このごろ、有名文化人がたくさんテレビの広告に出るようになった。
コーヒーのちがいのわかる有名人がふえたことを、いやらしいといって顰蹙《ひんしゆく》する向きもあるが、私は別に、そうも思わない。実績のあるものだったら、いいのではないかしら。つまり、いつも愛飲愛用してるものだとか……。そう目くじらたてることもないでしょう。タカが広告じゃないですか。
カモカのおっちゃんは、広告にジャリやガキがたくさん出ることを、いやらしいといっている。「ワサワサと出てくるとゾッとする。しかもこまっしゃくれた、小さい紳士淑女みたいなのが多うて。土気《つちけ》はなれぬ田舎の子供然としたガキならまだましですが、いかにもききわけのよい良家の子弟風であるのが、いやらしい」
私はどうしてか、食べものを食べてる広告がきらい。口をうごかしている広告というものはあまり好かない。飲むのを見るのはいいけれど、食べていて美しく見えるというのは、ありにくい。かなり美しい女でも、食べているところを見ると、今までの全人生が露呈する。大変、こわいことである。
食べてるのを見て、より美しく見える人もあるが。
「僕は、親子夫婦で出てる広告は、いやらしく見えますなあ」
とおっちゃん。
「あれ、なんで出すのやろ」
「それは自然な生活感情が出て、ええのやありませんか」
「しかし、プライバシーを何百万の人間に公開することですからなあ。フーン、こういう女房と結婚してこんな子をつくったのか、とつくづく見る」
「どうちゅうこと、ないでしょ」
「親に子が似とるのも、いやらしい」
「ほほえましい、と思う人もあるかもしれない」
「しかもさも仲よさそうに目くばせし、にっこり笑い合う。ほんとうに仲よければそれはそれでいやらしく、仲がわるいのによさそうに見せかければ、それもいやらしいのです。ともかく、仲のええ親子夫婦は、ハタから見ていやらしい」
「しかし、いやらしいコマーシャルの方が現実にはうけるのかもしれません」
どうして、いやらしいのがうけるのだろうかと私たちは考えた。おっちゃんは、いやらしいもの見たさ、という心理が、人間にはあるからだろうという。
すると、いやらしいものを考えつくと、そのコマーシャルは成功するかもしれない。
親子夫婦、仲よし、というのはこれからもますますハヤル広告かもしれぬ。そういえば、毎晩私は亭主と酒を飲むというと、川上宗薫さんは、
「信じられないなァ、いやらしい」
といっていた。
私が亭主と唄を合唱していると、野坂昭如センセイは顔色をかえ、嘔吐《おうと》をもよおす気配を示して、逃げていった。そして、
「オマエら夫婦、『むつ』の前で唄《うと》うたんちがうか、そんで『むつ』洩れよってん」
といっていた。
私、思うに、夫婦というものは、何だか人前に出すといやらしいものですね。
「いや、それは、中年女がいやらしいのではありませんかな」
とおっちゃんの見解である。
「夫婦でも、若い夫婦、おさな夫婦は、恋人同士のようでかわいらしく、いやらしさの要素が少ない。これが中年、しかも夫婦になると、まことにもってかなわんですな。女ぎらいの男のうち、中年女ぎらい、というのはかなりの割合になりますやろ」
「女ぎらいの男って、いるのかな」
「それはおります。男の総数四分六に分けて、四分は女ぎらいでしょう。更にその女ぎらいのうち、四分六の四分は女に憎しみを持っとる」
「ほんとォ」
「この頃の女は、かわいげなく思い上り、権利ばかり主張して自分は何一つ努力せず、なまけもののぐうたら、ガリガリの利己主義、強欲非道で色キチガイ。こういう手合いがふえますと、男は女に憎しみを持つ。しかも、老いも若きも女はダメであるが、とくに中年女ははなはだしい。女ぎらいの気持はわかります」
「でも、それは、女はかくあるべし、という夢が男にあるからでしょう。|しん《ヽヽ》からの女ぎらいでなくて、もし理想通りの女がいたら、女ぎらいでなくなると思うわ」
「それが、理想通りの女なんて、絶対おらへんのやから」
カモカのおっちゃんは憎らしいことをいい、
「そのいやらしい女の中でもことにいやらしい中年女が、べちゃべちゃ男にしなだれてるいやらしさ、こういうのをテレビにすると、あまりのいやらしさに、却って大成功するかもしれまへん。たとえば、僕とおせいさんでもよろしいのだ」
おっちゃんの案によると、コーヒーアンドクリープの宣伝広告が一ペんにできる。
〈カモカのおっちゃん、コーヒー飲んでにっこりおせいさんを見返る。
「気の合った同士で飲むコーヒーって、ちがいがわかるね」
おせいさん、にっこりうなずきカップを手にしたまま、
「十三年の歳月って、クリープの味ねえ」〉
このコマーシャル、放送されるとあまりのいやらしさに、宗薫サンはショックを受けて銀座の方角を忘れ、野坂昭如センセイは世を憤るあまり割腹自殺し、小松左京チャンは絶望して首くくり、藤本義一チャンは精神に変調を来《きた》してクリスタルガラスの灰皿をテレビに投げつけるかもしれない。
大成功疑いなし、なんだけどなあ。