このごろの若妻、
「主人ったら、毎晩毎晩、帰りがおそいんですのよ。あたしもう、淋しいやら悲しいやら、なさけないやら、くやしいやら……」
と涙ながらに訴えてくる人があるそうだ。
「おそいって、何時ごろですか」
と聞くと、なおもしゃくりあげつつ、
「毎晩、八時九時なんです……」
これを嗤《わら》うのは、女心を知らない人であろう。
だいたい、女というものが、どう男を(夫を)考えているか、わかったら男のひとはびっくりするだろう。
ともかく、女の思う通りにしてりゃいいのだ、と女はまず腹の底で考えている。
女の思う時間に男が帰ってこないと腹が立つのだ。すべて、思い通りにはこばないと怒る。夫がはじめて七時に帰宅するとする(ハハン、定刻に帰れば七時には帰れるんだな)、と女は思い、食事の支度も掃除も化粧も、以後みなそれに合わせる。
食事ったって、温度、さらにはモノによってはのびかげん、というものもある。おつゆがさめる、また暖める、煮つまってくる、魚のフライはこちこちになる、刻んだキャベツは乾いてくる、酢のものは水っぽくなる、早く帰ればいいのにとイライラする。まじめ・りちぎな女ほど、あたまへくる。
そこへ空腹が手つだってよけい怒りの火に油がそそがれる。
ウヌ、畜生! どこをうろついてやがるのだ、とうへんぼくメ、さっさと帰りやがれ、人の気も知らないで、このまぬけ!……
などと、女はありとあらゆるバリザンボウを、何も知らぬ亭主に心の中で浴びせかけているのである。時計をながめて一時間二時間、緊張と憤怒で充填され、男がドアをあけるや否や、ドカーンと爆発する仕掛けになっているのであって、世の男という男、わが家に女房を置いてる御仁は、みな、手製爆弾を仕掛けてあると心得られたい。
ついでに女房族の考えてる理想の良人《おつと》像をいうと、みめうるわしく|見ば《ヽヽ》のいい美男で、頑丈な体をもち、よく稼ぎ、さっさと出世して近所や身内にも、ていさいよく肩身ひろい男。
やりてで会社のホープで、仕事熱心で、社長以下ほめない者はなく、その男の妻というと、下にもおかぬとり扱いをされる。
稼ぎもいいから、家なんか、すぐたてちゃう。
しかも家族には誠実そのもの、妻を熱愛し、ほかの女には目もくれない。
しかし、ほかの女が、だれも夫に洟《はな》もひっかけない、というのではない。物干しへ三日吊しといてもカラスもつつかぬ、というのではない。世間の女という女、みな、夫に首ったけで将棋倒しになるほどモテるのであるが、夫は、それらには目もくれず、妻ひとりを愛しつづけているのである。
当然、妻は、ほかの女たちからそねまれ、うらやましがられ、殺したいほど憎まれる。しかし夫が、それほど妻を熱愛しているのだからしかたない。
あまつさえ、とても子煩悩である。子供の勉強をよく見てやり、帰宅すると一緒に遊んでやり、子供の教育に細心の注意を払い、日曜の父親参観には欠かさず出席する。子供の長所は、
「おまえに似ているね」
と妻をたたえ、短所は自分似だとみとめて反省する。
子供の進学問題、家や町内のごたごた、トイレの雨もりから、町内会の防犯灯設備割当会の相談まで、うっとうしい、わずらわしいことは一切、自分が面倒を見て引きうけ、妻に苦労をかけず、
「そんなことは心配しないでいいよ、僕に任してお置き」
という。
その上、自分の身内はちっともかえりみず、妻の身内を優先し、妻の両親に孝養をつくし、妻の兄弟、甥、姪には小づかいをやり世話をする。自分の親は三年に一ペんも会いにいかないが、妻の親には一週間に一ペん、妻子を連れて会いに行く。
酒・煙草ほどほどに、かけごときらい、趣味は、妻と連れ立って、買物や旅行にでかけること。
一人で行動するなんて、勤務時間以外は考えられない。
むろん、毎晩ハンで押したように帰宅し、毎晩にこやかな顔で食卓に向い、妻の手料理に舌つづみを打ち、かならずほめる。
子供が小さくて、食事が騒然としているときは、まず自分が子供に食べさせ、お守りをしていて、妻にゆっくり心ゆくまで食事させる。
夜は、決して自分勝手に、
「オイ」
なんてよばない。
妻がそうしたいと思うときだけ、御意《ぎよい》にかなうふるまいをする。それも自分だけさっさとすまして、蒲団ひっかぶってグースカ眠るという不埓《ふらち》なことはさらさらなく、あとあと妻の得心のいくように、ていねいな仕上げをする。
日曜ともなると、さっさと早起き、家のまわりを掃いたりして、湯を沸かす。
結婚記念日、妻の誕生日、いずれも高値なおくりものをしてくれて、
「いつみてもキレイだねえ……」
とほめてくれる。
あんまり、いつもいつも、いとしそうに見られるので、妻はもうすこし、うるさくなっている。
そんなに惚れなきゃいいのに、なんて思ってる。しかし夫が勝手に惚れるんだから、しょうないでしょ。
妻を莫大な生命保険の受取人にしといてくれて、
「僕が死んだら、君は再婚するだろうなあ。君みたいなすばらしい美女を、男はほっとかないだろうからね。それを思うと死ぬに死ねないよ」
とやいたりする。
ああ、こういう夫なら、妻はどんなに貞節につくすであろうか。
私がそういうと、カモカのおっちゃんは吐き出すようにいった。
「あほ、そんな亭主もった女は、絶対、浮気しよるわ」