人間、なんでもニコヤカに八方|円《まる》くおさまって善男善女、性善説というのでは、小説でもドラマでもニュースでも噂話でも面白くないもので、ワルイ奴や、毒舌が出てこなければ面白くない。毒舌・痛罵に出あうと、旱天《かんてん》の夕立のごとく、気分がスーッとする。
その意味で、私は佐藤愛子チャンのエッセイを愛読するものである。
愛子チャンの最近の一文の中で、こんなのがあった。某新聞の夕刊にのっている作家論が、あまりに見当はずれで悪意にみちていやらしく、新聞社の威を借るキツネであって、これはインポの文章ではないかと、朱唇、火を吐く痛快さで論断していられるのである。
私も、実はその作家論をよんでいて、(これはちゃう、ちゃう)と叫びたいときが多いので、全面的に愛子チャンの意見に賛成であるが、ただ一つ、かすかに疑問をもつのは、インポときめつけられた場合、男性は、侮辱ととるのかどうか、そのへんは私にはわからないのである。
中には、そういわれても、べつにバリザンボウと思わずに、「ハァ、わて、インポだんねん」とすましてうなずいている男もあるのではないかしら。そうして私自身、それが本来、どんなふうになるものか、女の身にはよくわからないので、愛子チャンが花道で六方を踏んで、「うぬはインポだ!」ときめつけても、相手に及ぼす効果のほどを、うたがわずにはいられないのである。小説などをよむと、いかにも、男の風上におけないように書いてあるけれど……。
カモカのおっちゃんに聞いてみよう。
「ねえ、男にとって、デキナイ、というのは、やっぱり恥ずかしいことですか?」
「デキナイ、って何が?」
おっちゃんのいじわる。私は、字では書くけど、口でいえないコトバというのはたくさんある。インポもその一つである。
「あのう、つまり、役ニタタナイ、ということです」
「何の役に」
「何の役って、イザ鎌倉というときに、御期待にそえないという状態」
「そやから何が、そうなるのかというてんねん」
とおっちゃんはいったが、私がイライラしているのを見ていそいで答えた。
「わかりました、インポの状態ですな」
私は字ではよむけど、肉声で耳で聞くに堪えないコトバというのはたくさんある。インポもその一つなんだ。しかるに、私がいやだと見てとると、おっちゃんはわざと大声でいう。
「つまり、インポというのは男にとって恥かどうか、というのですな。それはやっぱり、インポと思われるのは、恥ずかしいですなあ」
「ソレときめつけられたら、コタエルかしらね」
「それはコタエますなあ」
「でも、そういうことは職場のお勤めには関係ないことだし……」
「ヒモの勤めはできない」
「それはそうだけど、外から見てわかることではなし、どうということ、ないのとちがいますかねえ」
女にはそこがよくわからない。
「いや、それはちがう、気分的にまいってしまう」
とおっちゃんはいい、すぐ、
「まいってしまうような気がする」
と訂正する。
「たとえば、女性とたのしい時間をすごそうと期待してすでに代償を払う、ところがやってきたご婦人が、いかにしてもこっちとフィーリングがあわない。そういうときが男にはある」
とおっちゃんはいい、あわてて、
「ような気がする」
とつけたす。
「へん。おっちゃんでもそんなことあんの。女なら、誰でもいいのかと思ってたわ」
「いや、若盛りならそうでもあろうけど、中年男となるとそうはいきません。すでに金は払い、ドキドキワクワクして待ってる所へ御光来になったる婦人、タテから見てもヨコから見ても、どうもうまいこといかん。長大息して気をとり直してみても、その気にならん。我とわが心をふるいおこし、叱咤《しつた》してみても、反乱をおこしていうこときいてくれん、意に反して役に立たない、御期待にそえない、という状態がある」
おっちゃんはまたあわてて、
「ような気がする」
と念を押す。
「そうかなあ」
私は半信半疑である。女性と見ると、双手《もろて》をあげて大歓迎、てなことばかり、ふだん広言しているおっちゃんなどに、こんなデリケートな心情が働こうとは、私だけでなく、誰も信じがたいにちがいない。
「いや、男というものは、とくに、中年男というものはそうなのですから、辛いのです。一時的インポになってしまう、誰でもかれでも女ならええというわけにいかん、かつ、金を払《はろ》たさかい、どうでもというわけにいかん」
「そんなときどうすんの」
「更に高くつく」
「どうして!?」
「何となれば、女にインポだと思われると恥ずかしい、かつ、共に遊興している仲間に知られるのはなお恥ずかしい。それゆえ、ご婦人に更に金をつかませて、デキナイことを口止めする」
おっちゃんはまたいそいで、
「ような気がする」
という。
「故に、インポときめつけられるのは男の恥です」
「ふーん。じゃ女の恥は何かしらね」
「それは、インポ対不感症とちがいますか。目には目を、歯には歯を、インポ批評に対抗するには、物書きは不感症になってればよろしいのです」