ベルデンニコフ一家に代々伝わるナホトカの屋敷は、ベレゾフスキー・ベルデンニコフの代になって大規模な改装が施された。
古臭いソビエト時代の名残りに満ちたモダニズム様式などうんざりだとベルデンニコフは思った。黒一色に統一された内装に、シンプルで機能的なハイテクの装置を随所に埋めこむ。来客は外の伝統的な街並みからこの邸内に足を踏みいれ、目を見張る。この心理的効果があればこそ、商談はまとまる。マフィアも頭を使う時代だ。
ところが、きょうやってきた訪問客は、そのような反応などいっさいしめさなかった。面食らったのはむしろベルデンニコフのほうだった。
黒スーツ姿の部下たちの案内でホールに通されてきたのは、西欧のファッション雑誌のグラビアのごとく派手な身なりをした、金髪の女だった。
年齢は三十半ばと思われるが、抜群のスタイルのよさと完璧《かんぺき》なメイクのせいでずっと若くみえる。
喪服のような黒のドレスにつば広の帽子を斜めにかぶり、うすいベールで顔をわずかに隠していた。身体のそこかしこを彩る宝石は光源でも内蔵しているかのように光り輝いている。
「はじめまして、ベレゾフスキー」ジェニファー・レインはにこりともせずにいった。「いよいよ計画実行ね。スポンサー代表として楽しませてもらうわ」
グルジア訛《なま》りの言葉、見下した態度。なにもかもが気に障る。莫大《ばくだい》な資金の提供さえなければ、この女に頭をさげることなどありえない。
それでも、いまは自制が必要だった。ベルデンニコフはいった。「ようこそ。おくつろぎになって楽しんでください。極東のちっぽけな島国が歴史から消え去る瞬間をね」
「その前に、念のために確認したい事項があるの。今度の計画はメフィスト・コンサルティング・グループの承認と後援を取りつけて、小社マインドシーク・コーポレーションが資金を集め、実際の遂行はあなたたちベルデンニコフ一家にまかせた。わたしたちが資本家、あなたたちは労働者。そこのところ、理解していただいてるかしら」
「……まあ、契約ですからな」
「そう。契約。世の中にはどうして契約書ってものがあるのかしら。それは約束を守らない、裏切りという行為が起こりうるからよ。もし計画が失敗した場合、多大な出資の損失については、あなたの所有する権利のすべてをいただくことで補填《ほてん》させていただく。あなたの表の顔である造船会社の収益、マフィアとしてのあらゆる利益、この邸宅、資産。すべて吸収させていただくから、そのおつもりで」
「お互いさまですよ。あなたがたも、成功のあかつきにはわれわれに相応の報酬を分配することをお忘れなく」
「よろしくて、ベレゾフスキー? あなたは計画実行の前に果たすべき義務のすべてを、果たし終えてないと思うんだけど」
「はて。なんのことですかな」
「小社は計画の安全確認のために、あらゆる角度からの検証とシミュレーションをお願いした。その最後のデータについてはまだ拝見してないけど」
「ああ、あれですか……。お伝えしたように、ファントム・クォーターでの実験で、インヴィジブル・インベストメントの存在を看破した者は三名。うち二名は不正があきらかになったため、正確な合格者は一名のみです。透視能力者として名高い七十九人のなかでも、発見できたのは一名のみです。あなたがたの危険予測では二名以上なら計画中止というご判断だったはずですな? 安全は充分に立証されたと思いますが」
「その三名だけど。きちんと始末した?」
「そこは……」ベルデンニコフは口ごもった。「不正を働いた二名のうち一名は始末したのですが、残りの一名と、本来の合格者一名については……」
「生きたまま帰したっていうの?」
「もちろん消そうとしました。が、部下が取り逃がしまして……」
ベルデンニコフはボブロフを見た。頭に包帯を巻いた巨漢のボブロフは、気まずそうに視線を逸《そ》らした。
ジェニファーもちらとボブロフを見てから、またベルデンニコフに目を戻した。「秘密を知る者がふたりも野放しになっているのね」
「フランス人の若者と日本人の小娘です。それぞれが祖国で騒ぎ立てたところで、まともに取り合ってくれる者は皆無でしょう」
「データを見せて」
しつこい女だ。こちらの粗を探して、計画後に分配する報酬を減額しようと狙っているのかもしれない。あいにく、月並みな脅しに屈するようなベルデンニコフ一家ではない。
「資料を持って来い」とベルデンニコフは部下に命じた。
プリントアウトされた書類の束が運ばれてくる。ベルデンニコフはそれをジェニファーに手渡した。「合格者がインヴィジブル・インベストメントの存在に気づいた経緯からも、発見がきわめて困難であることがお分かりいただけるでしょう」
だが、書類に目を落としたジェニファーの表情は和らぐどころか、眉間《みけん》に深い縦じわが刻まれた。
「……岬……美由紀?」
「千里眼の女と呼ばれてるということだったので、いちおうリストに加えておいたんです。元幹部自衛官だからか、フレキシブル・ペリスコープの噂は事前に聞き及んでいたようで……」
そのとき、ジェニファーがいきなり書類をベルデンニコフに投げつけた。
周囲の部下たちが身構え、邸内に緊張が走る。ベルデンニコフの頬にわずかな痛みを残し、紙はばさばさと床に落ちた。
ジェニファーは冷ややかな顔でいった。「計画が水泡に帰したら、すべてはあなたのせい。それを充分に含み置いておくことね」
それだけいうとジェニファーは背を向け、ホールに歩を進めていった。
初めて訪れたはずの邸内で、計画の進行を映しだす巨大なプロジェクター・スクリーンの位置もなぜか把握しているらしく、最も見やすいソファに腰をおろしている。
「ボブロフ」ベルデンニコフは部下を呼びつけ、小声でささやいた。「万が一、あの女に有利なことになったら……迷わずに消せ」
計画に失敗はない。だが、もし結果がそうならなくとも、俺のシマで勝手な真似はさせん。資本主義社会の常識がここでは通用しないことを思い知るがいい。ベルデンニコフは激しい憤りを抑えながら、心のなかで罵《ののし》った。売女《ばいた》め。
古臭いソビエト時代の名残りに満ちたモダニズム様式などうんざりだとベルデンニコフは思った。黒一色に統一された内装に、シンプルで機能的なハイテクの装置を随所に埋めこむ。来客は外の伝統的な街並みからこの邸内に足を踏みいれ、目を見張る。この心理的効果があればこそ、商談はまとまる。マフィアも頭を使う時代だ。
ところが、きょうやってきた訪問客は、そのような反応などいっさいしめさなかった。面食らったのはむしろベルデンニコフのほうだった。
黒スーツ姿の部下たちの案内でホールに通されてきたのは、西欧のファッション雑誌のグラビアのごとく派手な身なりをした、金髪の女だった。
年齢は三十半ばと思われるが、抜群のスタイルのよさと完璧《かんぺき》なメイクのせいでずっと若くみえる。
喪服のような黒のドレスにつば広の帽子を斜めにかぶり、うすいベールで顔をわずかに隠していた。身体のそこかしこを彩る宝石は光源でも内蔵しているかのように光り輝いている。
「はじめまして、ベレゾフスキー」ジェニファー・レインはにこりともせずにいった。「いよいよ計画実行ね。スポンサー代表として楽しませてもらうわ」
グルジア訛《なま》りの言葉、見下した態度。なにもかもが気に障る。莫大《ばくだい》な資金の提供さえなければ、この女に頭をさげることなどありえない。
それでも、いまは自制が必要だった。ベルデンニコフはいった。「ようこそ。おくつろぎになって楽しんでください。極東のちっぽけな島国が歴史から消え去る瞬間をね」
「その前に、念のために確認したい事項があるの。今度の計画はメフィスト・コンサルティング・グループの承認と後援を取りつけて、小社マインドシーク・コーポレーションが資金を集め、実際の遂行はあなたたちベルデンニコフ一家にまかせた。わたしたちが資本家、あなたたちは労働者。そこのところ、理解していただいてるかしら」
「……まあ、契約ですからな」
「そう。契約。世の中にはどうして契約書ってものがあるのかしら。それは約束を守らない、裏切りという行為が起こりうるからよ。もし計画が失敗した場合、多大な出資の損失については、あなたの所有する権利のすべてをいただくことで補填《ほてん》させていただく。あなたの表の顔である造船会社の収益、マフィアとしてのあらゆる利益、この邸宅、資産。すべて吸収させていただくから、そのおつもりで」
「お互いさまですよ。あなたがたも、成功のあかつきにはわれわれに相応の報酬を分配することをお忘れなく」
「よろしくて、ベレゾフスキー? あなたは計画実行の前に果たすべき義務のすべてを、果たし終えてないと思うんだけど」
「はて。なんのことですかな」
「小社は計画の安全確認のために、あらゆる角度からの検証とシミュレーションをお願いした。その最後のデータについてはまだ拝見してないけど」
「ああ、あれですか……。お伝えしたように、ファントム・クォーターでの実験で、インヴィジブル・インベストメントの存在を看破した者は三名。うち二名は不正があきらかになったため、正確な合格者は一名のみです。透視能力者として名高い七十九人のなかでも、発見できたのは一名のみです。あなたがたの危険予測では二名以上なら計画中止というご判断だったはずですな? 安全は充分に立証されたと思いますが」
「その三名だけど。きちんと始末した?」
「そこは……」ベルデンニコフは口ごもった。「不正を働いた二名のうち一名は始末したのですが、残りの一名と、本来の合格者一名については……」
「生きたまま帰したっていうの?」
「もちろん消そうとしました。が、部下が取り逃がしまして……」
ベルデンニコフはボブロフを見た。頭に包帯を巻いた巨漢のボブロフは、気まずそうに視線を逸《そ》らした。
ジェニファーもちらとボブロフを見てから、またベルデンニコフに目を戻した。「秘密を知る者がふたりも野放しになっているのね」
「フランス人の若者と日本人の小娘です。それぞれが祖国で騒ぎ立てたところで、まともに取り合ってくれる者は皆無でしょう」
「データを見せて」
しつこい女だ。こちらの粗を探して、計画後に分配する報酬を減額しようと狙っているのかもしれない。あいにく、月並みな脅しに屈するようなベルデンニコフ一家ではない。
「資料を持って来い」とベルデンニコフは部下に命じた。
プリントアウトされた書類の束が運ばれてくる。ベルデンニコフはそれをジェニファーに手渡した。「合格者がインヴィジブル・インベストメントの存在に気づいた経緯からも、発見がきわめて困難であることがお分かりいただけるでしょう」
だが、書類に目を落としたジェニファーの表情は和らぐどころか、眉間《みけん》に深い縦じわが刻まれた。
「……岬……美由紀?」
「千里眼の女と呼ばれてるということだったので、いちおうリストに加えておいたんです。元幹部自衛官だからか、フレキシブル・ペリスコープの噂は事前に聞き及んでいたようで……」
そのとき、ジェニファーがいきなり書類をベルデンニコフに投げつけた。
周囲の部下たちが身構え、邸内に緊張が走る。ベルデンニコフの頬にわずかな痛みを残し、紙はばさばさと床に落ちた。
ジェニファーは冷ややかな顔でいった。「計画が水泡に帰したら、すべてはあなたのせい。それを充分に含み置いておくことね」
それだけいうとジェニファーは背を向け、ホールに歩を進めていった。
初めて訪れたはずの邸内で、計画の進行を映しだす巨大なプロジェクター・スクリーンの位置もなぜか把握しているらしく、最も見やすいソファに腰をおろしている。
「ボブロフ」ベルデンニコフは部下を呼びつけ、小声でささやいた。「万が一、あの女に有利なことになったら……迷わずに消せ」
計画に失敗はない。だが、もし結果がそうならなくとも、俺のシマで勝手な真似はさせん。資本主義社会の常識がここでは通用しないことを思い知るがいい。ベルデンニコフは激しい憤りを抑えながら、心のなかで罵《ののし》った。売女《ばいた》め。