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イブのおくれ毛70

时间: 2020-06-20    进入日语论坛
核心提示:非常識ごっこ葬式というものは、モメるものである。どうしてか、結婚式ではモメないのに葬式はよくモメる。なごやかにしめやかに
(单词翻译:双击或拖选)
非常識ごっこ

葬式というものは、モメるものである。
どうしてか、結婚式ではモメないのに葬式はよくモメる。
なごやかにしめやかにとどこおりなく、という葬式は(それが当然なのに)少ない。
ウチの舅・姑の葬式くらいかしらん。どちらも七十をこえ、爺さんなどは寝ついて数日、苦しみもせず極楽往生、一生したい放題した人だから、あとに残る子も孫も心のこりなく、お寺さんは戒名を、
「白雲院悠々居士」
とつけてくれたくらいである。葬式の日は飲めや唄えの大そうどう、久しぶりに遠くの親戚が顔を合わせ、「よう、どないしとんねん」「ちと、老けたんちゃうか」などと盃をあげて久闊を叙し、「おい、酒や酒や。酒もってこい」と男たちはよぶが、女連中は別室にかたまってご馳走をかこんで乾盃、大にぎわいで、みんなニコニコしていた。
すべからく親というものは極道をしつくして、子供たちの鼻つまみで死ぬべきだと、私、つくづく思っちゃった。いい葬式だった。
しかし、こんなのはめずらしい。
時として波瀾ふくみとなる。
焼香順がちがう、とあたまから湯気を立てる人がある。
「本家だっせ、ウチは。本家がなんで分家のあとへ来《こ》んなりまへんねん。帰らしてもらいまっさ」
と席を蹴立てて出、マゴマゴしている妻女にも、
「早よ来《こ》んかい、去《い》の、去《い》の!」
と促して、一座収拾つかぬさわぎになる。
また、病院の支払いを立替え、看護婦さんの心付けもしたのに、誰も礼をいわぬ。あれどないなってまんねん、「ワテが払う筋はない、思いまんねやわ」と本人がもう死んでるのにゴテている老婦人もいた。
おかしかったのは、葬式のあとあつまって食べた|ばらずし《ヽヽヽヽ》(大阪で五目ずしである)を盛るのに、お椀でなく、お皿に盛ったというので、
「ワタイは犬やおまへん」
とむくれて顔色をかえ、
「けったくそわるい、去《い》にまっさ」
と席を立つおじさんもいた。一座はあわてて押しとどめ、
「何も悪気でやったんとちゃいます、五目ずしいうのは、世間でもほんまはお皿に盛って、紅しょうがをぱらっと振って食べますがな。馬鹿にして、お皿に盛ったんとちがいます」
「いや、ワタイはいつも大ぶりのお椀で食べとりまんねや。ほんで、金糸《きんし》たまご仰山かけて、紅しょうが、チョビッとふりまんねん。——皿に盛って、紅しょうがだけ、ちゅうような五目ずし、知りまへん」
と、しまいにすし論争になって、おかしかった。
それはともかく、いろんな葬式を経験してきて、よくモメるのを知っているから、坂東三津五郎さんの急逝で、ごたごたしているのも、ふしぎではないと思うが——。
私は三津五郎さんのファンなので、その死をたいへん残念に思った。けれども、その葬式では、少しびっくりした。
これも私の好きな役者さんである、中村勘三郎さんが、大変ショッキングな弔辞をよんだからだ。
三津五郎さんの死を、先に亡くなった先妻さんは、さぞよろこんでいるだろうといい、先妻さんと同じ墓に入れてやるといい、先妻さんがいかに三津五郎さんのよき協力者であったかを讃えたというのである。
三津五郎さんの死をみとった現夫人を前にしていうのだから、関係ない他人から見れば、たいそう奇異に思える。
しかも、マスコミの報道では、そういう衝撃的な発言をした勘三郎丈に対して、
「一世一代の名演技」
とか、
「効果的な演出」
などといって、その弔辞が妥当で必然的なもののように扱い、してみるとそれは関係者の大方の意向の反映であるのだろうか。
私は歌舞伎界や舞踊界の内幕については全く知らない。
坂東家の内紛についても、週刊誌以上の知識はない。
だから、勘三郎丈の、公衆の面前での発言が当を得たものかどうかを判断する材料は、何も持ち合わせがないのである。
しかし、現夫人が控えているのに、先妻さんのことを葬式で持ち出すのは、女の感覚からいうとじつに痛烈に残酷である。
私は現夫人が(むろん、今は未亡人である)どんなことをしてきたか、三津五郎丈との間がどうであったか、何も知らない。知らないからこういえるのだろうけれど、しかし二番目の妻となって、しかも夫の死をみとった人の前で、先妻に言及するというのは、どう考えても非常識で不人情に思われる。夫の死を悲しむ点については誰も同じだろうに……。
坂東流の名跡を誰につがせるか、そんなことは、第三者から見ると、コップの中の嵐だ。
それは、お家騒動にすぎない。
けれども、目の前で、夫の葬式のときに、先妻さんを引き合いに出されてほめられたり、一つの墓に入れる、などと公言されては、未亡人の立つ瀬はないんじゃないか。もしこれ、妻が死んで、その弔いの席で、妻の友人が、夫を前に先夫をほめ、先夫と一つ墓に入れてやる、といえば、現在の夫はどんな心地がするだろうか。
非常識な話だ。しかし、その非常識が、もし当然のこととして、関係者一同から拍手をもって迎えられるとしたら、歌舞伎界というところは、ふつうの人情や、人間の感情が通用しない、歪んだ世界なのかもしれない。私がこういうと、カモカのおっちゃん、
「しかし、その非常識をうわまわって、未亡人の方も非常識なんかもしれまへん。所詮この世は非常識ごっこ、常識あるもんは、色と酒におぼれるばかり」
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