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イブのおくれ毛09

时间: 2020-06-09    进入日语论坛
核心提示:ドドあほこの数日来、旅行をはさんでいたので、私は殺人的スケジュールとなり、家を出たりひっこんだり、神|没《ヽ》鬼|没《ヽ
(单词翻译:双击或拖选)
ド……ドあほ

この数日来、旅行をはさんでいたので、私は殺人的スケジュールとなり、家を出たりひっこんだり、神|没《ヽ》鬼|没《ヽ》のいそがしさとなった。電話が掛っても、「今いましたけど、また出ていきました」と家人が返事することになる。さればと夜おそくかけられても、私は夜型ではないから、さっさと十時には寝ちゃう。イレブンPM見たことないという、全くの朝型。
私は朝は誰よりも早く起きてストーブつけて部屋を暖かにしたり、弁当を作ってやったり、牛乳をあたためて娘たちに飲ませ、学校へ押し出すのが大好きなのだ。だから夜はさっさと寝ちゃうのだ。この頃、深夜に電話してくる仕事関係の人が多く、夜ふかし専門の息子が出て、「もう寝てます」なんて電話する。
この間も、二、三日来、電話をかけてこられた民放関係の人があった。いつもゆきちがいで私はるすで、そのうち旅行に出た。帰ってまたゆきちがい、深夜かかってきて、例によって息子が「もう寝ました」というと舌打ちしたそう。怒り狂ってたと息子は朝いってた。
その人は朝、また電話してきた。やっと私が居あわせたので、出た。私はその人を知らないし電話もはじめてである。彼は咳《がい》一咳、
「今まで何べんも電話したのに、いられるような、いられないような……」
と怨みがましくいい、居るすではないかとあてこすってるのであろう。私は急いで、
「ゆうべまで旅してました」
「ハァ。帰られたら電話してくれと、電話番号知らせといたんですがね、そっちからかけてもらうように……と」
と怒り心頭に発した声でいうが、私はそれを聞いたことは聞いたものの、夜の十時になってヒトの自宅へまで仕事の電話なんぞ入れたくないね。仕事なんか十時以後、するべきではない。夜は洒と男のためにとっとくのが私の人生だ(残念ながら私の場合、おおむね、前者だけであるが)。それに、こっちから電話して、「何か用でしたか?」と聞くのは、顔を合わせたことのある旧知の間柄だけのように思われる。
第一、用のあるのは先方さんなのだ。こういう場合、普通だと、私がつかまるまで、先方から電話してくる人が多い。私から電話しなかったと責める人は珍しい。
いっぺんも会ったことのない人が、私を責めるなんて、ヒドイじゃないか。
私は男前に弱いから、一ぺんでも会ってりゃ、ころげまわって、「ご用が何ンか、おありでしたか?」とご用聞きの電話をとって廻るのだ。
しかし一ペんも会ってない、電話もはじめてというような人が、連絡しない、るすばっかりしてる、と私を責めるなんて、ヘンじゃないか。結局、用は座談会ということで、私はどうせ時間がないからダメ。その人は不興げに切ってしまったが、何だかあと味わるかったわよ。仏のおせいさんも不快だったワァ。
こういうとき、私が昔つとめていた大阪船場の問屋さんの大阪商人なんかだと、受話器をおいてから、
「ド阿呆《あほ》……」
というのだ。
これは相手へのバリザンボウでなくおのれもふくめて人間のむなしいいとなみ、いさかいにたいする自嘲みたいなものである。この場合の「ド」は親愛感をもっている。
しかし、ふつうはまあ、「ド……」がつくと、罵《ののし》る意を強めたときである。牧村史陽氏は「喧嘩用の語意を強めるための間投詞」といわれている。
ドアホなら、アホの最上級という意味である。
ケンカの場合だと、親愛感などは含まない。いわゆる「ドぎつい」意味一辺倒になる。
ドケチ。ド畜生。ひどい言葉だなあ。
ド多福。ドスベタ。これは、女に向ってののしる言葉。「何をッ、ドタフクめェ!」なんていわれると、いかな強心臓の女も、心臓が凍るのだ。
ド根性、ドえらいやつ、などとほめる意味にも使うが、これは、大阪人として、|しん《ヽヽ》からほめてるのではないのだ。大体、「ド根性」で金もうけし、「ドえらい仕事」するような奴に、生粋《きつすい》の大阪人はおらんようですなあ。それらはたいてい、「あいつの通ったあとは草も生えぬ」と謳われる、世界に冠たる江州商人、ぬけめない四国人、働き手の九州人などに多く、大阪で成功している生粋の大阪人は、いがいに少ないのである。
大阪人といえば、NHKドラマの「けったいな人々」を見ていますか? あそこに出てくる風変りで型のくずれた、たよりない、あかんたれの、情けない、全く|ド根性《ヽヽヽ》などクスリにしたくもないような人間が、生粋の大阪人なのであって、作者の茂木草介氏、じつによく、大阪人を知っていられるのである。ほんとうの大阪人は決して金もうけはうまくないのである。金をつかう方がうまいのである。
世間で誤解している大阪人は、あれは、移住・転入大阪人なのである。
而うして、言葉ばっかり勇ましく、ドあほうの、ドケチの、ドタマの、という。ドタマはあたまのこと、「ドタマかち割ったろか」などというのは大阪弁の「べらんめえ」である。
私もウチの亭主とケンカするとき使ってやるんだ。
「このドングリ眼のひげダルマ、亀の子タワシめェ、酒飲みのナマケモノ、ゴルフも碁もヘタクソのくせにワガママの亭主関白、威張りかえって傲慢無礼だゾ、ひげ生やしたらこっちがおそれ入ると思ってんのか、ひげが怖くてロシヤの小説が読めるか、ロシヤの文豪はみなひげダルマだゾ。ドタマかち割ったろかァ」
この私のバリザンボウの間、亭主は黙々と聞いていて、終るとひと言、
「何をドぬかす」
重々しく仰せられる。
これはいけない。私は青菜に塩、絶句する。「ド……」という大阪弁の接頭語もうまく使うと致命的である。
カモカのおっちゃんは、|ドホステス《ヽヽヽヽヽ》に、
「ドスケベ!」
と叱られたそうだ。
「いや、ドスケベといわれるのは男の勲章ですなあ。不快な電話のあとで、ドアホと呟くのと同じ、親愛感がおます」
とおっちゃんは悦に入ってた。
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