美由紀は土浦|駐屯地《ちゆうとんち》の広大な敷地を、全力疾走していた。
嵩原という男との距離は、なかなか縮まらない。スーツを着ているが、ずっと内部部局に勤めていたわけではないだろう。それなりに身体を作っているようだ。この駐屯地にも詳しいらしい。武器学校の正面玄関に、まっすぐに突進していく。
辺りは薄暗く、迷彩服の隊員の姿を視認するのが困難になっていた。そこかしこに往来する隊員がいて、嵩原は何度もぶつかりそうになっている。そのたび、彼の歩は緩まざるをえない。
その隙を衝《つ》いて、美由紀は猛然と追いあげ、武器学校の玄関の短い階段に跳躍し、嵩原の前にまわりこんだ。
振り返ると、ちょうど嵩原がその階段を昇ろうとしていたところだった。嵩原は美由紀に気づくと、あわてたようすで後ずさり、隊員のひとりにぶつかった。
眉をひそめた隊員が、嵩原を見つめる。嵩原も隊員を見た。そしてその目が、腰のあたりに落ちる。
次の瞬間、嵩原がとった行動は、隊員の腰のホルスターから拳銃《けんじゆう》を引き抜くことだった。
「伏せて!」と美由紀は周囲に怒鳴った。
動揺が広がるなかで、嵩原はこちらに向けて発砲してきた。
美由紀は背を低くして転がり、玄関のなかに滑りこんで身を潜めた。
発砲は八発、そしてやんだ。弾を撃ちつくしたらしい。
「侵入者だ」嵩原の怒鳴る声がきこえる。「あの女を捕らえろ!」
外を覗《のぞ》くと、グラウンドを逃げていく嵩原の姿があった。
隊員たちは戸惑ったようすだったが、美由紀に目をとめると、歩を早めて近づいてきた。
美由紀は助走をつけて飛びだし、階段の上からジャンプした。接近する隊員たちを飛び越し、着地して転がると、すぐさま起きあがって走りだした。
行く手には迷彩柄の特殊車両が連なっている。嵩原は87式自走高射砲に飛び乗った。
常識では考えられない行動だ。だが、こちらが無断侵入している以上、あとでなんとでも言い訳できると考えているのだろう。撃ち殺してしまえば、テロリストだと思ったと証言することで、彼の行いのすべてを闇に葬ることができる。
自衛隊ではガンタンクという非公式名称で知られているその車両は、74式戦車をベースにして三十五ミリ機関砲を二門備えた対空用の兵器だ。それでも、機関砲は水平射撃が可能なはずだった。まさか撃つとは思えないが……。
砲塔の上部に嵩原が乗りこんだとたん、キャタピラが作動し、車両は前進し始めた。やはり嵩原は、兵器類の扱いについてひと通り習得しているらしい。
機関砲がこちらを狙いすました。その直後、砲口が火を噴いた。
耳をつんざく轟音《ごうおん》とともに、風を切る甲高い音が急速に接近してくる。美由紀は横方向に飛び、地面に転がり、なおも回転しつづけた。
その美由紀を爆発に似た着弾がしきりに追う。グラウンドに火柱と噴煙があがり、弾幕が張られる。美由紀は全力で走り、機関砲の掃射から逃げまわった。
訓練用の防空壕《ぼうくうごう》に滑りこんで、身を潜める。掃射はなおもしばらくつづいた。が、ふいに途絶えた。
美由紀はそろそろと顔をのぞかせた。とたんにまた掃射を受け、壕のなかに隠れる。
静寂のなか、地鳴りがする。かすかにキャタピラの音が聞こえた。
地上に目を向けると、嵩原の乗った自走高射砲が遠ざかっていくのが見えた。武器学校の向こうに消えていく。武器教導隊の車両倉庫まで乗っていくつもりなのだろう。
そうはさせない。美由紀は壕から飛びだし、武器学校に走りだした。
武器学校の開いている窓から飛びこみ、教室を駆け抜けた。どよめきがあがる。授業がおこなわれている最中で、室内には大勢の隊員や学生がいた。美由紀は机の上を飛び移りながら廊下側まで達すると、すりガラスに肩からぶつかっていった。
ガラスが砕け散り、美由紀は廊下の床に転がった。破片であちこち切ったらしい、痺《しび》れるような痛みがある。
それでも、自分の身を案じている場合ではなかった。立ちあがってサッシ窓を開け放ち、校舎の裏手に飛びだす。
車両倉庫は近くにあった。嵩原もこちらにくるはずだ。
美由紀は辺りを見まわし、重装輪装甲車用の牽引《けんいん》車に目をとめた。後部では牽引する装甲車両の接続作業がおこなわれていて、エンジンもかかっている。
さいわいだ。美由紀は牽引車に駆け寄り、運転席に飛び乗った。
ギアを入れ替え、クラッチをつなぎながらアクセルを踏む。大きな縦揺れとともに、牽引車は走りだした。
後方では、隊員たちがあわてて追ってくる。無人で走りだしたと思ったのだろう。彼らにとっては不幸なことに、事態はそれ以上に悪化する可能性がある。
前方に自走高射砲が見えた。校舎を迂回《うかい》して、こちらに向かってくる。
砲塔から嵩原の顔が覗いている。こちらを見て、あんぐりと口を開けたのがわかった。
美由紀は牽引車の速度をあげ、突進する体勢に入った。
自走高射砲の機関砲が、また水平方向に向けられる。掃射が始まった。
牽引車のフロントガラスが砕け散り、強烈な風が吹きこんできた。美由紀はステアリングを大きく切って牽引車を自走高射砲の側面に逃がし、そこからまた逆にまわって自走高射砲に体当たりしていった。
自走高射砲に側面から衝突した瞬間、牽引車の運転席は潰《つぶ》れて空間を失った。美由紀はその寸前にドアを開けて外に飛び降りた。自走高射砲は横転し、校舎に屋根を打ちつけるようにして静止した。
全身の痛みをこらえながら立ちあがり、美由紀は自走高射砲に駆けていった。
嵩原は、砲塔から放りだされるようにして地面に横たわっていた。唇を切ったらしく、口もとに血がにじんでいる。スーツもあちこちが擦り切れていた。
痛そうに顔をしかめていた嵩原だったが、美由紀が接近すると、すぐさま起きあがって反撃に転じてきた。腰を低くして身構え、飛びかかってくる。
だが美由紀にとっては、そんな攻撃など脅威にならなかった。美由紀は防衛大の部活で習得した少林寺|拳法《けんぽう》の鋼法を使い、嵩原の拳《こぶし》の突きを受け流して交わすと、横|蹴《げ》りを高く放って嵩原の顔面を蹴り飛ばした。
ゴンと音をたてて自走高射砲の車体に頭を打ちつけた嵩原は、力尽きたようにその場にずるずると崩れ落ちていった。
息を弾ませながら、美由紀はその嵩原の襟首をつかみ、満身の力をこめて引き立てた。
自衛隊の駐屯地にいたのでは、嵩原に分がある。いま問題にしているのは彼の職務上の資質ではない、人間としての是非だ。それを問うには、一般社会に連れだすべきだろう。
美由紀は嵩原を引きずっていくと、近くに停めてあったジープの助手席に投げこんだ。
運転席に乗りこみ、美由紀はジープを発進させた。
さすがに周囲があわただしくなっている。車両で行く手をふさいで制止しようとする動きもある。美由紀はステアリングを切ってそれを躱《かわ》し、立ちふさがる隊員らの隙間を縫うようにして、ゲートめざして走った。
ゲートの手前にガヤルドが乗り捨ててある。そこに横付けしてジープを停め、嵩原を蹴り飛ばして地面に落とした。美由紀はジープ車両をまわりこみ、今度はガヤルドの助手席に嵩原を乗せた。
警笛とサイレンが鳴り響く。警務隊が続々と集結しつつある。
美由紀はガヤルドの運転席に乗りこむと、エンジンを吹かしてゲートに突進した。ゲートは隊員らによって固められていたが、ガヤルドが速度を緩めず接近すると、全員が脇に飛び退いた。
遮断機を跳ね飛ばし、ガヤルドは国道一二五号に飛びだした。