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女の長風呂03

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:しよう!ひきつづき、平均的男性、カモカのおっちゃんに登場してもらう。「花嫁衣裳、いうのがありますねえ」あります、あります
(单词翻译:双击或拖选)
×××しよう!

ひきつづき、平均的男性、カモカのおっちゃんに登場してもらう。
「花嫁衣裳、いうのがありますねえ」
あります、あります。
「何で女は、あんなものに赤目吊って騒ぐのんか、わかりまへんな」
しかし男が見ても、やはりきれいでしょう? 美しく装われた花嫁は、花婿が見てもやはり快いのではないんですかねえ。
「なに男が衣裳なんか、見まッかいな、中身のことしか考えとらへん、×××あるのみですよ!」
ミもフタもない話になってきた。
ところで、この×××というところは、××××になる地方もあるだろうし、××の地方もあるであろう。それは地方地方によって適当に字数を増減してあてはめられたい。関西では×××の三字である。女性の体の一部分の呼称は地方により異同があって、それらにおける研究は夙《つと》に男性の好学の士により進められている。
ところで×××なんというコトバは、私は小学生以来、口に出したことはない。とすると、もう三十年、私の舌は、その語を発音したことはないようである。
私は近時、たまに泥酔・乱酔いたしますが、そういう折でもタブーが働いているせいか、それは口にせんようであります。尤も、自分ではわからないので周囲の証言に頼っているから、とことん、うけ合えないけれど、まあそッちの方はいわないもよう。しかし男の人はムヤミと高らかに叫びはる。野坂昭如センセイなんか、すごいみたい。
何故、高らかに叫ぶかというと、たぶん男はその禁制の語を口にのせることによって、周囲に衝撃を与え、オール一座の関心を自分にひきつけんがため、はたまた、蒙昧《もうまい》なる社会の偽善的、似而非《えせ》道徳を打倒しようという革命的情熱に燃えて、「×××! ×××!」と連発するのではあるまいか。
その心意気は勇壮であるが、×××は、このごろ、あんまりショッキングなタブーでなくなりつつある。それは驚くほどのスピードである。
先日、若い娘さんが、私の目の前で、「×××……」と放言したときは私はビックリした。尤も彼女は、ちょっと新しがりの子であるが。
また若い女性の文章でもそのコトバをハッキリ漢字に嵌《は》めてかいていた。これにもビックリする。彼女らはそうすることによって、性のタブーを破壊し、男と同等の地位に立つと信じているのであるらしい。
いまはまだ、若い女性が「×××したいときは……」などというと、痛々しくきこえて、背伸びしている感じであるが、やがてはそれに狎《な》れ、抵抗を感じなくなるかもしれない。
また、それが英語にとって代って表現されるようになれば、タブー意識に触れないだけに、ますます生活の中へ浸透する語になるであろう。
お見合いの席で振袖のお嬢さんが口にのせても、いっこう平気な語感に堕《お》ちてゆくかもしれぬ。
それはしかし、人間にとって、幸福ではない。
禁忌と含羞《がんしゆう》の抵抗感なしにいえるコトバばかりみちていては、人生、おもしろくありませぬ。私は、頑として、その言語を日常語の中へひとしなみにおとすのを拒否する。「×××!」の発音を安売りしたくないのです。
私にかぎらず、四十代、三十代の女、ふつうのミドルクラスの女たちは、おそらく、一生「×××」という語を発音せずに終るであろう。
そうして私自身の好みから申せば、口にのせるのをはばかられる、あらゆるこの世のタブーを一語に凝縮したような、淫靡とワイセツと悪徳の権化のようなコトバを、舌の奥でキャラメルみたいにころがして、決して出さずにたのしんでいるのも好きである。
そうして一生に一度、ほんとにそれに価《あたい》するような、ステキな男に出あったときに、思いきり声はりあげ、遠からんものは音にもきけ、近くば寄って目にも見よ、
「×××しよう! しよう!」
とどなってやったら、どんなにスカーッとして、積年のモヤモヤが一瞬に吹っとぶであろうか。
(断っておくが、そういう男は亭主なんかにしないノダ)今に見ておれ、おどろくな。
「小学生のときは今よりもっと平気で、×××、×××、と濫発《らんぱつ》していましたな」
とカモカのおっちゃんはいう。
「手ェひろげて、×××しよう、いうて女の子追いかけるんですワ。女の子も×××しよう、いうて追いかけてきたりする」
いやらしい子供やね。いくつぐらいの時です。
「ナニ、三つ四つの頃のことですがな」
三つ四つの頃のことをおぼえているもんでしょうかねえ。
私が、いたく心に刻まれている×××のおもいでは、小学生のころ、たぶん、三年か四年の低学年であったか、もとより戦時中でありますな。
年のわかる人はわかるであろうが、南京(ナンキン、とよむ)陥落の提燈《ちようちん》行列よりもっとあとだったと思う。私の通っている大阪市上福島尋常高等小学校のご門前の電柱に、(電信棒《でんしんぼう》はみんな、木であった)ある朝、じつに彫り深く、カッキリと刻まれていた文句がある。(伏字の所も明瞭に片カナで書いてある)
「×××スルノモ国のタメ」
きャーッ。ワーッ。
無邪気なもんですね、子供はみんなそれを見て笑いながら学校へはいってゆく。あとで音楽室の窓から見おろしてると、小使いさんがそれに墨を塗って堙滅《いんめつ》をはかっていた。
私、今になって考えると、その犯人、えらい奴ちゃと思うのです。
当時は、戦争たけなわで、人口増加が奨励されていて、いわゆる「生めよ殖やせよ」が国策であった。勿体なくもお上《かみ》が、民草に性交妊娠出産をおすすめになっていたのであります。
犯人はそれを笑っておる。たぐいなく、するどい落首といわねばならない。もし×××の使いかたに上中下とあるなら、これなど、上の上であろう。
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