私の聞いたところによると、西洋の女の人は、胸を曝《さら》すのは恥ずかしがるが、もうちょっと下の方はあんがい平気だそうである。
これは日本人の女の感覚と反対で、我々だと、どちらかといえばその下の方を隠す方であろう。尤も、西洋の風習がホントかどうか、どだい人は私に話を聞かせるときはかなり脚色していうらしい。私は西洋人に友達も知り合いもないからよくわからない。
唯一の外人女性の知己はイーデス・ハンソンさんであるが、ハンソンちゃんと会うとすぐ飲み出すので、右のように下らないことを問い質《ただ》す時間がないのである。
上を隠すか、下を隠すか、というのは、どちらか二者択一を迫られたときであって、むろん、普通は両方隠すのが、まっとうな女の感覚である。私は以前、取材で、ある温泉へいったが、そこは男女混浴であった。低温のラジウム泉で、沸かすと効果がうすいというところから、ぬるい湯へ長時間浸るのだが、源泉を分けて引いているとよけいぬるくなってしまうので、夏以外は一つの浴槽に混浴である。体を洗うのは別の風呂場であって、温泉へは清らかな体を、そーっとつけて、長くひたっている、という仕掛けである。
泳いだり、パシャパシャやるところではない。「夜づめ」といって徹宵、つかったりするくらいだから、ぬるい湯にしゃがんで、無念無想、瞑想にふけるところなのだ。プールのような大浴場で、芸者さんと湯をかけたりかけられたり、というウレシイ温泉を想像してはいけないのである。子宝観音や地蔵サンをおまつりしたお堂が温泉の裏にあったりするという厳粛・荘重な道場のよな温泉。
混浴だといってもふざけたりできません。ただひたすら、じーっと薬湯に浸って病患平癒を祈るとか、子宝をお授け下さいと念ずるのである。
この際いうまでもないが、子宝の場合は、いかに霊験あらたかな薬湯でも、湯へ入るだけではできない。そんなことをすると入った女はみな聖母マリアになってしまう。
子宝ができやすい体調をととのえて下さるだけである。
私は混浴ということを知らなくて、出かけていった。そうして薬湯をのぞいて一驚した。
道理で、大きなバスタオルが宿の手すりに干してあると思った。女性はお婆さんに至るまで、つつましく胸と下をそれで掩ってはいっているのだ。私は、宿のくれたタオル一枚である。
男性はタオル一枚を腰に巻いて入っている。男性というものは、おおむねお臀《しり》が小さいから、タオル一枚あれば隠せるのだ。
かつ、男は胸を隠すことなぞ、要らない。つまり、男はタオル一枚あれば世渡りできるのだ。ダーバンやオンワードやと要らんことだ。
しかし女性はいかんせん、タオル一枚では立ち往生である。私のように太っていたりすると、下を隠すにもタオル一枚では難渋する。お臀が大きいから廻りきらない。上を隠すにも、タオル二枚要る。都合四枚ないと、人前へ出ていけない。これでもってみても、男より女の方が、金が掛るということがわかるのだ。
私は一枚のタオルを、どうやってつかうか、大きに難渋した。
そうして、上を主にすべきか、下を主として隠すか、二者択一を迫られて煩悶した。そのとき、西洋人の女と、日本人の女の感覚のちがいを痛感したわけである。(結局、私はタオルを縦に持って上から下へ、天からふんどしという恰好で抱いて、浴槽へ入ったわけである。背中の方は、おおむね、あまりうしろぐらいことはないので、隠さなくてもよいように思われる)
私は、カモカのおっちゃんに聞いてみた。
「おっちゃん、上と下と、どっちを隠せばいいんでしょうね、ほんとうは」
「うむ。それはやはり、下ですな」
おっちゃんも、日本人的感覚なのかしら。
「いや、そうではなくて、出テイル物は、あんがい人間は、恥ずかしくないものです」
「出テイルモノ」
「人間というものは、凹んでる所が恥ずかしい」
「そんなもんでしょうか」
「たとえばこれ、男でありますと、タオルもない場合、あんがい平気で堂々と手を振って歩く。べつに見られても恥ずかしいとは思えん」
「なるほど」
「女かて、そうとちがいますか。下にくらべて、垂乳根《たらちね》、担ぎ乳、ペチャパイなどと恰好わるいのを恥じこそすれ、いざとなると、おっぱいをむき出しにして恥じない」
「そういえば、お婆さん連中は、暑いときなんか、浴衣の前くつろげて団扇で風を入れてますね」
昔私が子供のころ、アッパッパなんか着てるお婆さん、双《もろ》はだぬぎになっていたが、下の都腰巻だけは取らなんだ。萎びたおっぱいを平気で曝して、歩き廻っていたが、そういうときでも、腰巻はヒシとつけているのだ。
やはり、出テイル物は恥ずかしくないからであろうか。
「しかし、男性の場合は、出テイルモノばかりでしょ」
と私は、あたまかしげつつきいた。
「女とちがって凹んでるところてないでしょ」
「あります。大ありです」
おっちゃんは盃をおき、きっぱりいう。
「肛門です」
「ハア」
としか、いいようがない。
「やっぱり、そこは見せようと思う男はないもんです。さるところで、高貴のお方が泊られるとき、従業員一同、四つん這い検便されたことがあって、そのとき女より男の方が怒り狂ったという話がある。これは、凹んでるところを見せるのが恥ずかしいからです」
「そうかなあ」
「凹んでるところというのは、つまり、人間のヒケ目ですなあ。弱味、やましさ、うしろめたさ、もろさ、攻撃より受身、消極的、引っこみ思案、弱気、などというものをみんな含んでます。人間、人に弱味を見せとうないのが人情。したがって、デッパリよりヘコミを隠すのが、人情の自然です」