フォード大統領夫人が、娘の婚前交渉、「しかたないでしょうね、みとめなければ……」といったというので、アメリカは大さわぎになって、ことに宗教団体は猛反対の意思表示をしている。
これをアメリカがおくれている、というのは簡単なのであるが、……まあ、いろいろとむつかしいことでございます。私は、といえば大統領夫人に好感を持った。
今日び、日本の閣僚夫人で、これだけの放言ができる人はない。
ふつうの人でも、なかなかいえない。そのくせ、心の中では、
(このご時勢じゃ、しかたがないわ)
と、わが無力を嘆いている。
願うことはただ一つ、
(ボロ出さないでちょうだいね……)
ということだけであろう。
ボロを出すとは、妊娠して、ボンヤリしているまに、おろす時期を逸し、心ならずも未婚の母になる、あるいは、心して未婚の母になる、子供の親権・養育費をめぐって相手の男との修羅場、泥仕合、または、婚前交渉のためかえって破約のうき目をみるとか、ともかく、裏の縫い目が表へ出てくることである。
清少納言も、「枕草子」で、「うっとうしいものは毛皮の縫い目」などといっている。
縫い目、ほつれ目は、ボロであるから、裏へ隠して、表はきれいにして、やがて結婚式の鐘を高らかに鳴りひびかせてほしい、と親は思っているにちがいない。
ボロを出さぬ、ということはまた、シッポを出さぬ、ということでもある。
みんなうまく化けてご機嫌よくしてればいいのであるから、結婚式までシッポが隠されれば、その翌日から、あたまの木の葉が落ちて化けの皮がはがれても、親は「ボロが出ずにすんだ」と思うであろう。
娘の方も、うわべは何とかやって、ボロを出すまいと思う。親と娘の肚芸で、今日びは成り立っているのである。
だから、フォード大統領夫人は正直な人だと思う。本人は選挙の票がこれでたくさんあつまるわ、といいすてているが、日本だと、こんなことを代議士夫人がいったら、たちまちイメージ・ダウンである。
「それに、日本人の通弊として、いささかわる乗りのところがある」
とカモカのおっちゃんはいった。
「そんなことを、日本で言明してみなはれ、堰切ったように、誰もかれも、婚前交渉に走ってしまう」
「走ったって、いいではありませんか」
「それはかまわんが、ヒトリダチする能力のないヒヨコほど、勝手なことをやらかす。ボ口を出す、というのはつまり、ヒヨコが自分で自分の身の始末がつけられんことでしょう?」
「そうそう」
「そういう奴までしたい放題させると、親がしんどい。だから、婚前交渉みとめん、という方が、簡単なんです。みとめる方が、親としてはしんどい」
「それはまあ、親はどうしても体制側に廻る方がらくやし。新しい道徳をつくることはむつかしいことですからねえ」
親って、いろいろいそがしいのだ。食べること、老後のこと、町内会費の払い込みから、元号廃止、天皇制のあり方、一昨日の牛乳が腐ってるか腐っとらんか、ということから、世界的食糧危機におけるアメリカと日本との関係まで考えなくてはならん。娘の婚前交渉是か非か、なんてことを考え出すと、それに附随して、社会全般の道徳まで手直ししないといけない。
「そうそう、それにひととこ、ふたこと修繕《なお》してすむ、いうもんちゃう。ガタのきた普請《ふしん》ゆえ、もしなおすとなれば、大改造になってしまう」
と、おっちゃんはいう。
「すべて、新しい道徳を創造する、異を立てる、というのはむつかしい」
「めんどくさいもんね」
「女つくるような、わけにいかん」
「ヘー。おっちゃんでも女がつくれるの」
「少なくとも、新モラルを確立するよりはたやすい。しかも新しいものの考え方、見方には味方がない。敵ばかり——宗教団体のお教え、旧来の慣習、政府の方針通りにしとればまことにらくであるのです」
私とおっちゃんは、もうしんどいから、皆のするようにしとこうね、といい合った。
しかし私は、みんなのやってるようにして苦痛なものが一つあるのだ。
いや、婚前交渉を親に禁止されて苦痛なのではない。今さらそんな年でなし。私は、率直にいおう、拍手が苦痛であります。
折々パーティで万歳三唱をやらされる、それはいたく日本的で、まあ、かまわない。
また、スピーチの前後、講演のあとさき、舞台でやるモロモロに、拍手する、これも、よろしい。
しかしテレビニュースでよく見る拍手、一拍乱れず、大群衆がリズムをとってやる拍手、あれを、このごろ一部で強いられることがあるが、あの軍靴のひびきのような拍手は、どうもついていきにくい。あの拍手に関するかぎり、私は一人乱れて、「婚前交渉みとめます」と、新モラルの旗をかかげたくなる。
「いや、僕は、拍手はともかく、Vサインでありますなあ」
とおっちゃんのご述懐。
「ああ、指二本出して、ハサミをつくるあれですね——アチラの習慣が、この頃、こちらへもうつって、ちょくちょく、まねてる人がありますわね」
「あの流行が、僕、気になってならん。あれを見るとヒヤヒヤします」
「どうしてですか」
「ハサミのあいだから、もしまちごうて、拇指が出たら、どないするねんやろ、思うて」
「そんな人はありませんよ!」
「いや、物のハズミ、ということがあります。僕はいかに、人みなすべてVサインをやろうとも、自分一人は異を立てて断じてやらんつもりです」