美濃部サンが立候補をやめるとかいってから、ひんぴんと私如き者のところへも電話がかかり、どういう人に立ってもらいたいと思われますか、というのから、はては、
「タナベサンは、立つつもりはないでしょうね」
などという質問まであびせられる。
「むろん、ありませんわ」
私なんかは小説書く以外は、バーで歌を唄うのがせいいっぱい。主婦としても半人前、女としてもつかい物にならず、それに時間もなし、都知事になったりしていては、毎晩、カモカのおっちゃんと酒を飲んでちゃらっぽこを叩いているひまもあるまい。
「ああそうですか、なるほど。衆議院にも出られるつもりはない?」
「ない、ない」
「無論そうでしょう、あなたでは立たれても落選でしょうし。ハッハハハ、いやお邪魔しました。ガチャン」
どういう意味や、それは。
はじめからわかっとったら、何も聞かんでもええやないか。
そこヘカモカのおっちゃんが来た。おっちゃんの政治意識のほどをうかがってみよう。
「ねえ、おっちゃん。おっちゃんは、支持するとしたら政党は何ですか」
「とくに支持するというのは、おまへんな。……あの、お燗はできてますのやろか」
「お酒なんか、アトでよろし。——支持しないまでも心情的に共鳴する党、まあどちらかといえば、というようなのは、どれですか」
「以前は、共産党でしたな。……終戦後からしばらく、共産党がまだ勢力が弱うて、ヒイヒイで、議席もあるかなきかというありさまのころは、こういうのも居ってもらわなあかん、と、一生けんめい肩入れして、票を入れておりました。……あの、徳利はどこですか。僕が、やりまっさ」
「うるさい! 大事な話の最中やないの。昔は共産党で、それからどうなったん?」
「エー、共産党へ入れたり社会党へ入れたり、その日その日のデキ心、しかし一貫して保守党には入れなんだ。革新政党に肩入れしてきました。……おッ、これくらいの熱燗でよろし。これすぎたら、煮立ってしまう」
おっちゃんのあたまを占めるのは、酒のお燗ぐあいのみであるらしい。
「じゃ、いまでも革新支持なのね?」
「うん、それはそうにちがいないが、微妙にかわってきましたな、こない共産党が強うなると、僕はトマドイがある」
とおっちゃんは、私の盃にお酒をつぎ、自分のにも充たしていった。
まず、じっくりと舌で味わう。おっちゃんはガブ飲みする人ではないのである。
「支持する、せん、はともかく、今はどっちかいうと、保守党は、党内に右から左までバラエティがあってたのしいですなあ。同じ保守でも派閥があってワイワイガヤガヤいうて政治的色合もちがうのがおもしろい。——そこへくると、こわいのは共産党です。一党一色いうのは、おそろしい。——そういうのんが、ワッと力持つと大変こまる、という感じです」
「では、保守党へ肩入れするわけですか、革新から鞍がえして」
「そこが微妙というゆえんですな。というて、若い奴がはじめから保守党支持いうたら腹立つ」
「ふーん。だって、おっちゃんかて、半分保守党に色目つこうてるやないの」
「何をぬかすか。僕は、大廻りして、屈折してたどりついた色目ですわ。何十年も、政党のうつりかわり見比べてきたあげくの果てですわ。それを若いもんは、対角線ですぐいきついてしまうのです。そういう単純な保守党支持に、ハラ立つ。何や思《おも》とんねん」
「では、革新支持なら、ええと」
「しかし、単純に革新革新いうとる手合いも、あんまり信用ならん。一国一党になってしもたら、うっとうしい」
「では、どないせえ、いうんです」
「知らんがな……。そんなこわい顔したかて。要するに、中年いうのは、二二ンガ四では割りきれまへんのや。女房《よめはん》もええが、ヨソの女もよう見える、という按配。双方の良《え》え所《とこ》がわかるのも中年なればこそ、でございます」
「じゃどうすんの」
「ハテ、せわしない。酒飲んでるときに、ごじゃごじゃ、せかしなはんな」
おっちゃんがあわてふためくのはどんなときだろう。
「それは、燗をしすぎて酒がふきこぼれたとき」
「革命がおきても、あわてない?」
「しゃアない、思《おも》て、赤旗をみんなと一緒になって振る、あるいは毛語録をオデコにのせる」
「じゃ、もし日本が右寄りになったら?」
「日の丸振って、靖国神社おがんでます」
「犬ざむらい。おっちゃんて、節操ないのね」
「節操とは何ぞや」
とおっちゃんは新しい酒をおいしそうに舌つづみ打ちつつ含んで、いった。
「おせいさんがそう怒るのは、まだ政治に対して理想があるからや。人間に対して、夢持ってはるねん」
「あたりき——。右寄りになるのには命を張って、貞操を賭けても阻止するわよ、アタシ」
「おせいさんの貞操なんか誰もほしがれへん。——ともかく、理想や夢なんちゅうものは、我々の世代は持っとらんのが多い」
「何ですって。世代のちがいだというの」
「さよう。大正ニンゲンは、政治に愛想つかしとるのが多いですなあ。それにくらべ、昭和ヒトケタに政治的色けのある奴が多い。大正ニンゲンは、誰がやったってどうちゅうこと、ない、思《おも》とる。人間や政治に絶望しとんねん。これすなわち、大正ニンゲンのニヒリズム。ニヒリズムの根は深いのですぞ」
「そうかなあ。おっちゃんのニヒリズムなんて、つまり、ご婦人に対して実績がなくなったから出てきたんとちがうのかなあ」
と私がいうと、おっちゃんはいそいで「ラーラーララ」と唄って私の言葉を遮った。