カモカのおっちゃんと酒を飲んでて、私はいった。
「おっちゃん、そんなに飲んで、体大丈夫なの? 糖尿病、高血圧、肝臓心臓、心配ないのかしら?」
おっちゃんはいやな顔をし、
「飲んでるときに、いうことおまへんやろ。それはシラフのときにきく」
しかし、シラフのおっちゃんなんて見たことがないのだ。
私が見るおっちゃんは、いつも飲んでるんだよ。
それにシラフのときにいうと、
「そういう話はあとでうかがう」
と、こうきちゃう。
「けど、『中年の医学』いう本見たら、酒は一日に……」
「まあ、よろしやないか、そんなことして長生きして何ぼのもんや。長生きしよう、思うのは、いまを充実して生きとらへん証拠。こう見えて僕は、毎日ツツ一杯生きてまッさかい、今が今コロッと|いて《ヽヽ》もうても、心のこりおまへん」
などという。
手がつけられない感じ。
「それにしても、なんで女いうもんは、こうも説教が好きなのかねえ……」
「男かて、けっこう、説教好きはいてはるよ。あの評論家ていうのは、つまり説教家、と名をかえた方が早いのが多いね」
「評論家だけやない。一億総説教家になっとる。ああいやらしい世の中。僕としては酒飲んで引きこもってるのが一ばん」
「それでヨイヨイになってりゃ、いうことない」
「まあ、説教家というのも、世の中には要るかもしらん。しかし僕は要らん。人にああせい、こうせい、こうでなけりゃならん、ああすべきや、と指図説教するのも、まあそれがメシのタネになっとる奴は、かまわん。いいはるのは勝手やが、僕には関係おまへん」
おっちゃん、今夜はコップ酒である。而うして、徳利も、ガラスの一合瓶、酒屋で売ってるガラスの瓶である。私の家には、備前も九谷も清水も、結構なる徳利・お銚子があるのに、おっちゃんは、ガラス瓶を使う。何となれば、酒があとどのへんまであるか、よくわかって安心なんだそう。酒飲みの心理だろう。
「とくにいやらしいのは、おのれの商売から推して、人生論を割り出し、説教するやつですな」
「そんな人がいますかね。学校の先生ですか?」
「あほ、学校の先生は、半分説教が商売やないか。それをメシのタネにしとる人のことをわるういうたらいかん。営業妨害、生活権侵害になります。ちがうねん、僕のいうてるのは、説教に関係ない商売やのに、すぐ人生論にむすびつけて仰々しいことぬかす奴」
「ああわかった。一技一芸に秀でた人ですね」
「そう、そういう人はやっぱりええこという。ところがそこで止めときゃええものを、中にはそれから人生論をぶって説教するのがおる。料理の名人、将棋指し、野球屋、運動屋、それぞれ、けったいな奴がおりますなあ。料理人は料理作っとりゃええのだ、美学の講義や人生論ぶつことないやろ、将棋指しは将棋をさし、碁打ちは碁打っとりゃええのだ。『人生というものもこれと同じで……』とすぐ説教たれるから、胸くそわるい」
「そういう一技一芸は上品な商売の人やから、とちがいますか? 漫才屋や、声色・物まねが、人生論ぶつのん聞いたことない」
「そやからよけい、いやらしい」
しかし世の中には、本人がいわなくても、まわりの説教家、評論家が、かってにこじつけていう、そういうのもあるようだ。
私の知人の釣師、これはもう名人以上の、むしろ仙人みたいな腕前の人。なぜ仙人かというと、あんまり釣りに熱中しすぎて、女房《よめはん》に逃げられたくらい。
本人はステキな人柄で、神サマみたいに気のさっぱりした男であるが、それとこれとは別らしい。その名人は、仲間たちを乗せて車を運転し、トットコトットコ、山奥まではいり、やっとめざす渓流へつく。
仲間たちはてんでに釣場へ嬉々として出かけたが、名人は動かない。
「ああ、ええ水の色やなあ、ええ空の具合やなあ、これは魚が濃そうな感じ、よう釣れるでエ」
と満悦して、釣竿も出さず、ごろんと車にころがり、グースカ眠ってしまった。
その話をきいて人生論の好きな説教家、
「ウーム、どの道でもほんまの達人になると、そういうもんやねんなあ。空具合と水の色を見れば、もはや釣ったような気になるらしい。すべてものごとは、究極のところまで到達すると、もはや空《くう》と化し無となってしまう。これはつまり禅の境地やなあ。『放せば手に満つ』という禅の有名な言葉がおまっしゃろ、つまりそういうことでんねんな」
と、首を振って感心していた。
しかるにそれを聞いた名人、キョトン、として、
「ちゃうちゃう、一日運転して、しんどかったからや」
といったので、みなみな、大笑いになってしまった。
カモカのおっちゃんは、その名人が大好きだという。
すべて何によらず、こじつけ、ねじまげたりしない奴、説教にひっかけたりしない奴が素直でいい、という。
「でも私なんか、別に説教に関係なくても、原稿用紙をひろげただけでもう書いた気になって、安心してあそびにいったりしちゃう。これは何やろ」
と私がいうと、おっちゃんは、
「いやそれそれ、僕も、いちいち女と寝なくとも、近頃は、女見ただけで寝た気になります。そんなもんやろか」
というた。