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千里眼131

时间: 2020-05-27    进入日语论坛
核心提示:絶望の記憶どれだけの時間が過ぎたのか、判然としない。寒い。身も凍える寒さが身体を包んでいる。美由紀が感じたのは、固いコン
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絶望の記憶

どれだけの時間が過ぎたのか、判然としない。
寒い。身も凍える寒さが身体を包んでいる。
美由紀が感じたのは、固いコンクリートの表面だった。
うつぶせに寝ている。
てのひらと頬に、この材質特有のざらつきを感じる。
目を開けた。
焦点の合わない視界が、しだいにはっきりしてくる。
失神状態から回復するときに特有の、ふいにこみあげてくる嘔吐《おうと》感があった。
気分が悪い。
だがそれは、まだ生きていることを表していた。
コンクリートの部屋。
窓もなにもない。
床には、そこかしこに水たまりができている。壁面には緑のコケがこびりついていた。
床が傾斜しているとわかる。水|勾配《こうばい》のようだった。
すると、ここはあの竪穴の底か。
すぐ近くに、鉄網の嵌《は》められた排水口があった。格子網のきめは細かい。間違っても人間が吸いだされることはないだろう。
それを確認すると、美由紀はふうっとため息をついて、ふたたび目を閉じた。
夕子の姿はないが、彼女の無事がわかっただけで充分だった。
いまはそれ以上は考えられない。というより、思考を働かせたくない。
わたしは思いだしてしまった。悪夢の記憶を。あんな過去を背負って生きていきたくはない。
しばらく静寂だけがあった。
やがて、鉄の扉が開く重苦しい音がした。
近づいてくる靴の音がする。軽く響く音。ハイヒールのようだった。
誰なのか、確かめる気も起きない。
それよりも、まだ死んでいないことのほうが腹立たしかった。
生き延びるなんて。悔しくてたまらない。
いや、あの記憶が戻るぐらいなら、いままで何度か襲った危険に打ち負かされておいたほうがよかった。生還した喜びを味わっていたことが、いまではただ虚《むな》しく感じられる。
わたしはこの世に、生まれてくるべきではなかった。
ハイヒールが腹部に押しつけられ、ぐいと持ちあげられる。
美由紀は転がり、仰向けになった。
たったそれだけの動作でも、全身に激痛が走る。またもや意識が遠のきそうになった。
はるかに高い天井。
竪穴の深さは、二百メートル以上にも及んでいるようだった。
その視界に、ひとりの女がいる。
外国人だった。
金髪に縁取られた白い顔。大きな瞳《ひとみ》に高い鼻。この場にそぐわないドレススーツとあいまって、モデルのようでもあった。
どこかで見た顔……。
女は無表情だった。
感情を押し殺していることだけはわかる。
なにも読み取れないのは、セルフマインド・プロテクションで表情の不随意筋の動きを抑えているからに違いなかった。
「初めまして」女は流暢《りゆうちよう》な日本語を竪穴のなかに響かせた。「正確には、会うのは二度目ね。わたしにとっては三度目。わたしがジェニファー・レインよ」
ジェニファー・レイン。この女が……。
「ああ……そうか」美由紀はつぶやいた。「サウジアラビアのメッカで見かけたわね。あなたはアメリカの大統領と一緒に……」
「そう」ジェニファーはいった。「損害はとてつもなく大きかったわ。イラク戦争では合衆国に多大な利益をもたらすはずが、あなたのせいで中途半端なことになってしまって」
「米国政府が……クライアントなの?」
「というより、資本提携しているの。大統領の一族とね。メフィスト・コンサルティング・グループのなかでも、マインドシーク・コーポレーションはほかのグループ内企業とは異質な存在なのよ。わたしたちはコードネームで呼び合ったりしない。人類史をおかしなほうに向かわせる危険分子の排除を、ためらったりしない」
「危険分子?」
「あなたのことよ。岬美由紀。ファントム・クォーターで一度見ただけのインヴィジブル・インベストメントをはっきり視認できるとはね。あなたがいなければ、こんなアジアの小国、縄文時代に逆戻りしていたはずだったのに」
あのパーフェクト・ステルスによるミサイル攻撃もこの女のしわざか。向こうにとっては、それが二度目の出会いだったわけだ。
ふいにおかしくなり、美由紀はふっと笑った。
肺に痛みが走ったが、それでも笑わざるをえなかった。
ジェニファーが眉《まゆ》をひそめた。「なにがおかしいの?」
「さあ……ね。いままで散々脅し文句を受けてきたけど、いまほど死ぬのが怖くないときは、ほかになかったわ。むしろ喜びを伴っているほど……」
「……ああ。そうね。記憶が戻ったのはショック?」
言葉で言い表せるはずもない。胸が張り裂けそうだ。
「ええ。とてもね」美由紀は喉《のど》にからむ自分の声をきいた。「今度こそとどめを刺せて、嬉《うれ》しいでしょうね」
「同意したいところだけど、残念ながらそうもいかないの。判定官が来ている以上、ルールは遵守しなければならない」
「……どんなルール? いまさら人殺しは控えろって?」
「いいえ。特別顧問候補および、特別顧問補佐となった人間の要請は、原則的に受諾すること。拒否する場合はグループの十二人議長《トウエルヴ・チエアメン》の了承を得ること。そのふたつの規則にひっかかるからよ。わたしとしては申し立てをしてでもあなたを殺《あや》めたいけど、それまであなたを拘束する権限もない」
「誰の要請で……」
「西之原夕子のよ。正式に特別顧問候補となったの。なんの酔狂か知らないけど、あなたを生かしていくように求めてきた」
その言葉は、美由紀の胸にずしりと響いた。
夕子は、メフィスト・コンサルティングに加入した。それも、美由紀にとって最も敵対的な存在であるマインドシーク・コーポレーションに。
それでも彼女は、わたしの命を救った。彼女自身のためだろうか。わたしは、彼女を救うと約束した。彼女はそれに期待して、わたしを生かさねばならないと考えたのだろうか。
いや。夕子は最終的に、メフィストに加わることを喜ばなかった。彼女はほかに希望をみいだそうとしていた。
メフィストに加わる決心をしたこと自体、わたしを救うためだとしたら……。
ジェニファーが冷ややかにいった。「不安そうな顔ね。なにをそんなに心配してるの? 夕子の身を案じているのなら、要らぬ世話よ。あなたに恩義を感じてのことじゃないから。というより、本気で情を感じることがないのが自己愛性人格障害だって知ってるでしょ?」
美由紀は無言で、果てしない竪穴の先を見つめていた。
夕子は、心を偽ってなどいない。わたしの目は、最後まで彼女の表情をとらえていた。
彼女は本心をさらけだしていた。おそらく人生でただ一度だけ、わたしに対して。
なぜかジェニファーは、小さくため息をついた。「自己愛性人格障害を治すためになすべきことが、症状を本人に悟らすっていう、そのていどとはね。がっかりしたわ」
「……落胆したの? どうして?」
わずかに苛立《いらだ》ちを漂わせたジェニファーは、すぐに無表情の仮面をまとい、腰に手をやって美由紀を見おろした。「あなたに話すことなんて、何もないわ。時間がないの。社会復帰してもらうために必要な手続きを、さっさと済ませましょ」
扉が開く音がする。
歩み寄ってくる靴音。今度も、女性のようだった。
夕子がポアと呼んでいた女が、看護師のような白衣姿で、美由紀のすぐ近くに膝《ひざ》をついた。手にしてきたカバンから機材を取りだし、なにやら準備に入っている。
「なにをするの」と美由紀はきいた。
ジェニファーが静かに告げた。「あなたの記憶障害は一過性脳虚血発作によって生じてると考えられる。だから同じ症状を起こして、脳の同じ部位の記憶を飛ばし、元どおりの状態にするの」
「わざわざそんなことを……」
「いまのままでは生きていくのも辛《つら》いでしょ。蘇《よみがえ》った記憶に耐えかねて自殺したり、注意散漫になって事故を起こしたりしないように、あなたの自我を安定させる。わたしとしてはあなたがみずから命を絶つことになんの躊躇《ちゆうちよ》もしないけど、ルールに従ってのことよ」
「わたしはそこまで弱くなんかないわ」
「どうだか。ねえ岬美由紀。あなたは抑圧されたトラウマ論に対し、全否定の立場をとっているわよね」
「認知心理学が発達したいま、そうみるのが最も科学的よ」
「そう信じること自体、過去の辛さから逃げたがっている証拠かもしれないわよ」
「そんなの……ありえないわよ。わたしは……」
言葉に詰まった。
とめどなく押し寄せてくる記憶の波。ある一時の出来事。
しかしいかなる人生を歩もうと、すべてを無に帰してしまうほどの過酷な時間……。
いつの間にか、美由紀の目には涙が溢《あふ》れていた。泣くことしかできない自分がいた。
ジェニファーはふんと鼻を鳴らした。「ほら。もう耐えかねているじゃないの。ひとまず記憶からオミットしなきゃ精神疾患が起きるわよ。もっともいずれ、記憶は蘇る運命にあるだろうけど」
いずれ……。
それはいつなのだろう。
だが、問いかけている時間はなかった。
ポアが注射器を手にして、顔を近づけてきた。その針を美由紀のこめかみに当てる。
ちくりとした痛みを感じた。
ほどなく意識が遠のいていく、その感覚があった。
朦朧《もうろう》とする意識。視界もぼやけつつある。
と、そのとき、竪穴の底に、三人めの女が入ってくるのを見た。
その顔をはっきりと認識することはできない。だが、その女が西之原夕子であることはあきらかだった。せかせかした足どり、さかんに髪を撫《な》でつけるしぐさ。白いコートを着ているように見えたが、どうやらバスローブのようだった。
「美由紀!」夕子の甲高い声が呼びかけてきた。「美由紀!」
ジェニファーが振りかえって告げる。「寝てなきゃ駄目って言ったでしょ、夕子」
「どいてよ。美由紀、生きてるの? しっかりしてよ! わたしを助けてくれるんでしょ?」
「夕子」ジェニファーは苛立ちをあらわにした。「教育《エデユケーシヨン》を受けるまでおとなしくしてなさい」
ポアが立ちあがり、夕子に向かっていく。夕子は怯《おび》えたように立ちすくんだ。
それでも夕子のまくしたてる声は、美由紀の頭のなかに響いてきた。「美由紀! てめえ、またわたしを見捨てるつもりかよ!? 結局口だけかよ? 大地震でみんなが死ぬのに、てめえ見過ごす気かよ!?」
「お静かに」ポアの声が低く告げた。「もうなにを言っても無駄です。あなたはもうレイン女史の所有物も同然の立場にあるのです。さっきアントニオが説明したように、機密事項を外部に漏らすことは特殊事業課において……」
夕子が発する、絶叫も同然の甲高い声がポアを圧倒した。「美由紀! その気があるならペコポンに来い! 宇宙探偵の時間だと幸太郎に伝えとけ! きょうにも地震が起きるってのに……」
ジェニファーが怒鳴った。「黙らせて!」
ポアが夕子の腹部をこぶしで殴った。
うっ、と呻《うめ》いた夕子の声を、美由紀は最後に耳にした。かろうじて繋《つな》ぎとめていた意識は急速に薄らぎ、美由紀は深い闇に落ちていった。
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