私はよく、題のつけ方がまずい、といわれる。
私の題は、本屋で見ると、買う気がおこらん、と叱る人がある。たとえば岡部伊都子さんの題など女らしくていい。
「蜜の壺」
などという題であると、つい、男性は買いたくなるそうである。
しかるに私の本が横にならんでいるのを見れば、こはいかに、
「あかん男」
あほらして、買えまッか、とその人はいっていた。恐縮のほか、ない。また、もっと背筋をしゃんと伸ばすような堂々たる題をつけよ、と忠告して下さる方もある。たとえば、
「華岡青洲の妻」
などという、内容、題とも堂々たる大作に比べ、
「すべってころんで」
のたよりなさを指摘されるわけである。
「華麗なる一族」
の金看板的外題に比べ、
「言うたらなんやけど」
のちゃらんぽらん加減。
「とうてい、これでは、気の毒やけど金看板になれまへん」
とその人はいい、私も甚だ残念であるが、金看板的才能がない、とあきらめねばならぬであろう。その上、私のつける題はいつも、たよりなくあやふやであるだけに、人の印象に残らぬとみえて、その通りいわれることはめったにない。
つまり、「窓を開《あ》けますか?」は「窓をあけましょうか」「窓は開いてますか」などとまちがわれる。「言うたらなんやけど」など一ばんバラエティに富んでいて、今まで人にいわれたのだけでも「言うちゃ悪いが」「言わせてもらえば」「言うたら悪いけど」「言うたらあかんけど」など数種の亜種があげられる。全く、どうしようもない。私の不徳の致すところである。
ただ、私にはどういう加減か、物々しい題に対する羞恥心というものが強い。森外の「阿部一族」とか「雁」などというように、こわもてのそっけない題を恥ずかしく思う、へんな特性がある。そういう硬質のひびきの題をつけると(だいたい、男性作家は、二字の漢字の題が多い)、私はどうしてか、反射的に、たいへん通俗的な言葉を思い出す。たとえば、昔はやって、今ははやらなくなった、恥ずかしい言葉を、二字のいかめしい漢字から思い出すわけである。
昔の文化にはサムライ文化と、町人文化とあった。人間には種類はないが、文化に種類があるのである。
このごろつかわれない言葉に、「あやまち」というのがある。
「あやまちを改むるにはばかることなかれ」などというような、ワシントンと桜の木、みたいな意味ではなくて、「若き日のあやまち」とか、「あやまちを犯した」というふうなもので、主として性道徳的マチガイをさす。
今は、こんな言葉、恥ずかしくて、誰もつかわない。更にいうならば、世の中、あやまちだらけで、いちいちあやまちを咎め立てしていた日には無疵な御仁はいなくなってしまう。
結婚して七カ月めに子供ができたって、「あ、そう」というようなものである。誰も目引き袖引きして「あの人はアヤマチを犯した」などという者はないのだ。婚前交渉はあやまちの中へはいらない。はいるとすると、婚前交渉を拒んで男に殺された娘さんなどが、「あやまちを犯した」ことになる。今では拒む方があやまちになってしまった。
「愛の結晶」という言葉もおかしい。よくまあ、へんな言葉を、昔は恥ずかしげもなくつかっていたものだと思われるが、今は愛の結晶はよくコインロッカーに紙袋と共に入れてあるので、さすがにそういう大時代なコトバはつかわれなくなってしまった。
しかし昔の雑誌の記事や小説をよむと、「二人の間には愛の結晶も生まれ」などと平気で乱発してある。昔は、愛の結晶は赤ん坊であったろうが、現代では、夫婦名義のマイホームや貯金が、愛の結晶であろう。多額の生命保険などが更に、愛の結晶にふさわしいかもしれない。
「おっちゃんが考える、そういうヘンな昔の言葉、なんですか」
とカモカのおっちゃんに水を向けると、得たりとばかり、おっちゃんはいった。
「それはもう、『純潔』と『貞操』ですなあ」
「なるほど」
これは、今はつかわない。純潔や貞操やらいう語は死語である。
「純潔を失う。貞操を蹂躙《じゆうりん》される」
「それそれ」
「昔は、女の方にそういう言葉をつこうたもんでした。今は男の方かもしれへん」
「人権蹂躙、というのは今もありますが、さすがに、貞操蹂躙は今、ないみたい。あの言葉は若い頃、聞くのがいやでしてねえ」
「結ばれた、は今でもつかいますか」
とおっちゃんはいった。
「それはつかうでしょう、いやらしい言葉ですが」
「どこを結ぶ」
「知らん!」
「犯す、涜《けが》される、今はつかわんようですな」
「胸にとびこむ、は今もつかうかなあ」
「これも、男が女の胸にとびこむ方でしょ」
つまり、そういう、俗なる、いやらしい言葉を反射的に思い出すため、私は、いかめしい題は用いないんだ。私は井上ひさしさんの小説の題なんかが好きだ。題を見ただけでもよみたくなる。しかし、おっちゃんの関心は、小説の題にはなく、昔は女につかってた言葉が、今は男につかうようになったという発見らしい。
「そういえば終戦の詔勅、あれも男のものですなあ」
「どうしてですか」
「忍びがたきを忍び、堪えがたきを堪え……。これは今の男の心持ちです」