前に宝塚の「ベルばら」のことを書いたら、ヅカキチの私の姪っ子に、キャッキャッと叱られてしまった。中学二年の姪っ子は、目下、宝塚さえあれば、あとは大地震で日本じゅう、つぶれてもいい、と思っているらしい。
「オバチャン、安奈淳サンのこと、ミッちゃんと書いてたでしょ、あれはミキちゃんのマチガイだよ。『虞美人草』は漱石の小説で、宝塚で昔やったのは『虞美人』でーす。まちがったこと書くと社会に害毒を流す∃」
スミマセン。
満天下のヅカキチにつつしんでお詫びしなければいけない。みな、私の書きあやまり。そうして「週刊文春」のデスクも男であるから、知らないのは当り前である。
「虞美人」は、長与善郎の「項羽と劉邦」を原作に、宝塚むきに作った大がかりなもので、私は二十年ちかい昔の初演をみた。舞台にほんものの馬まで出て来て、京劇風なシーンがいくつもあり、今もおぼえている。春日野八千代の項羽が、りりしくて美しかった。「虞や虞や汝《なれ》をいかにせん」という主題歌までおぼえているのだから、どうもこまったことです。二十年たっても三十年たっても、忘れない。こんなこと四十になっていってるのだから、救いがたき劣等生、私は所詮、「一ねん三くみ」の生徒たる宿命であるのだ。
私はこのごろ、人を見たら、ひそかに、
(これは一くみ)
(これは三くみ)
と分けるのがおもしろくなってきた。
どっちがえらい、えらくない、というのではない。
ないから、どっちへいったってかまわないけど、あまり身近に、三くみ生徒ばかりいるので、たまに一くみ生徒にあうと、途方に暮れてしまう。
私は、この間、たのまれてある政党の代議士と対談した。その人は根っからの政治屋ではなくて、今までの職業をやめて途中から政界に足を入れた人である。私の小説のファンだと間に立った人がいうから、小説の話をすればいいと思っていったら、代議士は、
「いや、忙しいから、小説はあまりよめませんなあ」
ということであった。
私は機転のきく方ではないから、ここで、野球の話、巨人はアカンなあ、とか阪神おもろなってきました、とかいうわけにいかない。ゴルフ、麻雀の話をするわけにもいかない。何にも知らん。五十前後の代議士あいてに「ベルばら」の話をしてもはじまらぬ。
じつにこまっちゃう。
私、かたくなって、膝に目を落して、ハンケチを折ったり、たたんだりしている。誰や、こんな対談にひっぱり出す人、なんて心中恨んでる。その人は神戸選出の議員であるから、大声一番、
「神戸の町はよいところですが、もう一つ残念なのは、エネルギーのたらんところですなあ」
という。
「エネルギーって、そんなに要るもんですか?」
私はふしぎなので、思わず聞き返した。私は東京から神戸に帰ってきたとき、のんびりしたムードを味わい、いつもほっとする。エネルギーなんて、考えたこともなかった。
「いや、べつに、なければないでよいが」
代議士は少し考え、
「しかし、神戸はお好きでしょう。いつまでも住みたいと思われるでしょう?」
「いいところですが、もっといいところがあれば、ソコヘいきます。そうそう……」
私は欣々として聞いた。
「あなたはそんなお仕事してらして方々を廻れるから、いろんなところをご存じでしょ、神戸よりよい町、どこか、ありますか?」
私は世間が狭いから、神戸へ住めば神戸が一番いいと思っている。
でも、女は欲深だから、もっといいところがあるかしら、と、いつも浮気願望を持っているのである。
代議士はこまったようであった。私と彼の対談は、彼の属する政党の新聞にのるのだ。
かつ、一票でも多くの票があつまるよう、選挙のことも考えねばならず、ご城下の人気についても配慮しなければいけない。
「そういわずに、いつまでも神戸にいてほしいですなあ」
「でも、主人がどこかへいきたくなれば、ついていかなきゃ、しかたありませんわ」
ウチの愚亭は、年寄ったら放浪することを夢みている風来坊の男である。
代議士は、鼻柱に一撃やられたようにひるんで、
「えらい旦那サンを立てられるのですなあ」
「そりゃ、亭主ですから仕方ないわ。顔色ばっかり見てますわ、私。怒らすとうるさいから。やっぱり、男の人は立ててあげなきゃ」
代議士は話をかえた。私が、私がこういうと世の人がなぜみな鼻白むのか、わからない。
「エー、このごろ、目にあまるようなポルノ文化がはびこっていますが、一つ、手を組んでそういうのを駆逐して、健全な文化をつくりませんか。タナベサンにも協力していただいて、ですな」
私は、こまるのだ。
どう協力していいのか。それにポルノはいけない、といわれたって、よく私の小説は「エロチックユーモア」なんて目次に入れられたり、してるので……。
旗を振って、ポルノ打倒、なんてメガホンでしゃべってるうちに、だんだん声が小さくなってゆく気がします。
「一つ、この、タナベサンにもケイセイの文学を書いて頂いて、ですな」
私は「傾城」ならポルノではないか、と考えた。しかしポルノ打倒をいうからには傾城の小説というわけはあるまいと思い、「警世」かと思い当った。私が、「警世の文学」を書けるかどうか、下り眉、団子鼻の私の顔見りゃ、わかるでしょ! 蟹は、オノレの甲羅に似せて穴を掘るのだ。「警世の文学」を書く人は、一ねん一くみの進学コースの人である。
それにしても代議士、政治家というのは一ねん一くみだなあ。カモカのおっちゃんにそういうと、
「そういう人と対談にいく阿呆は、一ねん三くみです」