私はタタミを替えたいと思いつづけてもう何年にもなる。しかし面倒なので、そのままにしてある。
よってわが家のタタミは破れ放題で、まるで空手道場の感じ。文字通り陋屋《ろうおく》であります。
お客さんを迎えると、台所で飲むが(流し台やふきん掛け、冷蔵庫、食器棚の林立している谷間である)、台所のタタミも相当傷んでいる。
こんな汚ない所でモノを食ったり酒を飲んだりできぬという御仁は、だいたい私のウチなどへは来ない。
なかんずく、カモカのおっちゃんなどは、汚ない所ほど酒がうまいという、ゴキブリのような男である。
それに、すり切れていようと、ケバ立っていようと、へりが破れていようと、中の床がはみ出していようと、タタミがよい、という。テーブルに椅子、などという所で飲めぬ、という。
私は以前、テーブルに椅子で食事をしていたが、カモカのおっちゃんは、来ると、必ず椅子の上に坐ってあぐらをかいていた。何のための椅子かわからない。
ウィスキーにしろブランデーにしろ(日本酒はいわずもがな)タタミに坐って飲むのがよい、という。そうかなあ。
CMなんかみると、男が椅子にふんぞり返りパイプをくゆらせ、ブランデーをすすっていて、まことに所得《ところえ》たさまではありませんか。
「しかし、僕らからいうと、酒飲んで、しんどうなったらごろんと横になれる、こんな便利なもんがありますか。椅子やったら、いちいち歩いてベッドヘいって、横にならねばならん。実に不便」
とおっちゃんはいった。
「ウーイ、おれは酔うたぞォと叫んで、ごろんと横たわり、座蒲団を二つ折りにして寝る。自由自在で気ままにふるまえて、タタミはよろしい」
おっちゃんは、タタミが便利なのは、酒を飲むときと、寝るとき蒲団が敷けるからだという。椅子テーブルが不便で、愛想ないのと同じく、ベッドも、あんな不便なもん、あらへんという。
「そういえばそうね」
と私もいった。
「ホテルで泊るとき、毛布の扱いが困ります。足を突込むと出せなくなって、寝袋か、状袋へ入れられたようなあんばい、寝返りもうてなくて、窮屈です」
「毛布の話やあらへん。毛布なんか、誰もいうてえへん。つまりベッドは、ベッドの上だけしか寝られへん、というとんねん」
「当り前でしょ。外へはみ出したら落ちてしまう」
「それが不便や、いうねん。ことに解《げ》せんのはシングルベッド二つ。あれはもし男と女でナニするときはどうするつもりかな」
「ナニってナニよ」
「ナニはナニですがな。——片方がダブル、片方がシングル、いうのなら話はわかりますが、双方、棺桶のような細長い所でどたばたしてられへん」
とおっちゃんは、石油危機問題を論ずる評論家のように重々しくいった。
「それに、よく寝室の写真なんか見ると、シングルベッド二つの間に、物置台やらフロアスタンドやら、甚だしいのはタンスまで置いてあって、わざと二つのベッドを引きはなしてる」
「そうそう、しゃれたベッドルームの写真など、そうですね」
「しゃれてるかどうか知らんが、あれやったら何で同じ部屋に寝るんですかな。別々にはなれて寝るくらいやったら、いっそ二部屋に区切った方がマシやないか」
「老夫婦用かもしれません」
「老夫婦やからというて、ナニせえへんとは限りまへん。もし、ナニするときはどないするねんやろ。やっぱりベッドを下りて大まわりして歩いていって、こんばんは、というのんやろか」
「帰るときは、失礼しました、とおじぎして自邸へ歩いてもどる」
「突然、訪問するのは失礼に当るから前もって電話をかけますか」
「訪問時間を打ち合わせることも大切ですからね、先方の都合もあるやろし」
「考えただけで、しんどうなります」
それではダブルベッドというのはどうだ。訪問打合せの手間も、電話をかけることもいらない。
「いや、いつも横にくっついていられては大きに迷惑。こっちがその気になった時だけ、ナニできるというようでないと、わずらわしい。毎夜、同じ掛け蒲団を引っ張り合うなどというのは愚劣のきわみです」
うるさいなあ、おっちゃんも。
では、ベッドを二台びっしりと並べ、くっつけといたら、よろしいでしょう。ナニをナニするときも便利ですし、蒲団を引っ張り合う愚も犯さずにすむ。
「いや、時には離したいときもある」
こういえばああいい、ああいえばこういう。では、ベッドの下にローラーというか、キャスターというか、動くようにしとけば、離したりくっつけたり、できます。
「そんな苦労せんでも、床をタタミにして蒲団を敷けばすむ。いやなときは離して敷く。ナニをナニするときは、くっつけて敷けばよい」
「ま、それはそうですが……」
「万一、蒲団からはみ出しても、ですな、ベッドやないから落ちる心配もおまへん」
「当り前でしょ」
「顔も見たくないときは、蒲団をかかえて別の部屋へいく。残された方もノビノビと、部屋のまん中に寝て、独身、いやちがった、独|寝《しん》の自由を満喫できる。空《から》ベッドを見やって改めて腹立てたり、後悔したりするわずらわしさがおまへん」
「それはわかりました、ところでさっきからよく出る、ナニをナニして、のナニは何ですか?」
と私が問うとおっちゃんは話をそらし、
「やっぱりタタミは便利ですぞ、たとえ破れダタミであろうとも」
とタタミのケバをむしってみせた。