新しい大臣がきまった。
次々とテレビにうつっている。もう何べんも大臣した人の、まんざらでない顔。いそいそして車に乗りこんだり、玄関からはいってくる所を、テレビカメラにとられたりして。
あー、うれしそ。
新顔の大臣は、うれしそうな顔になるまいと、わざとむつかしい顔でいる。
それで私、思いました。
男の人は、結婚式場の花嫁を、しばしばバカにしてあざ笑うけれど、男だって五十歩百歩ではないか。
派手な花嫁衣裳や、金屏風に酒と花、ウェディング・ケーキにナイフを入れる瞬間。そんなものにあこがれ、人生の生き甲斐と夢みている女の子を、男が嗤《わら》えるか。
「ねえ、おっちゃん、新大臣かて花嫁と同《おんな》じやないの。カメラのフラッシュ、パチパチ、バンザイ三唱、ミンナコッチミテハル、ワー、キャー、人生の晴れ姿、一本どっこの歌。男も女もあれへん。花嫁、新大臣、みな一緒やないの」
「いや、それはちがいます」
とカモカのおっちゃんはあわてず、たしなめる。
「花嫁の女の子ちゅうもんは、きれいにうつくーしく、着飾っていたとて、夜になるとマタひろげる。そのへだたりのおかしさも知らず、わが晴れ姿に昂奮して、有頂天になってるのだ。それをこっちから見てると、ああら笑止、片腹いたや、おかしやの」
「でも大臣かて、精神的なマタひろげるやないのさ、企業や会社や団体に対して」
「ばかっ、あほっ、すかたん! まぬけ! 無礼者っ! 女のいうこととちがうっ」(とおっちゃんは、円山雅也弁護士センセイの如く、力を入れて叱った)
ゴメンチャイ。
だけどさ。
おっちゃんだけでなく、どうしてか、男って女を潜在的に蔑視してますね。どうしてやろ。
私からみたら、大臣も花嫁も一緒だという点にとても人間的なものを感ずる。そして男のえらさは、そんな点に関係ないのだ。
私はとても男はえらいと思う。男は女にない美点特質をいっぱいもっている。女にもあるかもしれないけど、それは女自身にはわからない。
同様に、男のえらさも男自身、気づかぬものであってほしいのだ。そこがむつかしい。
男はふつうにふるまっていてリッパさが出るところがいい。女の方はそれを見て尊敬して、とてもかなわぬ、あたまが上らぬ、などと思うのがよい。
いや、そうあってほしいと思うものだ。
それを、往々にして男は口に出して自慢する、女をけなす、バカにする。そんなことをしなくても、黙ってちゃんとしてさえくれれば、女はしぜんに尊敬し、男を見習おうと心がけるのだ。
わるいところがあれば、直そうと、男をお手本にするのだ。
「うそつけ」
とおっちゃんはいった。
「そんなオナゴばっかりやったら、この世は極楽になっとるわい」
「いや、それができないのは男がわるいからです。男、男たらざれば、女、女たらずよ」
「しかし、男をお手本にして直すというが、そんな殊勝なこと、女にできますか。かならずブツクサいい、あべこべに、男を女のタガにはめようとする」
「そんなことない」
と私はおなかの底でいわず、口に出していった。
「私このごろ、何でも男のいうようにしてればまちがいない、と思い出してきたんだ」
「へー」
とおっちゃんの疑わしそうな顔。
「しかし、そんなことをおせいさんにいわれると気色《きしよく》わるいなあ。何や勝手がちがう気がする」
でもそうなんだ。女って、ホント、発作的にそうなっちゃうのだ。自分で考えるの、めんどくさくなって、男の後についていってれば気らくだし、失敗は男のせいにできるし……。
たとえば私だと、何ンか賞を下さろうとするね(これは仮定。日本国文壇という所は漫才や落語の台本に手を染めてるような人間には、絶対に文学賞なんか来ない。でもいいんだ、私は面白半分腰巻大賞の栄誉に輝く人である)、まあ、賞を仮にあげるといわれると、すると私は、ナヨナヨして、
「主人がお断りしろと申しますのでご辞退させて頂きますわ」
と蚊の鳴くような声でいうのだ。これは気らくでいいなあ。
「やめて下さい。女が男を立て、男をお手本にするなどといわれると、陰謀の臭いがする。不気味。——それに第一」
とおっちゃんは酒を飲んでから、
「女は必ず、自分をしおらしく見せようとするのか、男がコゴトをいうと、『ね、どういうふうにわるいの、いうて。いうてもろたら直すから』などと、鼻声でぬかす」
「女のかわいいトコですよ」
「女は、わるいとこさえ直しゃ、それでええ、完全無欠になると思うてる」
「むろんです」
「それがちがう。そんなもんとは、全然ちがうのだ」
「どうすればいいんですか」
「男は相手がかわりゃええのです。女のイヤな部分、ひととこふたとこ、手直ししてもろたからいうて、それで通るもんちがう。全部別の女と、取っかえてこい、ちゅうねん」
私は怒った。
男にはやっぱり、女性蔑視があるのだ。
おっちゃんみたいな奴に、もう酒は飲ますもんか。