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千里眼192

时间: 2020-05-28    进入日语论坛
核心提示:スクールカウンセラー 鏡にうつった自分の姿は、まさしく年老いて疲れ果てた逃亡者にほかならなかった。わずかな陽しか射さない
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スクールカウンセラー

 鏡にうつった自分の姿は、まさしく年老いて疲れ果てた逃亡者にほかならなかった。
わずかな陽しか射さない都会のビルの谷間。駆けこんだ路地裏に、放置されている歪《ゆが》んだ全身鏡。
不法投棄されたものか、このビルの住人が粗大ゴミにだしたものか、知るよしもない。だが、偶然ここに鏡があったおかげで、ひさしぶりに自分というものを認識した。どんな男か確かめることができた。
伸びほうだいの白髪《しらが》頭、三十代からずっと同じ眼鏡、痩《や》せこけた頬にぎょろりとした目。いつの間にか顔は浅黒くなって、皺《しわ》の数も増えていた。
五十嵐《いがらし》哲治《てつじ》は息を切らしていた。この歳になって全力疾走すれば、誰でも息があがる。年齢のわりには健闘しているほうだ。
しばし鏡を眺めて、ふと五十嵐はつぶやいた。「異常者だな」
その自分の言葉に、おかしさがこみあげてくる。
そう、鏡のなかにいるのは、よれよれの背広をまとった異常者同然の男だ。これが自分だというのだから始末に負えない。
と、そのとき、路地に女の声がした。「いいえ。あなたはおかしくなんかない」
びくっとして、壁から身体を起こす。
辺りを見まわしたとき、ほんの数歩離れたところに立つひとりの女が目に入った。
五十嵐は息を呑《の》んだ。いつの間に現れたのだ。
バイク乗りが着るつなぎは、その女の見事なプロポーションを浮かびあがらせていた。身長はそれほど高くはないが、顔は小さくて八頭身か九頭身はありそうだ。やや長めの髪に縁取られたその顔には、大きな瞳《ひとみ》が見開かれ、こちらを凝視している。
吸いこまれるような眼力。美人には違いないが、どこか変わった顔つきでもある。
「誰だ」と五十嵐は喉《のど》にからむ声できいた。
女はゆっくりと歩み寄ってきた。
路地の暗がりのなかで、うっすらと見えていたその顔も、明瞭《めいりよう》に視認できるようになった。
「こんにちは」女は落ち着いた声でいった。「五十嵐哲治院長ですね? 津島循環器脳神経医科病院の」
見た目はずいぶん若いが、喋《しやべ》り方からすると二十代後半ぐらいだろう。物怖《ものお》じしない態度からも、ただの道行くOLとは思えない。
ため息が漏れる。「今度は女を寄越してきたか。どっちから派遣されてきたんだね。警視庁か、それとも防衛省か」
「先生は、臨床心理の専門家となら話してもいい、そうおっしゃったはずですけど」
「ほう? するときみは臨床心理士かね? そんなふうには見えないが」
「外見で人は判断できないものですよ、五十嵐先生。あなたもそうです。失礼ながら初老にさしかかっておいでとお見受けしますが、異常心理にはほど遠いです」
「ふん。別れた妻と同じで、ずけずけとものを言ってくれるな。……日本臨床心理士会がきみを寄越したのか。私を説得するためにか?」
「そうです」
「なら、戻って無駄足だったと報告することだな。私は官憲と馴《な》れ合うつもりはない」
「馴れ合いではなく、先生は容疑をかけられているわけですから、出頭されるべきだと思いますけど」
「なんの容疑だ? 人は自由にものを考え、自由に研究できるはずだろう。きみは科学者の権利を認めないつもりか?」
「先生の専門は脳神経外科でしょう? 海外のブローカーを通じて台湾製の時限式爆発物を購入することが、脳となんの関係が?」
じれったくなり、五十嵐は声を荒げた。「説明している時間はないんだ。どいてくれ」
「いえ。おおよそ見当はついてます」
「きみになにがわかるというんだ。臨床心理士はフロイトの亡霊をひきずってりゃいい.脳は専門外だろ」
「そうでもありません。認知心理学は昨今の課題ですから……。五十嵐先生。先生が一年前に発表された論文、いまも変わりなく真実だとお思いでしょうか」
「……ふん。きみも馬鹿にしたいクチか。学校や職場など、機密性の高い場所に大勢が押しこめられていれば、酸素が足りなくなることぐらいわかるだろう」
「酸素欠乏症が起きると、脳細胞がいくつか破壊されて、人が暴力的になる。いじめの原因はそれだとおっしゃるんですね」
「そう短絡的に捉えるな。いいか。酸素欠乏症というのは、真空に置かれたときに生じるわけじゃないんだ。一般の空気中の酸素濃度は二十一パーセント。これが一瞬でも十八パーセント以下にさがっただけでも、欠乏症は発症する」
「血管中の酸素が、濃度|勾配《こうばい》に従い、逆に肺胞腔《はいほうくう》へ放出されてしまうからですね」
「そのとおりだ。そして血中酸素が不足。延髄の呼吸中枢も呼吸反射を起こす。そこでさらに体内の酸素が大気に放出され、どんどん状態が悪くなる……。一回でも、わずかに酸素濃度の低い空気を吸いこんだら、脳の障害につながり、悪くすれば死に至るってことだ」
「やがて脳の神経細胞が破壊されて失われる。先生の研究では、学校のような鉄筋コンクリートの建造物のなかで酸素欠乏症が起きると、おもに前頭葉の細胞が働かなくなるそうですが」
「よく読んでるな。神経細胞は、互いに連絡をするために神経線維を持っているが、それが壊れて連絡能力を失う。前頭葉を失った人間はどうなるか? まさに動物だよ。人が人でなくなる瞬間だ」
「それで校内暴力というか、いじめが発生するんですか」
「理性による自制が働かなくなるのだから当然だろう」
「……先生は、厚生労働省と文部科学省に訴えを起こし、退けられてますね。酸素欠乏症がいじめにつながるという、先生の持論はいまのところ、体制に支持されてはいない」
「連中が馬鹿で石頭だからだ。いい家庭に生まれて、私立に進学して、陰湿ないじめとは無縁に育ったんだろう。もしくは見て見ぬふりを決めこんでいたかだ。役人どもは、本気でいじめ問題を解決しようと思ってはいない」
「先生のその執念は、息子さんがいじめられていることが発覚してから、生じたものですか?」
「馬鹿をいうな!」五十嵐は思わず怒鳴った。「聡《さとし》は……あいつのことは関係ない。私は純粋に、これからの世代のためによかれと思って研究をつづけてきた」
「理論を実証するためとはいえ、テロ同然の事件を起こすことは許されません」
「なんのことだ」
「時限式爆発物と一緒に、テオクタギバシンとセンニトリンの混合物を発注しましたね。発火すれば燃焼によって空気中の酸素が数パーセント失われる。……どこかで酸素欠乏症を引き起こし、データでも取ろうというんですか」
「ふざけたことを。そんなつもりは毛頭ない」
「いいえ。先生はまぎれもなくそのおつもりです」
「なぜそんなことが言えるんだ」
「図星を突かれた瞬間、上まぶたが上がって下まぶたは緊張した。と同時に、唇がすぼむのではなく一文字に結ばれた。怯《おび》えと怒りの感情が同居するのは、秘密を暴かれまいとする心理が働いているから」
「それを見抜いたってのか? 一瞬でか? お笑い草だな。臨床心理士はたしかに人と向き合うのが仕事だ、表情の観察から感情を読みとるのにも慣れているだろう。しかし、ほんの〇・一秒以下の表情筋の変化なんて、読みとれるわけが……」
「いいえ。それが読みとれるの。先生。あなたもいまその可能性に気づいたはず。そういう人間がいることを知ってるでしょ?」
五十嵐は言葉を失った。
可能性が一瞬脳裏をかすめた。それすらも、女は正確に見抜いているのだ。
「まさか……きみが岬美由紀か。千里眼か?」
「そんなふうに呼ぶのは科学的じゃないけど、世間ではそう言いたがる人もいるわね」
背筋に冷たいものが走った。
岬美由紀。女性自衛官として、史上初めてF15のパイロットになったという伝説の存在。除隊後、臨床心理士に転職したが、パイロット特有の動体視力が心理学的な知識と結びつき、一瞬にして相手の顔の変化を見抜いて、感情を読みとる特殊な才覚を身につけたという。
「なるほど……」五十嵐はようやく声を絞りだした。「岬美由紀を送りこんできたか。適任だな……」
「わたしは先生を追い詰めるために、ここに来たんじゃありません。臨床心理士として話し合いに来たんです」
「話し合いね……。私は異常じゃないんだろ? それなら放っておいてくれないか」
「先生のご自宅で組み立てられたとおぼしき時限式爆発物は、数日前に運びだされましたね。内偵を進めていた警察の監視班が確認したそうです。先生に任意で事情を聞こうとしたところ、姿をおくらましになった」
「国家の犬に媚《こ》びる習性はないんでね」
「爆発物の行方を気にかけるのは、警察として当然のことだと思いますけど」
「きみには関係ない」
「いいえ。わたしもスクールカウンセラーとして、未成年の児童や生徒の将来を案じる身です。先生は学校のいじめ問題と酸素欠乏症の因果関係を証明するつもりでしょう? 爆発物はどこかの学校に仕掛けたんですね?」
「なにも答える気はない」
「結構です。表情筋の変化でわかりますから。目を細めて眉毛《まゆげ》がさがり、唇をきつく結んだことからショックを受けたことがわかる。左右非対称になった表情は、嫌悪を抱いたことを意味する。同時にそれらの感情が発生したのは、真実が暴かれたからです」
五十嵐は寒気を覚えた。
なにもかも見抜かれてしまう。
この女の鋭い視線は、すべての脳細胞の働きを瞬時に看破する特殊な光線を発しているかのようだ。データにはいささかの狂いもない。思い浮かべたことは、確実に読みとられてしまう。
すぐさま身を翻し、全身鏡を引き倒して美由紀との間にバリケードをつくる。五十嵐は駆けだした。路地を全力で走った。
「待って!」美由紀の声が追ってくる。
ちらと振りかえると、美由紀はすぐ背後に迫っていた。さすがに元自衛官だ、障害物など難なく乗り越え、無駄のない機敏な動作で追いすがってくる。
それでも捕まるわけにはいかない。五十嵐はがむしゃらに走った。世間は私の警告を無視した。この命に代えても償わせねばならない。
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