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女の長風呂02

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:|い《ヽ》 |ら《ヽ》 |う《ヽ》 女私は、女は浴場の中においても、同性の目にさえ裸身を触れさせぬようにコソコソとかくし廻
(单词翻译:双击或拖选)
|い《ヽ》 |ら《ヽ》 |う《ヽ》 女

私は、女は浴場の中においても、同性の目にさえ裸身を触れさせぬようにコソコソとかくし廻っていると書いたが、もちろんそのかぎりでない、威風堂々という、すごいのもいるわけである。
彼女らが礼儀にはずれているとはいいがたい。
ちゃんと手拭いなりバスタオルなりを、前にあてがっている。
それからお湯にはいるときもちゃんと掛り湯をしてはいる。
湯をかぶるときはしゃがんでかぶる。
石鹸の泡やとばっちりを周りにかけたりしない。
あらゆる点において、日本女性のつつしみを守っている婦人たちである。
どこが威風堂々かというと、女性の部分をじつにていねいに洗う。たいがい、これ、三十代四十代の婦人である。
十代二十代の女性はそそくさと洗う。年代は上でも、未経験の婦人もまた、いいかげんに、洗う。ハズカシソウに洗う。
五十代六十代の婦人は、これはもう、適当に、という投げやりさで、枯淡の境地に達した洗い方をする。
私は、女性の通例により、自身は湯舟に身を沈めつつ、じーっと、同性の行動を観察することにした。
つまり、要約すると、現役《ヽヽ》の婦人がいちばんていねいに洗うみたい。候補生、新兵といった若々しい未経験の連中は、勝手がわからないので、あんまり立ち入ったことはできません、というふうな洗い方に見える。何かさわるのも怖いみたいである。
退役将校在郷軍人といったおもむきの老婦人は、どうちゅうこと、ない、という風情に洗う。現役の婦人が威風堂々として見える所以《ゆえん》である。
その現役世代の中でも、子持ちと、そうでないのとでは、前者のほうがより威風堂々と洗うみたい。
その洗い方は片方で湯桶の湯をそそぎつつ片方の手で丹念に触る。こういうときの大阪弁にはじつにぴったりしたことばがあって、「ていねいに|いろ《ヽヽ》てはる」というのである。「いらう」あるいは「いろう」には、触れる、という意味と、弄《もてあそ》ぶ、という意味があるのである。ちょっといやらしい語感である。
おもむろに「いろうて」心ゆくまで湯をかけて、のッしのッしと歩き廻る、そういう彼女たちを見ていると、同性ながら畏怖《いふ》の念に打たれざるをえない。
いつか、ある雑誌の投稿句にこんなのを見たことがある。
「幾たりも子を生み夜の海泳ぐ」
まことにものすさまじいような人生である。子供を生む、ということは女の性の究極であるから、子供を生むか生まないかで、女のひとは、あの一線を飛びこえるように思う。怖いものなしの境地になり、丹念に|いらう《ヽヽヽ》ことができるのである。そのときの顔つきは、無念無想で、宮本武蔵が、巌流島へ向うときのような感じである。
……私は、自分がいかに中途はんぱな、至らない女であるかを、思い知らされずにはいられない。私は結婚しているといっても子供も生まず、家庭もちといっても、女房の仕事もろくにせず、さればといって、たいした才能があるわけでなく、要するにちゃらんぽらんで宙ぶらりんで、いいかげんな存在で、生きててもハタ迷惑なだけの女ではあるまいかと、みずから省みて愧《は》ずるところ多大である。
私としては、紫式部の再来みたいな才女になるより、スカスカと幾たりもの子を生み、夜の海をはだかで泳ぎ、風呂では丹念に湯をかけて十分くらいも「いらう」ことのできるような、威風あたりを払う女になりたいのである。なりたいのであるが、人には向き向きというものがあるから仕方がない。
ところで、男から見て肉感的な女、というのがある。これ、女にはよくわからぬ。私は身近にいていつもよく話相手となる男の一人にたずねる。彼をとりあえず、「カモカのおっちゃん」と名づける。なぜなら、彼、とても怖い顔をしたヒゲ面の男であって、私はちっちゃいとき、悪戯《いたずら》をすると「カモカのおっちゃんがくるデ」と脅された。カモカは大阪弁でいうと「咬《か》もうか」のことである。大口あいて、「カモカー」と子供を襲う、人外のバケモノである。彼はそのイメージにソックリである。
「肉感的な女の人て、たとえばどういうのん?」私は唐突にきく。
「そうですな、倍賞美津子ていますね、あんなんです」彼は考え考え、いう。
「ふーん、私ら、姉さんの千恵子の方が好きやけど」千恵子さんは清純スターである。
「いや、断然、美津子です。それから、西田佐知子いうのん、居ますね、あれです」
「ふーん、そうかなあ」
よく納得できぬ。カモカのおっちゃんは四十七歳で、住民登録にちゃんと書きこめる職業をもっている平均的日本男性の一人である。だから彼の意見も平均的ならん。
西田佐知子や倍賞美津子のほかに、いろいろ彼は例をあげた。しかしどれといって、共通点あるように思えぬ。私は人形のように可愛いスターやタレントが好きであるが、男はそれをしも肉感的とは思わぬらしい。ついに私は一つの共通点を見いだした。カモカのおっちゃんの上げる例を見渡すと、何かしら、淫靡《いんび》な、(かといって不健康というのではない)色合いがある。
何かしら、神秘めかしいくせに、そのくせ威風あたりを払うところがある。
つまり、「いらう」女なのである。(といって、倍賞さんや西田さんがそうだというのでなくて、一つのイメージの例であるからご海容いただきたい)
風呂にはいってくる、そのさまはいかにもしとやかである。しゃがむ、片っ方でお湯をかけながら片っ方で丹念に洗う、千軍万馬の古つわもののごとく、一騎当千のサムライのごとく、半眼にとじ、勝手知ったるごとく、よく使いこんで磨きのかかった手馴れの道具のごとく、愛着こめて洗ってる、その姿には犯しがたい貫禄があるのである。|いらう《ヽヽヽ》女が全部肉感的なのではないが、肉感的な女は、たいがい、そんな感じがある。現役のバリバリという感じがある。
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