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千里眼139

时间: 2020-05-27    进入日语论坛
核心提示:ストーカー被害午後二時すぎ、東京の空には厚い雲がかかり、地上には激しい雨が降り注いでいた。岬美由紀はランボルギーニ・ガヤ
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ストーカー被害

午後二時すぎ、東京の空には厚い雲がかかり、地上には激しい雨が降り注いでいた。
岬美由紀はランボルギーニ・ガヤルドを徐行させていた。Eギアを変速させる機会は、きょうはなさそうだった。もてあまし気味のトルクを抑えに抑えて、慎重にステアリングを切りつづける。フロントガラスをしきりに拭《ぬぐ》うワイパーの向こう、表参道から一本入った古い住宅街の路地にひとけはなかった。
目的地の三階建てアパート前にクルマを寄せて、すぐにエンジンを切る。雨音に遠雷が混じっていた。もの音はそれだけだった。
ドアを開け放って外に降り立つ。こんな天気だけに、美由紀は上下ともにデニムにしてきた。リーバイスのレディス、トップスのジャケットは水に強いうえに動きやすい。スニーカーで路面の水|溜《たま》りの上を駆け抜けて、アパートの軒下に逃げこんだ。
ほんの数秒、雨に晒《さら》されただけでもびしょ濡《ぬ》れだ。Tシャツの襟もとをつかんで絞り、水分を抜くと、二階への階段を昇った。
203号室の扉の前に立ち、呼び鈴を押す。
ほどなく錠の外れる音がして、扉が開いた。
ほっそりとした小柄な女が姿を現した。Tシャツにデニムスカート、軽装というよりはずっと部屋に引き籠《こ》もっていたらしく、髪はぼさぼさだった。
それでも、二十六歳にしてあどけない顔は少女のようでもある。どこか頼りなさそうで、不安がちな瞳が虚空をさまよい、美由紀をとらえた。
とたんに、雪村藍《ゆきむらあい》の顔に安堵《あんど》の笑みがひろがった。「美由紀さん。……ああ、よかった。来てくれて」
美由紀は穏やかにきいた。「どうしたっていうの? ずっと会社を休んでいるんだって?」
「そうなの。なんだか不安で」
「不潔恐怖症が再発するきざしはある?」
「いえ。あ、わたし以前はそういう症状だったんだね。もう忘れてた」
「なら、精神的にそこまで追い詰められてはいないのね。安心したわ」
「だけど……手の震えがとまらないの。どこにいても怖くて。部屋のなかでも、いつ電話が鳴るかと不安で……。あ、仮病なんかじゃないよ。会社行くのは嫌じゃないし。けど……」
「わかってる」と美由紀は微笑みかけた。「藍が嘘をついていないことぐらい、ひと目見ればわかるから」
「……そうだったね。美由紀さんは特別だもんね。ごめん、友達にも疑われてばかりいるから……」
「心の疾患が他人から理解されにくいことは、あなたに限ったことじゃないのよ。だから心配しないで。力になるから」
「ありがとう、美由紀さん。さあ、あがって。狭い部屋だけど」
「そんなことないわ。いい部屋よ」
スニーカーを脱いで部屋に入る。ワンルームの室内は整然と片付いていた。服もきちんとクローゼットにおさめてあるらしい。ベッドとテレビ、小さなデスクにノートパソコン。目につくものはそれぐらいだった。
テレビは、昼のワイドショー番組が映っていた。スタジオでタレントが笑いながら話している。「……で、三百万部のベストセラーってことで話題の『夢があるなら』ですけど、泣ける本ってことでずいぶん話題を集めてるじゃないですか。でも私、さっぱり泣けなかったんですけどね」
女性タレントが呆《あき》れたようにいう。「椅子にふんぞりかえって、ガムを噛《か》みながら読んでたでしょう? 真剣に読んでなかったんじゃないですか?」
「とんでもない。もっと襟を正して読めとでも? ただ、私の妹も風船ガムを噛みつつ読んで、つまらなかった、さっぱり泣けないって言ってましたけどね」
「ほら。兄妹だけに感受性のなさが共通してるってことじゃないですか?」
ブラックユーモアに笑いが起きるスタジオのようすに、こちらが同調できない気分なのはあきらかだった。美由紀はリモコンを手にして、テレビを消した。
藍が部屋の真ん中にローテーブルを運びだしてきた。美由紀は、そのテーブルをはさんで向かい合わせに腰をおろした。
「なにか飲む?」と藍がきいてきた。
「いえ。ねえ藍。不安があるといっても、それは漠然としたものではなさそうね。恐怖を覚える要因ははっきりしているんじゃなくて?」
感嘆したようなため息とともに、藍はいった。「さすが美由紀さんだよね。会ってすぐ、そこに気づいてくれるなんて。警察じゃろくに話も聞いてくれなかったのに」
「警察……?」
「あのね……最近、へんなことばかり起きるの。二週間ぐらい前だったかな、会社の帰りに、中年の男の人が声をかけてきて、セブン・エレメンツのコンサートのチケットが二枚あるから、一緒にいかないかっていうの」
「いきなり? 知り合いの人?」
「全然。会ったこともなければ、同じ会社でもないみたいなの。その人、何日か経って駅でも見かけたし、このアパートの前までついてきたりするの」
「ストーカーか……。それは困ったわね」
「それだけじゃないの。アパートの前で別の人が待っていたこともあったの。太って頭が薄くなった、四十すぎの人だけどね。アルバローザとセシルマクビーのTシャツを持ってて、あげるっていうの」
「アルバとセシルって……。藍のお気に入りのブランドでしょ?」
「そうなの。それもサイズもSでぴったりなの。渋谷と原宿で売り切れてたやつで、ちょうど探してたときだったんだけど……」
「藍が求めていたものを、ずばり提供してきたってわけ?」
「うん。信じられないことでしょ? それからまた何日か経って、さらに三人めの男の人がコンビニで話しかけてきたの。その人の喋《しやべ》り方はたどたどしくて、こっちも途中で逃げだしたかったんだけど、かいつまんで言うと、ロシアンブルーが家にいるから、一緒に住んでくれないかって」
美由紀は唖然《あぜん》とした。
ロシアンブルーは、藍がしきりに飼いたがっている猫の種類だ。そのことを知る友人はごく限られている。
「つまり」と美由紀はつぶやいた。「中年ストーカーたちが次々に現れては、藍の望んでいるものばかり差しだしてくるってことね」
「そうなの。なんだか気持ち悪くて。最初の人だったか二番目の人だったか忘れたけど、箱根の温泉に連れてってあげるなんて言うんだよ。近場の温泉に行くんだったら箱根かなって、ぼんやり思ってたところだったの。誰にも話してないし、旅行会社に問い合わせてもいない。どうしてこんなことが起きるの?」
室内を油断なく見まわしながら、美由紀はいった。「盗聴器、仕掛けられてない? 誰にも話してないことでも、ひとりごとでつぶやいている可能性もあるし」
「わたしもそう思ったんだけど、掃除がてら部屋の隅々まで探しても、なにも見つけられなくて。でね、ほんとに怖くなったのは、出張で二日間、大阪のビジネスホテルに泊まったとき。最初の人がまたそこに現れて、隣に部屋をとったから、夜は一緒に食事しようっていうの」
「まさか……。大阪まで尾行されたの?」
「じゃなくて、わたしの出張先を知ってたのよ。フロントの人に聞いたら、前々日に電話予約してたらしくて……。それでもう本当に怖くなって、なにも食べられなくなって、口のなかはからからに乾いて……。気分が悪くなって、寝こんだの。やっと最近、落ち着いてきたところだけど、まだ不安でたまらなくて」
「そうだったの……」
「警察の生活安全課の防犯係だっけ、そういうところに相談に行ったんだけど、あきらかに本気にしてくれてないの。作り話だと思ってんのよ。だからわたし、誰も頼れなくて。どうしたらいいかわからなくて……」
藍の瞳《ひとみ》が潤みだした。震えるその手を、美由紀は握った。
「もうだいじょうぶよ」美由紀はいった。「あなたはすべて、本当のことを言ってる。わたしにはわかってるから」
「だけど……どうしたらいい? 怖くて家から一歩も出られないよ」
泣きそうな藍の顔を見るうちに、美由紀のなかに憤りがこみあげてきた。
独り暮らしの女性の弱みにつけこんで、一方的に尾《つ》けまわし、押しかけてくるなんて。複数現れたというその男たちもグルの可能性が高い。藍の話では中年ということらしいが、妻子があってもおかしくない年齢で、よくそのような暴挙が働けるものだ。
しばしの沈黙のあと、藍がきいてきた。「どうしたの、美由紀さん?」
「え?」
「なんだか怖い顔をしてる」
「あ……そう? ごめんね。ストーカーたちのことを考えてたら、許せなくなって」
藍は美由紀を見つめていたが、また辛《つら》そうに目を伏せた。
「……わたし、ずっとこんなふうに生きていくしかないのかな。美由紀さんみたいに強くないし。一生、不安を抱えて暮らすしかないのかな」
「そんなことないわよ、藍。動揺するのもわかるけど、不安の要因を取り除いたらきっと落ち着くようになるわ。わたしが協力してあげるから」
「ほんとに?」
「もちろんよ。友達でしょ?」
「嬉《うれ》しい。でも……」
「どうかした?」
「不潔恐怖症に戻ってはいないけど、心が不安定になっているのは感じるの。理由もなく胸がどきどきしたり、夜も寝つけないし」
「そうね……。藍の心のなかに芽生えだしている疾患を治していくことも必要よね。自律訓練法で落ち着く方法を身につけておいたら?」
「自律……?」
「わたしの脈をとって」と美由紀は手首に藍の指先を触れさせた。「一九三二年にドイツの精神医学者シュルツが考案した自己暗示法なの。こうして呼吸を穏やかにして、身体の力を抜くの。腕と脚が温かいとか、額が涼しいとか、自分に暗示しながらイメージを与えていくと……」
しばらくして、藍は目を丸くした。「うそ。脈がどんどん遅くなってる!」
美由紀は笑った。「心と身体は密接な関係があるから、身体を弛緩《しかん》させれば心もリラックスするっていう、心身のメカニズムを利用した方法なの。脈を落とせばそれだけ思考ものんびりしたものになって、眠気を誘うこともできる。眠れない夜には最適ね」
「すごい特技……」
「そんなに大げさなものじゃないってば。ごく一般の社会人も多く実践しているやり方よ。ほんの数日、練習すれば身につくはずよ」
「教えて! ぐっすり寝ることができたら、どれだけ楽になるかわかんない」
「いいわよ。コツは、暗示の言葉を理解しようとすることじゃなくて、実感的にイメージをとらえていくことにあるんだけど……」
そのとき、携帯電話が短く鳴った。
ちょっと待って。美由紀はそういって、ポケットから携帯を取りだした。
メールを受信している。差出人は日本臨床心理士会の専務理事。メールの文面は短かった。至急にして重大、連絡|乞《こ》う。
思わずため息が漏れる。
この種の呼び出しは、実際に急を要する事態にほかならない。過去に専務理事から直接メールを受け取ったのは二度だけだ。新潟の震災、三重県津市の河川|氾濫《はんらん》。いずれも被災者の|心的外傷後ストレス障害《PTSD》に対処するための派遣だった。
美由紀はいった。「行かなきゃ……」
「そう……」藍は残念そうにつぶやいた。
「用件が済んだら、すぐ戻るわ。戸締まりだけは気をつけて、ゆっくり休んでね」
「うん。美由紀さんも、充分に注意してね……」
「わたしは平気よ。じゃ、また明日にでも来るから」
不安に駆られた藍のすがるような目を見るうちに、ここに留《とど》まりたい衝動に駆られる。
だが、そうしてばかりもいられない。
部屋をでるとき、美由紀のなかを妙な思いがかすめた。
ストーカーのことに思いが及んだとき、わたしはなぜ一瞬、我を忘れてしまったのだろう。ストーカー被害の相談は今回が初めてではない。それなのにどうして、強い嫌悪を感じたのだろうか。
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