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イブのおくれ毛99

时间: 2020-06-20    进入日语论坛
核心提示:一ねん三くみ最近私のうれしかった文章は、五木寛之サンが、朝日新聞に書かれた「『凍河』連載を終えて」である。氏は恋愛不能の
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一ねん三くみ

最近私のうれしかった文章は、五木寛之サンが、朝日新聞に書かれた「『凍河』連載を終えて」である。
氏は恋愛不能の時代の恋愛小説を書くことを試みたといわれる。
「戦争や暴力よりも、恋愛のほうがどれだけ男子一生の仕事かもしれないと、私は思うからだ。それをいやしめるこの国の風土に、もう一度さからってみたいという気が今、しきりとする」
この文章は、関西だと、八月八日(昭和五十年)の夕刊にのっていた。
これは、いま滔々《とうとう》として、ある一つの力に向って流れてゆく現代の大勢に打ちこまれた、楔《くさび》ではないか。
日本人の考え方の中には、ある種の山津波のようなものがあって、何か一つ目標をみつけると、「ヒグチ薬局」ではないが「目標! OO店!」というように、ダーッ、とそこへなだれこんでしまう。
あと先見ずに注ぎこんでしまう。
血の道あげて、たぎり落ちてしまう。
今だとたとえば、公害! 汚染! と絶叫する。企業悪! 社会正義! 政治がわるい、ワッサワッサとどなりたて、しかも、そのどれもが、いうことにマチガイがない。正しい。
正しいことをいうてはる。
これがこまる。
誰も反対できない。反対できないほど正しいことを掲げるのは、ある意味でオソロシイことなのだ。企業悪や政治悪と同じようにおそろしい毒を含んでいる。
私は昔の戦時中のことを思う。あのころ戦争に協力するのは当然のことであった。画家は軍艦の画をかき、裸婦やリンゴの画がかけなかった。作家は従軍記を書き、恋愛小説はご法度であった。私には、どうしてもそのイメージが現代にダブってしかたない。これを小説でいうならば、なぜ恋愛小説や女体構造小説を書くと、社会正義の小説にくらべて天下の大勢におくれたように人が思うのか、そこがわからない。
フランスなんかだと、たとえばフランソワーズ・サガンは、現実的な政治行動も行なうし、ウーマンリブ運動にも理解を示しているが、書くものは、デビュー作以来、一貫して、ブルジョワジーのあいだの恋愛心理小説である。そこには政治も主義もはいらない。
男と女の、恋のかけひきしかない。登場人物は金持で、倦怠感をもてあまし、寄るとさわると、惚れた腫《は》れた、寝よう、やらせろ、ということばかりいっている。あたかもコレットの小説に政治が出ず、ドレフュス事件の影も射していないのと同じように。——
私は、そういう小説もあっていいと思う。
考えてみると、そういう小説を書く人は現代では何かべつのクラスのようになってる。
あまりできのよくないクラスに見られる。
一ねん三くみ。
担任は——そうね、金子光晴老だ。非常勤講師というような格の金子老は、全校のモテアマシクラスのめんどうを見て下さってる。
りっぱな校長先生は、石川達三先生。校長はこの問題クラスに心を痛めておられる。
私もそのできのわるいクラス、三組の生徒の一人でアリマス。
勉強が大きらいで、やすみ時間に、落語やピンク小咄《こばなし》をしゃべるのが好き。
佐藤愛子生徒は女のガキ大将で、男の子を追いかけ廻してケンカを売り、馬乗りになって、
「降参か! 降参といえ」
とコブシを振りあげる。男の生徒の衿首に松葉を押しつけて泣かせる。暴力教室派。
川上宗薫生徒は、女の子といつも仲よくお勉強したりお遊戯したり、お絵かきしたり、ピアノを習ったりする。ときどき、仲よく、お医者さんごっこをしてる。そうして雨の日は教室の隅で、女の子二、三人と、折紙をしてる。ときどき、佐藤愛子生徒が、苛めてやろうとして耳を引っ張りにくるが、川上生徒は悲鳴をあげながら、「かんにん、かんにん」と泣く。
ときに、ヨソの組のこわーいガキ大将が、女の子とおとなしく折紙を折っている川上生徒にヤキモチを焼いて苛めにくる。これは男のガキ大将だから、本気で、怖い。しかし川上生徒は悲鳴をあげて逃げ廻り、とっつかまってゲンコツをもらい、それでも、いう通りにしない。ワーワー泣きながら、決していいなりにならない。
おとなしそうに見えて、しぶとい奴であるのだ。
野坂昭如生徒は、休み時間に歌ばかり唄っている。
しかし学芸会に出て、「屋根より高い鯉のぼり……」と、直立不動で首をふりふり唄うような、ヨイコの歌は唄わない。オトナのヘンな歌を唄い、子供にあるまじき歌を全校に流行《はや》らすから謹厳な校長先生の顰蹙《ひんしゆく》を買う。
「コドモはコドモらしく!」
と先生はお叱りになる。
小松左京生徒は勉強もするが何でも手を出し、オトナや先生を食った発言をして世間を沸かせ、先生の面目丸つぶれ。
藤本義一生徒も教室から抜け出しては運動場や、給食室でかくれんぼ、保健室で昼寝というヤンチャ、先生の目はとどかない。
停学、休学、要注意という問題児ばかり。
ヨソの一組、二組には秀才優等生がひしめいているのに。
こういうのを抱え、金子先生は、
「よしよし」
とあたまを撫でて下さるのだ。
「もっと宿題を多くせよ」
「もっと躾《しつけ》をきびしくしてほしい」
と要求するPTAや校長に対し、
「エーッ? きこえん。補聴器が故障した」
などとおっしゃる。
つまり、こういう一ねん三くみのなかに、五木寛之生徒もいるわけである。
「いや、それは、ぜひ、そういうクラスヘ転校、編入させてほしいですなあ、僕も」
と、カモカのおっちゃんはいった。
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