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イブのおくれ毛100

时间: 2020-06-20    进入日语论坛
核心提示:一くみと三くみ朝晩すこし涼しくなって、私はさっそく、晩酌に日本酒をつけてみました。私、季節とお酒の味には敏感なんだ、うん
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一くみと三くみ

朝晩すこし涼しくなって、私はさっそく、晩酌に日本酒をつけてみました。私、季節とお酒の味には敏感なんだ、うん。ほかのことには鈍感なのに。
編集者諸氏、諸嬢は、さぞかし「締切」に、もっと敏感になってほしい、と思われることであろう。まあこれも追々にあらためます。といいながら十年たった(私は締切の日に猛然と書きたくなる人なので、手がつけられない)。
枝豆を青々と塩味で茹でたもの。豚足《とんそく》を酒と醤油と生姜で四時間煮込んだもの。胡瓜と芝エビのお酢のもの。さんど豆の胡麻和え。
このくらいでいいだろう、とならべて日本酒を熱燗にして、よっこらしょ、と坐ったところへ、
「こんばんはァ。あーそびーましょ」
とカモカのおっちゃんがくる。チェッ。たまには独りで飲みたいものです。
「アー、ちょうどよかった、ご馳走になります」
なあんて。たまにはかわった男、こないものかしら。かかる好《す》き好《ず》きしき男にはあらで、まめやかなる男こそ、折々はあらまほしけれ。
私、「源氏」なんかこの頃よみかじっているのでついヘンな口吻になる。
「今夜は熱燗ですか、けっこうですな、頂戴します」
とおっちゃんは悦に入って坐りこむ。
「秋の気配がしのびよってきましたからね。こういう夜の酒は『静かに飲むべかりけり』。猥雑な饒舌はお止め下さいね」
「むろんです。哲学的にいきましょう」
とおっちゃんは、ゆっくり酒を含み、味わうようにうっとりと目をつぶり、
「戦争と民衆の相関関係なんていかがでしょう。民衆にとっての戦争とは何か。僕ら戦中派はやはり、戦争ヌキにしては、人生を語れまへんわ」
「結構ですね」
「なぜこういうか、というと、今朝がた、朝日放送はABCラジオの中村鋭一アナが『愛馬進軍歌』を唄っておりました」
「そうそう、やってましたね」
エーちゃんは軍歌を唄うと、とみに生彩をおびる人である。
「僕、あれ聞いてて、耳の具合のセイかどうか、歌詞の一部がヘンなふうに聞こえましてね。——つまり、ウマというところが、ツマと聞こえた」
「馬と妻とではえらい、ちがう」
「それがそう聞こえまんのや。国を出てから幾月ぞ ともに死ぬ気でこのツマと 攻めて進んだ山や河……。べつに、ツマでもおかしゅうない」
「そういえばそうね。夫婦立志伝の感じ、よくあることです」
「弾丸《たま》の雨降る濁流を お前頼りに乗り切って 任務《つとめ》果したあの時は 泣いて秣《まぐさ》を食わしたぞ……」
おっちゃんは心地よげに唄う。私はうなずく。
「人生は戦場ですからね。夫婦でのり切るというヤツ、田辺聖子サンの中年小説によくあるテーマですわね。しかし、ツマにマグサを食わせる、というのは、いかなることにやあらん」
「昨日陥したトーチカで 今日は仮寝の高いびき ツマよぐっすり眠れたか 明日の戦《いくさ》は手ごわいぞ……。明日のいくさて、なんのことでっしゃろ」
「知りません。唄ってる本人にわからんもんが、聞いてる者にわかるはずないでしょ」
「慰問袋のお守札《まもり》を かけて戦うこの栗毛 ちりにまみれたひげ面《づら》に なんでなつくか顔寄せて……」
「なぜそう、力を入れて唄うのですか」
「伊達《だて》にはとらぬこの剣《つるぎ》 真先き駈けて突っこめば なんと脆《もろ》いぞ敵の陣 ツマよいななけ勝鬨《かちどき》だ……」
「なぜ、妻がいななくのです」
「しかし、エーちゃんは、こう唄うとった」
「いいえ、私にはウマと聞こえた」
「いんや。ツマと唄うとった」
おっちゃんと飲むと、ロクなことはない。ツマでは戦争と民衆の相関関係どころか、相愛図になってしまう。
「そういう、おろかしいことをいう人は、やっぱり一ねん三くみです」
それで思い出した。
一ねん三くみの組割りを発表すると友人知己からは、
「なぜ三くみであるのか。三くみというからには、一くみ、二くみもあるであろう。一くみ二くみには、どういう生徒がいますか」
という問い合わせがしきりである。そういわれたって、一ねん三くみ、というのは、これは私の口から出マカセであるから、べつに深い哲学的意義はないのだ。
しかし、また考えてみると、これは三くみ、これは一くみ、という色分けが、できなくもない。
林芙美子は、
「私は人生の夕刊のような小説が書きたい」
といった。私はこの言葉が好きである。畏友吉田知子サンは、
「小説は、私怨を書くものだ」
といっている。これも私の好きな言葉である。私は、私笑を書いている。だから私の書くものは「私笑説」である。
私怨を書かず、公憤を書く人は、これはしかし、いてもらわないとこまる人である。
いてもらわないとこまる作家は、一くみの進学コースの人であろう。
私笑なんぞ書いていてはダメなわけである。
また、私怨、私笑というのは、ワタクシごとである。
ワタクシごとを書く入は、これはべつにいてもいなくてもいいので、三くみに入れられる。
ヒトのことをしらべて書くのは、むつかしいことで、こういう人もいてもらわなくてはこまる。これも一くみであろう。「何々にとって何々とは何か」を究める人も一くみであろう。
すべてそれらの関係を「相愛図」に引き直してしまう人は、これ、三くみである。
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