茨木の郵便局で、年賀はがきを大量に隠匿していた事件があった。配達忘れであるが、時期を失してこっそり処分しようとしたのを発見された。この、係りの人が四十二歳(男性)というところが興深い。
私は、こういうときの当事者の内心のヤキモキがよくわかり、ヒトゴトとはとうてい、思われない。新聞にあるように、無責任の、杜撰《ずさん》のと筆誅《ひつちゆう》を加えることができない。私だっていつ、この手のことをやらかすか、しれない。
ダマッて隠してる、毎日毎日、気になると、一日は一日と重荷が増していく、お年玉くじの当選引きかえの期限もすでにすぎ、はや秋風が立ち、来年の年賀はがきも売り出されようという頃おい、今さら配達忘れでもあるまい、どないしょう、早いこと焼却炉へでも抛りこむしかない、うっとうしい、考えるたびゆううつ、酒飲んでるあいだだけ忘れたりする、あほらしい、いらいら、ヤキモキ、ほんまになさけない、——とこんな具合だったろう。
あんまり、この人を苛めないであげて下さい。
ただ、ヘンな気がするといえば、この人が四十二にもなっているということである。人はたいてい、こんなイライラヤキモキを一度二度は子供の頃に経験するはずで、そのころに骨身にしみ、したたかに思い知らされることになっているのだが……しかし、なま身の人間であってみれば、そう杓子定規にもいくまい。
私は小学校四年生のとき、そういう経験があった。全員の試験の答案を綴じて各家庭に廻すという、えげつないことを、学校がした。昔の小学校は、こんなえげつないことをやったものである。
(さすがに、このとき一回きりで終った。それはそうでしょう。満点をとる子はよいが、零点や二十点三十点しかとれない子の切ない胸の内を思いやるがよい。クラス全員の家庭に回覧されたりしたら、アホの人相書を廻されるようなものである)
私は、その試験のときに限り、ヒドイ点になった。いつもはもっとマシなのに。私にはそんなところがある。ここ一番、というときに限り失敗する。ここ一番、というときに実力以上の成果を収める人があるが、私から見れば神サマである。
四十点か五十点か、ともかくヒドイ点であった。私はその綴じた答案がわが家へ廻ってくるのをひたすら恐れていた。教育ママの母親にどんなに叱られるかしれない。すでに自分の点は知っている。先生がよみ上げて発表したときから、私はどないしょうと思い、小さい胸をいためていたのだ。今日は何々くんの家、明日はダレソレさんの所、と答案は泊り泊りを重ねてわが家に近づきつつある。そのときのドキドキする不愉快な辛さは、今思っても切ないほどである。とうとうわが家にきた。
ある日学校から帰ると母親の血相がかわっていた。私は夜まで膝をつき合わせて叱られ、涙が涸れるほど泣いた。泣きながら、
「そうかてナガタさんも三十点やもん」
というと、また、あたまを撲《は》つられて叱られた。母親は、父兄会でホカの親に恥ずかしくて顔が合わせられないといきりたっていた。とうとうしまいに、一年じゅう階下の茶の間を出たことのない曾祖母まで、えっちらおっちらと二階へ上ってきて、まあまあ、と母親をなだめるしまつ、家じゅう大騒動であった。私はヒクヒクとしゃくりあげながら、
「お母ちゃんのバカヨイ」
といって、父親のふとんへはいって泣き寝入りに寝た。
こういう思い出があるので、「失敗《しも》た、どないしょう!」という身も世もあらぬ切なさは、じつによくわかるのである。
列車の運転士が、とまるべき駅を、ウッカリ通過してしまい、あわててブレーキをかけ、自分は線路へ飛びおりた。そのままふらふらと対向列車の線路へさまよい出て、驀進《ばくしん》してきた列車にはねられて死んだ事件がある。
こういう動転も、私にはじつによくわかる。
私は子供の頃から「ウッカリ者」とよく叱られた。
「ホラホラ、ウッカリして!」
と叫ぶ母親や、おとなたちの叱り声が、四十年たったいまも耳についてる。
「この子はアホとちゃうか」
と何べんもいわれた。
お習字のスミをすっている。硯箱の端をひっかけて、墨がモロに洋服にかかり、新しい洋服はまっくろけ。これが二度あった。
小学校の築山の池であそんでいて、
「見て見て。サーカスやし」
と池のふちの石の上を爪先立ちで歩き、平衡を失って池へどんぶり。水は、子供のスネぐらいまでしかないが、服はびしょびしょ。泣きべそをかいて家へ走って帰る。叱られて着がえるまもなく、ぬかるみですべって泥んこになり、また帰ってまた叱られる。アホとちゃうか、と叩かれる。
この間、北陸銀行で、銀行員がつとめ先から大枚の金をぬすみ、じっと隠していて、みつかりそうになると返しにいった事件がある。一銭もつかっていないから罪はかるいだろうと考えていたというのだ。これも女房持ちの一人前の男であるが、子供の私と同じことをしている。
私は、同じく小学生のころ、遠足にいって時計を落し、母親にいうと叱られるので、だまっていた。毎日毎日、いつ紛失がばれるかと地獄の責め苦であった。
とうとう次の父兄会のときに、先生が母親に「小学生に時計を持たせたりするからこんなことになる」と文句をいい、私がだまっていたのがばれた。私はまた叱られた。じつにどうしようもない子であった。
現代の世相を見るに、過失や犯罪はマスマス退化して幼稚化している。子供なみに下っているのである。人間には、進歩などということは決してありえないらしい。カモカのおっちゃんいわく、
「そらそうでっしゃろ、これだけ回を重ねても、おせいさんの原稿が期日に間に合うたためしがないねんさかい。三年たってもちっとも進歩しとらんのん見ても、わかります」
ほっといて下さい。