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イブのおくれ毛85

时间: 2020-06-20    进入日语论坛
核心提示:大人物=その三私が全幅の信頼をおく評論家・樋口恵子おねえさまが、仲よくしている男性のことで、トヤカクいわれたりして、この
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大人物=その三

私が全幅の信頼をおく評論家・樋口恵子おねえさまが、仲よくしている男性のことで、トヤカクいわれたりして、この間はテレビで緊張してしゃべっていらした。可哀そうに。
おねえさま、気にすることないわよ。世間のバカな人間たちのいうこと、ほっとけばいいわよ。
聞くところによると、まるで樋口サンが道ならぬ恋愛でもしているかのような投書があり、それで、樋口サンのボーイフレンドが明るみに出た、といういきさつらしい。私はその投書の主が誰か知らないが、その人が投書するについて二つの理由が考えられる。
その一つは、男性との縁のうすい女のひがみ。
他の一つは、樋口サンの主義主張、つまり評論家としてのありかたに反目して、ケチをつけてやろうと足をひっぱるもの。
はじめのはどうでもいいが、どうもあとのは、私は、一部のワルイ男たちにそそのかされているのではないかと思う。つまり、男の陰謀ではないか。女のたたかいという低俗な次元にすりかえて、進歩的ですぐれた女性運動家である樋口サンを、ポシャラそうという男たちの汚ない魂胆じゃないかと、疑ったりもしているのだ。
樋口サンを目のカタキにしている、あたまの古いカチンカチンの有象無象男がいっぱいいるのだ。
一方、樋口サンを全女性の代表選手とし、支援を惜しまぬ女性たちも、うーんといるのである。主婦たちにたいへん多い。彼女らはテレビに樋口サンが出ると、まるで自分らが選出して国会に送り出した議員を見るように、
「そうだ! そうだ!」
「もっとやっつけろ! やれやれ!」
などと叫び、快刀乱麻を断つごとき爽快な樋口サンの論旨に、やんやの喝采を送っているのである。樋口サンが懸河の弁をふるって女性のために論ずると、まさに胸がスーッとすく、という女たちが多い(私もその一人である)。
贔屓《ひいき》すじの私などは、こんどの「樋口サンに愛人がいた」という週刊誌の記事に「ウシシシ」と笑い、「エエとこあるゥ!」「やった」と思い、前よりも肩身が広くなった心持ちでいるのだ。花も実もある女、というのは、まさに樋口サンのような女性のことであろう。男の一人や二人つくれないような評論家では、何をしゃべっても中身は空疎である。男っけなしでリッパなのは、市川房枝おばあちゃまくらいである。
樋口サンファンの主婦たちも、
「ちょっと、アレよんだ? 樋口サンすてきやわァ」
と電話をかけて情報を交換し、うれしがっていた。
「それにしても、こんな投書やるような奴、大人物ではないねえ」
と私は、カモカのおっちゃんにいった。
「まあ、それは大人物ではないが、かというて投書があったからとて、いちいち、目くじらたてて反撥、弁解などするのも大人物とはいえぬ」
とおっちゃんはおもむろにいい、私は「なるほど」と酒をつぎながら、
「しかし、女はやはり気になりますから、傷つけられるといい返さねばなりません」
と、女性全般の代弁をしていう。
「そうそう、ゆえに女は大人物になれぬ。女はよく、正義の味方になりますなあ。その投書の主も、たぶん、正義のつもりで投書したにちがいない。正義あるところ、大人物なし、ですぞ」
ふーん。
正義と大人物もまた、食い合わせわるいか。
「しかし、正義なくしてはこの世は闇でしょ。誰か、いわねばならぬということがある。汚染公害とか、銀行と政界の癒着とか、医学界の内幕とか……」
「誰かいう人あれば、いわせとけばよろしいのだ。その人を正義の係りにし、任せてやってもらえばよろしい。大人物というのは、誰かやる人があれば、させとくもんです」
大人物というのはナマケモノのことらしい。
「では、情夫《おとこ》もちの女、情婦《おんな》もちの男、はどうなんでしょう。大人物と色ごとはかなりかけはなれたイメージのようですが」
「いや、そんなことはない。前回のべたごとく、来るものは拒まずですから、双方意気投合すれば、それはそれでよろしい。仲よくたのしくやって、それでもって精神も安定すれば、仕事もはかどる。これでこそ、男も女も大人物」
「うーん。据膳《すえぜん》ということがありますね」
「あります、あります」
「据膳くわぬは男の恥、といいますが、据膳くわぬは、大人物でしょうか、小人物でしょうか」
「これは小人物です」
とおっちゃんの答えは明快である。
「大人物はおいしくいただく」
「据膳を出しても、逃げてゆく男がいますね。くわぬならまだしも、ビックリして飛んで逃げる男は、どうなんですか」
「そんな男、殺してしもたらええねん。大人物小人物というより、人間とちゃいます」
おっちゃん、いとも筒単に片づけてしまう。
「目の色の澄んでるのは大人物ですか、濁っているのは小人物ですか」
「見るものによる。女を見れば大人物は目の色かわり、小人物は金を見て目の色がかわる」
ヘンな話。
しかし、私、つらつら考えてみて、何だか、大人物のイメージは、昔学校で習った「老子」に似てきた。おっちゃんのいう大人物は、「老子」その人じゃないのかしら。ね、おっちゃん。
「僕に聞いたってわかるかい。僕は老子なんて知りまへん。よんだことおまへん」
とおっちゃんはうそぶき、しかし私は考えてみて、女は、「老子」よりむしろ「孟子」ではないか、王道覇道のけじめもキチンと、正義の味方を標榜するというのは、女は「孟子」にちかいんでしょうね。そういうと、おっちゃん、
「なあに、女なんてせいぜい諸子百家です」
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