わが愛蔵品というテーマで、写真をとられることが多い。私は一生けんめい考えて、安ものの骨董《こつとう》品を一つ取り出し、写真にうつしてもらった。
しかし、そのあとはいくら考えてもない。縫いぐるみのクマや、フランス人形など出したら、先方さんはいやな顔をするだろう。
ガラスのつぼや壜《びん》も、いい顔はされないだろう。
銘のある茶碗とか、古い掛軸とかあればいいのだが、どうも、とんとそういう書画骨董には縁がない。
「ご亭主を出しといたら、どないですか」
とカモカのおっちゃん。しかしこれも編集者、カメラマン、ならびに読者の方は快く思われぬであろう。「わが愛蔵品」というタイトルを掲げてある以上、高雅清韻のおもむき深き秘宝|珍什《ちんじゆう》がおごそかにあらわれるかと思いきや、ソルジェニーツィン氏のようなあごひげを蓄えた、どんぐり眼《まなこ》の海坊主がうつっていたりしては、大方の興をそぐばかりでなく、せっかく獲得した、そこばくの私の読者を失うかもしれない。読者の方々は、呆れはて、こういうけったいなおっさんを「わが愛蔵品」というような、ヘンな女の書く物など、もう決して決してよんでやらぬぞ、と思われるであろうからである。
「ご亭主があかんのやったら、僕でもよろしいがな」
とカモカのおっちゃんはいうが、おっちゃんだとて、五十歩百歩。第一、私は、おっちゃんを「愛蔵」なんかしてませんよッ。おっちゃん勝手に「あーそびーましょ」と押しかけてくるんやないの。
「おっちゃん、愛蔵品を持ってる?」
「それは持ってます」
とおっちゃんは大きくうなずいた。
「やっぱり奥さんのことですか?」
「いや、あれは愛用品というべきものでっしゃろな。いやいや、愛用というからには常に用いることを意味するが、あんまり用いぬから、愛用品ともよべまへん。ただ、ヨソのをつかうと高くつくが、ウチのはタダであるから安上りである。むしろいうならば、徳用品というべきでありましょう」
何の話や。
「どうして愛蔵品と愛用品はちがうのかなあ」
と私は考えた。
私なら、大好きなものは愛用する。私は骨董屋さんで、よくお皿を買うが、みんな日常出してつかっている。このお皿にどんなオカズを盛ろうかと考えて買う。私にはしまいこむクセはない。それに、お酒を飲むと、つまらないオカズでも品数が多いので、かなりの皿をつかう。
料理の未熟をイレモノで補おうとするところが私にはある。いろんな形、いろんな色の皿をたのしんでつかう。皿を見て、今晩の料理のヒントを得たりする。とてものことに、どんな高価な皿だってしまいこむ気にはなれない。
けれども、一つこまるのは、出してつかっていると、どうしても割ったり欠いたりすることが多い。
ふつうのときは、私は三年に一ペんも皿を割らない方だが、しかしあと片づけをして台所を流しているときは、たいてい食後だから酔ってる。酔っぱらってると、自分はちゃんとしているつもりなのに、手許が狂ってぞんざいになるとみえて、食器を割ることが多い。しかし酔ってるから、ゲラゲラ笑っておかしいばかりである。屑箱へ抛りこんで、一丁あがりィなどという感じである。
翌朝、しらふになって、割れた高価な皿を見て諸行無常の思いに打たれる。しかし私如き凡婦は、それでもって大悟一番、ほんぜんとして解脱《げだつ》するということもできぬ。しかしいつまでもメソメソすることもない。
(まァしゃァないな)と思うだけ。更にいえば(オトナになってよかった——)としみじみ思う。子供の頃に、親の大事にしているものを割ったらどんなに叱られたかしれない。
またこれが使用人であると主人のものをそこなうと大変、妻ならば夫の愛蔵品を損壊させたらえらい大ごとであろう。しかし私が私の買ったものを割ったのだ。誰に気がねもなく、屑箱へ投げてグッドバイである。
こういうのは、愛蔵品ともいえないのではないか。割れたら買えばいいでしょ、と思っている。
少なくとももっと愛着があるのが愛用品だろうし、更に、それが執念になれば愛蔵品ということになるのではないかしら。
してみると、私は愛用品、愛蔵品を持つ資格がないのかもしれない。
「ハハン、そこんところも女房《よめはん》との関係と似てますな」
とおっちゃん。
「愛用——いや、お徳用の品ではあるが、欠けたとて、いつまでもメソメソすることもない。失ったとなると、アア惜しい、しまったとは思うが、執念ですがりつくほどの気もない。まァしゃァないな、と思い、早く次のを求めよう、という気になる」
「おっちゃんも、『わが愛蔵品』を持てない人ですね」
「いやいや、骨董品や女房《よめはん》は愛用品ですが、それとべつに愛蔵品は持っています」
「ヘー」
私は少し感心し、なかば軽侮の気持で好奇心むらむら。
「おっちゃん、そんな風雅なとこあるのん」
「それはもう。あんまり大切なもので、つねに携え歩いとる。いわば身につけておりますな」
「というと何かな。指環をするガラでなし、時計、ライター、万年筆、男の七つ道具を持たぬ人やから、何かなあ。それ何? 見せて、見せて」
とせがむ私におっちゃんは悠揚迫らず、
「これは体にくっついております故、それだけをとり出して見せるわけにはいきまへん。わが秘宝、いや秘砲というべきか、これを愛用しているといいたいが、常に用いることも最近はあまりなく、もっぱら愛蔵、しまいこんでおりますわ」
こんな奴、目ェ噛んで鼻咬んで死んでしまえばよいのだ。