かねて私は、女を罵る名詞は多いのに、なぜ男を罵るコトバはないのだろうと考えている。
たとえば女だと、
「ドタフク」(お多福を罵ったもの)、「ドスベタ」(スベタに強めのドがつく)、「アマ」(尼ではない、阿魔である)、「メンタ」(牝の卑語とでもいう大阪弁)、
などとあり、年齢的にいうなら、むろん、「オバハン」などとあり、私などは、右の総括としての「オバハン」とよばれるのである。
容貌的にいえば、
「ブス」
というのもしばしば用いられ、嗜好によっては、
「スケ」、「レコ」、「メロー」(女郎)、
なども愛用されるようである。
たんに「女性」を意味する卑称だけでもこれだけあるのだから、じつに多彩な表現といわねばならない。そうして一つ一つの語がじつに陰影に富んでいる。
「彼女が……」といえば、英文和訳風であるところを、
「あのドスベタが……」
とやると、いう男もいわれる女も、とみに生彩を帯びて聞かれる。
「女のくせに出しゃばるな」というだけでも、強いバリザンボウであるのに、これを、
「メンタのくせに、出しゃばりさらすな」
とやられると、中ピ連の女闘士もしばし、ひるむであろう。
ところがふしぎなことに、これに相当する「男性」を意味した罵詈《ばり》のコトバがないのだ。
まあ、すぐに考えつくのは、
「野郎」
であろうか。
「アイツ」というのもある。「あん畜生」というのもあるが、これは特殊な場合になる。「メンタ」に対応する「オンタ」という語はあるが、女はつかわない。
年齢の制限付きでいえば、
「ガキ」、「青二才」、
「チンピラ」、「若造」、「小僧」、
「オッサン」、
などというのもあるが、これはおもに、男対男の間のケンカことばであろう。男が女を罵るときには、多彩なボキャブラリイに富むくせに、女が男を罵る語はないのだ。
夫婦げんかのあくる日、友人に電話で報告している中年女、「ウチのおっさんいうたらな、こんなこといいよんねん」とまくしたてているが、せいぜいこのくらいのところ。また、若い女の子同士で男の品さだめしている、そんなときも、「アイツ、ちょっと好きよ」「じつにいやな野郎だわ」などどまりであろう。至って貧弱な表現しか持っていないのだ。
私は、これは男性の支配社会のせいだと思う。女を蔑視する風潮のせいとちがうかしらん。女性を意味するバリザンボウのコトバがたくさんあるなんて。中ピ連にいうたろかしらん。そうして男性支配をはねかえす運動の手はじめの段階として、男性の卑称をいっぱい、つくったろかしらん。私がこういってると、若い女の子たちが、
「インポやホーケーなんていうの、男を罵る語にならないかしら」
といったが、どうもそれは即物的すぎ、男全体の卑称とはなりにくい。
カモカのおっちゃんにいわせると、それは、
「男は女のことをあれこれウワサすることが多いからで、べつに男性上位や、女性蔑視のせいではおまへん」
ということだ。そうかなあ。
だって、女だって男のうわさはよくするんですけどね——ノロケもあるし、うらみもあるし、憎いあん畜生、という感じでうわさするんだけど、ふっと言葉に出てこない。
男たちが、万感をこめて、
「あの女郎《めろう》、おぼえてけつかれ」
と逃げた女を罵るように、男に逃げられた女たちは、万感の思いは胸にあふれながら、失語症にかかったみたいに、男を罵るコトバが出てこず、金魚のように口をパクパクするだけである。
「あのパパ——」「お父ちゃんのくそったれ」などといっていたのでは気が抜けてしまう。
「いやそれは……。男が女に関心を持ち、そのうわさを好む度合なんてのは、ものすごいもんですぞ」
とおっちゃんはいった。
「とうてい、女の井戸端会議の比ではないのです。全身、好奇心のかたまり、愛着と憎悪と反撥とベタ惚れを一緒に釜に煮つめてエッセンスを飲んだみたいな、女への関心いうたら、まあそんなもんとちゃいますか」
「ハハァ」
「誰もそんなこといえへんけど、内心、男やったら、あたまの先からつま先まで、朝目をさますと夜ねるまで、オナゴのことばっかり考えとる」
「そう見えないけどねえ……」
「口に出さんだけ。そやから、コト女に関する卑称・愛称となると、バラエティに富んだ色彩ゆたかなコトバがしぜんに湧き出るのですわ。女に関するインスピレーションという点では、男はみな、大芸術家です」
「そうかなあ……」
「女に関する豊富ないいまわし、愛称・卑称を考えつく能力では、みんな、すごい大作家です。感興|汪溢《おういつ》、詞藻湧くがごとく、言々句々、珠玉のごとくふきこぼれて、メロー、メンタ、ドスベタ、アマ、ドタフク……」
「フーン。では女はコトバをつくる能力では男に劣る、と」
「というよりも、女はもっぱら行動で感興を示す。——そこへくると」
とおっちゃんは憮然としていった。
「男は実際行動が、もひとつ振わんさかい、表現の多彩でうめ合わせしているのかもしれまへん」