蒲生はいらいらしながら、警視庁の捜査一課の刑事部屋に戻った。
公判中だというのに、美由紀はいったいどこに行ったのだ。嵯峨たちのそらぞらしい態度も気になる。鏡で彼自身の顔を拝ませて、表情からどんな感情が読めるかを問いただしてみたいものだ。
刑事部屋はなぜか、妙にあわただしかった。電話にでている者が多い。それも、どの顔にも緊張のいろが浮かんでいる。
捜査員のひとりが管理官のもとに走った。「病院に運ばれたふたりの身元が判明しました」
管理官がきいた。「誰と誰だ?」
「これです」書類を手渡しながら、捜査員がいった。「前科者リストにありました。ふたりとも仁井川会系暴力団の元組員です」
「仁井川会?」蒲生は驚いて声をあげた。「なんのことです」
むっとした顔で管理官が告げた。「ニュースを観てないのか」
「いろいろ忙しかったんで。で、なんの事件ですか。呼び出しはかかりませんでしたが」
「うちの管轄じゃないんだ。茨城県|小美玉《おみたま》市の羽鳥駅ってとこで起きた銃撃事件でな。ふたりは重傷で病院に運ばれた」
「撃ったのは誰ですか」
「茨城県警の調べによると、またしてもきみのお友達の可能性が高いらしいな。岬美由紀だ」
美由紀……。
愕然《がくぜん》としながら、蒲生はきいた。「どうして彼女だと?」
「けさ桜川警察署でも騒動があってな。そっちに訪ねてきたのは岬に間違いなかったようだ。男をひとり連れてるそうだがな。きみじゃなくてほっとしたよ」
「冗談を……。で、なにか対策は?」
「われわれとしては、何もできそうなことはない」
「でも仁井川会に関することなら……」
「このふたりはもう仁井川会じゃないんだ。十年近く前にクビになり、地方ヤクザに身を窶《やつ》してたみたいでな。現在はリムネスとかいう会社の社員になってる」
「リムネス?」
「仁井川章介が立ちあげた会社らしい。例の、破門になった長男だよ」
あいつか。暴力団幹部のあいだですら、狂犬扱いされていた輩《やから》だ。
だが、いったい美由紀と何の関係があるのだろう。
「管理官」と蒲生はいった。「岬美由紀はまた重大犯罪のにおいを嗅《か》ぎつけた可能性があります。あいつが無茶するときといえば、そういうケースに限られるからです。現地に急行させてください」
「駄目だ」
「なぜです。SATが出動してもおかしくない事態になるかもしれませんよ」
「どうしてそんなふうにいえる」
「美由紀が騒動を起こした後は、常にそうなってきたからです」
「蒲生警部補。岬美由紀の公判の流れは把握してるな? 弁護側は、彼女の特別な能力を認めて彼女には特殊な捜査権を与えるべきだとしている。だがこの主張はまるっきり法律に反している。彼女が一民間人にすぎないという検察の主張はおそらく認められるだろう」
「それはわかってますが、だからこそ彼女をひとりにせず、われわれが支援するべきでは……」
「事件性があきらかにならないうちは動くことはできん。これは鉄則だ」
管理官は蒲生のそれ以上の反論を拒むように、書類を顔の前に立てた。
沈黙の盾か。官僚お得意のしぐさだ。
失礼しました、と蒲生は頭をさげ、その場から立ち去った。
だが歩きながら、蒲生は決心を固めていた。警察組織の融通の利かなさは、いまに始まったことではない。
見捨てることなどできるものか。始末書など覚悟のうえだと蒲生は思った。そうでなければ、岬美由紀の知人など務まるものではない。