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イブのおくれ毛19

时间: 2020-06-10    进入日语论坛
核心提示:男ってバカかカシコかこのあいだ、イヤダナー、恥ズカシイナーと思いながらテレビに出されてしまった。而うして、冒頭私に何か書
(单词翻译:双击或拖选)
男ってバカかカシコか

このあいだ、イヤダナー、恥ズカシイナーと思いながらテレビに出されてしまった。
而うして、冒頭私に何か書け、というのだ。私は、どうしても、文句が浮かばない。色紙を書くのはにが手な人種である。こまって、係りの人にいった。
「アノー、『カモカのおっちゃん酒提げて、やってきましたおせいさん』というのはいけませんか」
「ウーム、結構ですが、いかにも長い。テレビの枠に入りきらへん。もっと短いのんで頼みますわ」
そこで私はいよいよこまり、本番ではしかたなく、
「思うことは ツチノコ ばかり」
にしました。
見た人、
「あほかいな」
と思ったそう。
かりにも物書きのはしくれやったら、もうちっと、恰好つけたこと書け、と面《おもて》を冒《おか》して忠告してくれる友人もあった。こまった、こまった。こういう時、それから色紙に書くとき、適当ないい文句を、誰か内緒で教えて、チョーダイッ!
でも「根性」なんてスポーツ選手みたいな標語はいやよ。男の人なら、それ書くといかにも男らしくて似つかわしいが、女ではすこし色けがないみたいである。もっとかわいらしいのがよい——私はこの間、四谷シモンの人形を手に入れて大よろこびで、締切りも忘れて日夜、人形をながめている。この人形みたいな感じのよいのを考えてね。
一日一語などというたぐいの本をよむと、じつにいい文句を考えつく人がある。しかしたいがい、このたぐいのは説教調、訓戒風が多い。私は、自分でかえりみて心やましい人間だから、そういうのは不得手である。身上相談というのは、だからいかにもむつかしい。
ところで、私が今日紹介したいのは、たいへんいい身上相談の回答なのである。昭和四十九年一月十八日付のサンケイ新聞「わたしの場合」、回答者は神戸大学教授・橋本峰雄サン。
相談者は四十一歳の母親で、手に負えない二十歳の不良の娘に泣かされているという。
彼女は、十五年前に夫を死なせてから女手一つで二人の子供を育ててきたが、上の娘が高校三年ぐらいから彼女のいうことに「耳を貸さなくなってしまった」。高校卒業後、勤めているが、「帰宅が十一時ごろになることがしばしば、酒気をおびていることも多いのです。化粧も服装も、ますます派手になっていきます。ことあるごとに叱るのですが娘は反対にくってかかります。無断で二日家をあけたこともある。泣きおとし戦術をとってもケロッとしたものです」(原文のまま)
しかも、最近は、妊娠まで、しているらしい。
「娘がこうなったのは親の責任だと思います。が、私にはもうどうしたらよいのかわかりません」
橋本サンはこの痛切な相談に対し、まず、
「あなたをお気の毒と思います。二十代なかばからずっと、よく一人でがんばってお子さんを育ててこられましたね」
とやさしく同情していられる。
これは、なかなか、いえないことである。
ナゼカ、身上相談の回答には、死者に鞭うつ式のものが多い。
そして(この橋本サンのことは、私は面識もないし、どんな私生活を送ってられるのか知らないが)、ナゼカ、現代日本のエリート、有識者、文化人、世の師表となる人の子供は、みなデキブツである。ちゃッちゃッと大学を出て、いい職業につき、いい結婚をする、「親の顔に泥をぬる」式のフデキな奴がおらぬ。だから、フデキな子をもって泣く親の心がわからぬ人が多い。もしそれ、こういう相談がきたら、一刀両断に、
「親のしつけがわるい」
というのにきまっている。
しかし、橋本サンは、こうつづけられる。
「まず申したいのは、娘さんがたとえ現在のようにあなたには不本意な成長の仕方をしたとしても、それは親であるあなたの責任ではないということです。こどもの性格や生き方のすべての責任を、親がおえるものではありません。その点については、もっと気を楽になさい」(原文のまま)
よんでいる方まで、気が楽になってくるではないか。橋本サンは、叱るということを絶対、やめてみたらどうか、と提案していられる。娘の帰宅がおそくても酒気を帯びていても、外泊しても、おろおろ、がみがみ、をやめてみたら、と一つの方法を考えておられる。
「いつの世も母親はつらいもの、いっそ気楽になってあなた自身の将来のことも考えなさい」
という言葉で結んである。じつにやさしい、いい回答である。
つまり私は、もし人さまの前で、何か書かされるとしたら、この回答のような感じを、一行に圧縮したコトバを書きたいのである。
こんな、ふんわりしたやさしい心持の回答というのは、めったにできない。
私はいたく感心し、カモカのおっちゃんに話してきかせた。おっちゃんは二、三本、徳利をふってみてカラだったから、あわてて新しい酒を注いで燗をしつつ、
「ウム、それはええ回答です。しかしそれをよんだ相談者に、その回答のよさがわかってるか、というと、これはどうも、そうは思えまへん」
という。いやな野郎め。こんな所がおっちゃんの、いや男の、ヘンな所であって、何がなひとこと、屈折していう。男というものは私にウマを合わして、
「あありっぱな回答、橋本サンてステキな人、やさしくかしこくあたたかく、こういう調子でいきましょう」
と私と手に手をとって感激の涙にむせぶ、ということには決してならないのである。
「要するに、どんな回答よんでも翻然大悟、いうことはないやろうなあ。そやから〈一刀両断〉でも〈死者に鞭うつ〉でも、役に立つのや。世の中はいろんなんがあってこそ面白いねん。おせいさんが感心するのは勝手やが、いわしてもらえば、あれもこれもみな同じ」
ウーム、私はきめた、これから何か書かされるとき、
「男ってバカかカシコか、ほんとにもう……」
にする。
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