を失ってみることね。精神科医の看板を下ろしたら? 少なくとも、航空機に関わる人間の心理分析の権威っていう触れこみは、すでに地に堕《お》ちたものになったわ。わたしにとってはね」
「すまない……」笹島は学生らの目に晒《さら》されながらも、謝罪の言葉を繰りかえした。「だけど、僕はこの仕事を辞めるわけにはいかないんだ」
「どうして?」
「きみが情熱的に生きる理由と、おそらく同じだよ」笹島はまっすぐに美由紀を見つめ、つぶやいた。「両親を亡くしたんだ。航空機事故で」
時間が静止したように、美由紀には感じられた。
しばしのあいだ、立ちつくす笹島の目をじっと見つめかえした。それしかできない自分がいた。
耐え難い不可思議な感情が押し寄せ、美由紀は身を翻して駆けだした。この場から逃げ去りたい、そう思ったからだった。
笹島の言葉が偽りでなく、真実であることはあきらかだった。体感的に表情から感情を読み取る方法を学んだ以上、同じ感情を抱いたことのある美由紀にとって、疑いの余地はない。彼の心はまぎれもなく自分のそれと一致していた。
突然の事故で両親を失った、そのたとえようのない衝撃。心の奥底に介在しつづける深い悲しみと無力感。彼もそれを抱いている。そんな彼と、向き合っていたくなかった。鏡を見つめているようだ。
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