滋賀銀行横領事件の話を、女たちが集まって論評していた。
四十五、六のうばざくら、美人編集者は、
「もう、四十二歳。未婚女性というだけで、戦中派としてはめためた、とくるねん……可哀そうで。大体、四十代で未婚女性が多いのは、これは国家の責任よ。結婚相手の男を、たくさん殺してしもたりして。あの人も、結局、国のギセイ者とちがうかなあ。……もし戦争がなかったら、結婚してふつうの主婦になって幸せな毎日を送ってたと思うよ。——四十になって独りもの、年下の男に入れ揚げる、よくあることじゃないの、可哀そうだ!」
と気焔をあげていた。
元気のいい気みじかホステスも、かなり、奥村彰子サンに好意的である。
尤も、この子は若いのだが、
「ホラ、逃走中に、悪いヒモの山県から電話がかかるわね、そうすると、涙ぐんで喜んでるでしょう、〈声を聞くだけでもうれしい〉なーんて。甘ちゃんやなあ、と思うけど、同《おんな》じ女として、じーん、とするとこあるわね。わるい男ほどかわいい、いうこともあるやないの。あの人の気持がわかる」
と、共感している。
私は、といえば、逃走中の彰子サンと共に、つかのま暮らしていた「建設業」の某氏——ひらたくいえば、大工のオッサンがとてもいい。
新聞でみると、誠実で気のいい男性、と書かれてある。
山県の冷酷無残な仕打ちにくらべて、この男性はやさしく誠実で、彰子の傷ついた心身はいかばかり慰められたであろう、などと紙芝居みたいな文句の新聞もある。
私はこの人に会ってないから、よく知らないが、同棲した小さなアパートに世帯道具も買いこみ、彰子サンに生活費も渡しているのだから、彼にとっても心弾む同棲だったのだろう。
どこの馬の骨か、双方、よくわからない。しかし何か心が通い合って、あんがい、うまくいく。
オッサンはしごく満足である。
むろん、彼女が大それた横領犯人で、指名手配中の身、などということは夢にも知らない。
「朝めしも作ってくれたし……よくしてくれました」
とあとで、オッサンは述懐している。
私は、この男性はとてもいい人だと思う。そうしてこの男性と暮らしているときの彰子サンにも、彼女のうちの、とてもいいものが出ていたのだと思う。
いつまで一緒にいられるかわからない。
薄氷を踏むような生活である。
そういうとき、女は、ゆきずりの男につくしたくなる。これが、夫婦ではそうはいかない。偕老同穴、共シラガを契り合った夫婦だと、一生を共にするので、いちいち献身的につくしていると身が保《も》たない。
しかし期限つきの同居だと、けんめいにつくす気がおきる。私だとしても、そうする。
それに、相手のオッサンが、無心で、誠実で、いい人だったら尚更である。
「いや、そら、ええ人かもしれんけど——」
とカモカのおっちゃんは口をはさんだ。
「僕はどうも、同情に堪えんですなあ——そのオッサン、いかにもあほらしいやろう、思《おも》たら。いまごろオッサン、|やけ《ヽヽ》で浪花ぶし歌うて、波止場のドラム罐《かん》けとばしとんの、ちがうかなあ」
「なぜ波止場のドラム罐をけとばさな、あかんのですか」
「歌にありまっしゃないか、〈あけみという名で十八で——〉事実はハヤリ歌よりも奇なり。彰子サンは刑事にふみこまれたとき、市場で買《こ》うてきた花を活けていた。引き立てられる間際、あわただしく男に置手紙していく。そのへんがよろしく、おかしい。〈ごめんなさいと走り書き〉して、〈何のつもりか知らないが、花を飾っていっちゃった〉ますます、よろしなあ」
とおっちゃんはいう。
而《しこ》うして、オッサンは、波止場のドラム罐をけとばし、
「やけで歌った浪花ぶし」
さぞかし、憮然としたことであろう、とおっちゃんは同情するのである。
ところで、私たち女性がことにもおかしかったのは、彰子サンの逃走中の変身ぶりだ。
何日か、共に暮らした男さえ、気付かなかったほど、変身している。
つかまったときの彼女は、三十娘ぐらいの派手さで、新聞にのっていた一見事務員風、一見オバサン風手配写真とは似ても似つかず、とうてい同一人物と思えなかったという。
どの新聞も、それを報じる口吻に、オドロキがあった。
記事を書いたのは、たいてい男の記者であろう。だから男のオドロキがそのまま、紙面に出ていた。
しかし、女たちはべつに驚かない。女なら、四十女だろうが五十女だろうが、その気になれば三十娘に化けるのは、しごく容易なことだと知っているからである。
これは二重人格なんてものじゃなく、男が女を知らなさすぎるのだ。
四十年輩の女の同窓会、なんてものを見るとよくわかる。親子で来ているのか、というほど、年のちがって見える級友がいる。または恩師を招待したのか、と、とまどうような婆さんがまぎれこんでたりする。これみな、おない年のクラスメート、環境や運命や、着るものの好み、心のもちかたで、そんなにもかわってしまうのだ。
奥村彰子さんの場合は、人目をくらますという必死の目的があるから、よけい意識的にそうしたのだろうが、女の無限の可能性を示して、男たちをあっといわせたのは、印象的で、痛快でもあった。
それも四十代なればこそ、だ。まだ僅かばかりの残《のこ》んの色香もあり、更に悪ヂエにかけては、若者の及ぶところではなく、そういう女が秘術をつくしてたたかうと、世間しらず、物しらずの男なんか欺すのはイチコロなんだよ、わかったか、頭のかたい男メ。
「やっぱり、女って伸縮自在の才能があるのよ、ね」
女たちがうなずき交していると、カモカのおっちゃんが、おそるおそる、
「男にも伸縮自在の部分はありますが……」
と口を出し、抛《ほう》り出すよ! と女連中に叱られていた。