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千里眼40

时间: 2020-05-27    进入日语论坛
核心提示:確率 ふたりのロシア大使館員らを送りだしてから、美由紀は困惑を覚えつつ事務局のなかに戻った。難民救済への協力には興味があ
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確率

 ふたりのロシア大使館員らを送りだしてから、美由紀は困惑を覚えつつ事務局のなかに戻った。
難民救済への協力には興味があるが、二日後に出発とは。もし承諾するのなら、あらゆる予定を先送りにしなくてはならない。
予約の入った相談者《クライアント》の了解が得られるかしら。軽い頭痛を覚えながら事務室に向かった。
そのとき、いきなり男の叫ぶ声が聞こえた。「いやだー!」
はっとして振りかえる。その声はカウンセリング用ブースから響いていた。さらに、どたばたと暴れる物音がつづく。
あわてて通路を駆け戻り、騒ぎの起きているブースのドアをノックした。「どうかしたんですか?」
ドアはきちんと閉じられておらず、美由紀のノックによって半開きになった。
小さな机をはさんで静かに語りあうはずの臨床心理士と相談者は、狭い部屋の隅でもみあいになっていた。
四十すぎの痩《や》せたサラリーマン風の男が、顔を真っ赤にして泣き叫んでいる。
彼の動揺を抑えようとしているのは、美由紀と同世代の臨床心理士、徳永良彦《とくながよしひこ》だった。
徳永は男の両腕をつかみながら、声だけは穏やかにいった。「古屋さん、どうか落ち着いてください。座って話しましょう。ね?」
「いやだ。話し合うなんて、まやかしだ。こんなところにいたら危険だ!」
「またそんなことを……」
「保証はあるのか。え? もし取り返しのつかない事態でも起きたら、おまえがどうかしてくれるのか!?」
「だからそれは……」徳永は振り向き、美由紀にいった。「すまない。手を貸してもらえないかな」
美由紀は面食らったものの、事態にはさほど驚かなかった。
臨床心理士をしていれば、いろいろな人間と出会う。この古屋という男も派手に騒ぎ立ててはいるが、それほど異常とは思えない。
近づこうとしたが、古屋は徳永の手を振りほどき、また暴れだそうとした。
すかさず美由紀は手首をとって捻《ひね》り、合気道の小手返しの要領で一時的に動作を封じながら、古屋を椅子に腰掛けさせた。
瞬時に椅子の上に引き戻された古屋は、なにが起きたかわからないらしく、きょとんとして美由紀の顔を見あげた。
「こんにちは」と美由紀は笑いかけた。「なにか悩みがおありなら、相談に乗りますよ」
「ああ……」古屋の顔はまた、緊迫したものになった。「ここにいちゃ危険だ。なにが起きるかわからん。というより、いつなにが起きてもおかしくない。俺はどうすりゃいいんだ!」
「どうか冷静に。なにが起きるっていうんですか?」
「なにがって、きみはテレビのニュース、観ないのか。株価が暴落してる。けさも預金を解約して全額引きだす客があとを絶たん。ただでさえ厳しいノルマを課せられてるのに、これじゃクビだ」
「ということは、古屋さんは銀行員なんですか?」
「そうとも。だが恐ろしいのはそればかりじゃない。全国で殺人が起きてる。このところ毎日のように、人が殺されたニュースが報じられている」
「ええ、そうですね。でも、古屋さん。日本には一億三千万人がいて、大多数の人は事件とは無縁に生きているんですよ。ニュースだけ観ていると陰惨な時代に思えますけど、それはごく一部のことで……」
「いいや! 気休めはよせ。俺は銀行員だ、数字には強い。殺人や傷害致死、強盗致死、業務上過失致死、放火での死亡。ぜんぶ足すと一年で千四百四十人。これに交通事故死の八千七百人を加えてみろ。十万人ごとに八人が殺されてるわけだ。〇・〇〇〇〇八パーセントの確率で殺されちまう。ほとんどゼロだとでもいうか? 限りなくゼロに近くても、ゼロじゃない。そのわずかな可能性に俺が当てはまらないとどうして言える? ふいに、いきなり殺されるかもしれない。いま誰かが侵入してくるかもしれないってのに、どうしてそんなに落ち着いていられる?」
「なるほど。頭の回転がすばらしく速いですね」
「いや、それほどでも……。とにかく、きみもこんなところにいちゃいけない」古屋は徳永を指さした。「こいつに殺されないとも限らないんだぞ」
徳永はうんざりしたようにいった。「古屋さん……」
美由紀は徳永を振りかえった。「いいから。わたしにまかせて」
古屋は両手で頭を抱えて、震える声でつぶやいた。「駄目だ。想像するだけでも恐ろしい。急に殺される。刃物で刺される。あるいは、固いもので後頭部を一撃される。激痛、それから絶命だなんて……。ああ、いやだ。なんで殺人なんかあるんだ。この世は地獄だ」
「古屋さん」美由紀は話しかけた。「たとえば、この事務局のなかにいれば、他人の喧嘩《けんか》に巻きこまれて死ぬという確率が低いのはわかりますね? 事故についても、とっさに逃れることができることも考えられます。ただし、自分に殺意が向けられているときには、そうもいきません。つまりどこにいても恐れるべきは殺人です」
「そうだ……。そのとおりだよ」
「美由紀」徳永が当惑したように口をはさんだ。「助長してどうするつもりだよ」
「心配しないで」美由紀は徳永にそういってから、古屋に目を戻した。「殺人件数を人口総数で割ると、〇・〇〇〇〇一一パーセントってところですけど」
「そうだ。俺はその確率が恐ろしい」
「いまジャンボ宝くじの発売期間中ですけど、一等二億円の当選確率は何パーセントでしょうか?」
「ええと……。〇・〇〇〇〇〇〇一パーセントだ……。ほらみろ、宝くじに当たるより百十倍も高い確率で、殺されちまうんだ! どうにもならん。警察に相談したって、まともに取りあってくれない。いつ不条理な殺され方をするか、わかったもんじゃないんだ」
「警備会社に相談にいったら? 自分専用のガードマンに守ってもらうとか」
「行ったさ。そしたら救急車呼ばれて、病院でここを紹介されたんだ。俺はな、おかしくなんかない。悠長にかまえている人間のほうが馬鹿なんだ。現実を見ろってんだ、現実を」
「本気でガードマンを雇おうと思ったんですか? すごくお金がかかりますけど」
「安心できるなら家やクルマも売る覚悟だ。女房とは別れちまったし、なにもかも自分できめられる。でも金で解決できるなら、こんなに騒いだりしない。誰も請け負っちゃくれない」
「お金をかける覚悟がおありなら、ジャンボ宝くじを買いにいってはどうですか?」
「え……?」
「殺人という低い確率を信じられるのなら、宝くじが当たる確率も、本気で信じられると思うんですけど」
「馬鹿にしてるな。宝くじは当たらない、だから殺人も起きないというんだろ。だが、殺人ってのはな、宝くじより百十倍も高い確率で……」
「十一組、百十枚の宝くじをお買いになってください。そうすれば当たる確率は百十倍。殺人の起きる確率とまったく同じです」
古屋は口ごもった。「あ……まあ、そうかもしれないが……」
「ここを出て本郷通りの角に宝くじ売り場があります。いま買いに行ってください」
「いま? ……しかし、表に出たら通り魔が襲ってくることも……」
「それなら殺人の確率に当たったことになりますから、同確率の宝くじにも当選する可能性が充分にあるわけです。なんとか生きのびてでも購入すれば、当たるかも」
「そうか」古屋はふいに、妙に納得した顔になった。「……まあ、そう……だな。だが、外にでたら、ここを閉めちまうつもりじゃないだろうな」
「そんなことしません。戻ってきたら、また話しましょう。でも、ちゃんと百十枚買ってくださいね」
「わかった……。じゃ、ちょっと行ってくる」古屋は立ちあがると、カバンをたずさえてそそくさと部屋を出ていった。
徳永は倒れた椅子を元に戻しながら、美由紀にいった。「やれやれだよ。不安障害だ。自律神経系の活動が過剰だ」
「特定の条件に対する不合理な恐怖症ね。殺人への恐怖に近視眼的になりすぎてる。でも宝くじ当選に希望をみいだしているのだから、そうした不安は充分な物質的喜びに満たされることで解消されると、本人もうすうす気づいてる」
「結局、奥さんとの離婚を経験したうえに、職場をクビになるかもしれないっていう不安に起因してるってことだな。たしかに、けさの株価暴落は異常だったけどね。銀行屋さんや個人投資家があちこちでパニックを起こしてるって話も聞いたよ」
「でも古屋さんの場合は、そこまで心配いらないわよ。きっと安定を取り戻す」
「そうかな? こっちの話を聞こうともしないし、精神科医に薬の処方を受けたほうがいいんじゃないか」
「だいじょうぶ。わたしにはわかるの」
「ふうん……。ま、きみがそういうのなら、そう信じることにしよう。助けてくれてありがとう。とはいえ、きのうはきみの相談者を僕が受け持ったから、おあいこかな」
「わたしの相談者って?」
「正確には、きみのカウンセリングを受けることを希望してた人ってことだけどね。水落香苗《みずおちかなえ》っていう、十八、九の女の子だった」
「次はいつ来るの?」
「いや」徳永は苦笑した。「もう来ないよ。よくある勘違いさんでね。幼少のころに辛《つら》いトラウマを抱えてて、カウンセリングでその記憶を取り戻したいとかいうんだ」
「ああ……。一時|流行《はや》った自分探しの旅ってやつね」
「そうとも。抑圧された記憶だとか、トラウマだとかはフィクションで、現在は科学とは考えられていないと言ってきかせておいた。いろんなところで断られたみたいで、最終的に有名人のきみなら力を貸してくれると思ったみたいだ。夢追い人は、僕らみたいな無名人のいうことには耳も貸さないからね。それでも最後は納得してお帰りになったよ」
本当に納得してくれただろうか。
トラウマ論の幻想は根深い。一時期、そんなドラマや小説が世に溢《あふ》れたせいだ。実際に、トラウマからの脱却や記憶回復療法を売りものにした民間セラピストやカウンセラーも枚挙にいとまがない。
誤解が続いていたとしても、水落香苗に罪はない。事実はまだ、世に広く知れ渡っているとはいえないからだ。
携帯が鳴った。美由紀が取りだしてみると、液晶板には高遠由愛香の名が表示されている。
電話にでて美由紀はきいた。「もしもし。チケットの抽選、どうだった?」
「さっぱり駄目よ」由愛香の声が愚痴っぽく告げた。「ハガキの応募で百人ぐらいが当たる懸賞があるから、それに賭《か》けるしかないわね」
「ハガキの応募……。そう……」
「いまから雪村藍《ゆきむらあい》ちゃんとも合流して、喫茶店で一緒にお茶でもしながらハガキ書こうかって言ってるんだけど。美由紀も手伝ってくれない? たくさん出したほうがいいし」
雪村藍は、美由紀と由愛香の共通の友人だった。そういえば彼女もセブン・エレメンツには熱をあげている。へたにチケットが一、二枚手に入ったら、三人の友情にひびが入るかもしれない。
とはいえ、コンサートを諦《あきら》められない自分がいる。それは否定できない。
「でも、いまからなんて……。勤務中だし」
「抜けだしてきてよ。千里眼の女に書いてもらったほうがご利益があるし」
「そういう仕事の方向性じゃないんだけど……。わかった、すぐいくから」
電話を切って、美由紀は徳永にいった。「ごめん。ちょっと急用で外に出るから」
「へえ。なんの用?」
「そのう……相談者の子が、こっちまで来れないっていうんで……」
「きみは嘘が下手だなぁ。千里眼と言われるほどなのに、自分の表情には気がまわらないのかい?」
同世代であっても、この分野では何年も先輩の徳永が美由紀の嘘を見破れないはずもなかった。
「あ……あの。すみません。セブン・エレメンツのことになると、つい夢中になっちゃって……」
「いいから、行っておいで」と徳永は笑った。「宝くじよりは、確率も高そうだからさ」
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