イヤー、このあいだ、私はひどい目にあっちゃった。
私、毎日放送へナンかの仕事でいった。何のときだったか忘れた。この間といっても、ちょっと前、半年ぐらい昔である。
毎日放送は千里の万博会場横にあって、名神ハイウエイを使っても私のウチから(というのは神戸の下町荒田町から、)小一時間はたっぷりかかる。
かえりに車をよんでもらった。私は一人で乗った。
ちょっとおトイレにいこうかと思ったが、気の張る人が見送りに出ていられたりして恥ずかしくていい出せなかった。そうしてそのままタクシーに乗った。それがまちがいのもとである。
だんだん、私は辛抱たまらん状態になってきたのである。
名神ハイウエイで、「P」へ車をとめてもらおうかと思ったが、私は運転手サンに気がねしてはずかしくてどうしてもいい出せなかった。そのうち、車はスコスコと快調に走りつづけて阪神高速の西宮へかかる。阪神高速へ入ってはお手あげである。もうパーキングする施設はない。
私は腰を浮かしてなるったけ、車体の動揺が体にひびかないように工夫した。顔が青くなってきそうな気がする。しまいに胸がいっぱいになって来て、涙が出てくる。どうしてこんな馬鹿に生まれたのだろうとかなしくなる。毎日放送を出がけに「ちょっと」といえばすむことなのに。モウダメダ! と何度も思った。目がかすんであたまはクラクラする。ここでひと思いにしたろかしらん。
車内が大洪水になったとて、弁償すればすむであろう。私の腎臓が破裂することを思えば、金で片付けばやさしいことではないか。——しかし、私がタクシー内を洪水にしたということはたちまち、毎日放送の悪友どもに知れわたるであろう。タクシー会社はたぶん、そんな悪質な客を乗せたというので、毎日放送にまで慰藉料を請求するだろうからである。——私は、窓から放出しようかと悲壮なことも考えた。しかし、私は不幸にも、それに適した体の構造をもっていないことに気付いた。
今は手の打ちようがない。残る方法はただ一つ、私の健康を犠牲にしても、私の名誉とプライドを守ることである。私は把手をにぎったり、シートのレザーをつねったりして、必死にがまんする。その間、運転手サンはいつか、高名な野球選手を乗せた話を気楽そうにしていた。その選手はとてもいい人で、タイヤのとり替えを快く手伝ってくれたそうだ。それをきくにつけても、私は決して粗相があってはならぬと、かたく心にきめた。ヒャー、この間のせたオバハンは、けったいな奴でしたワ、などと、運転手サンは次の客にしゃべりはせぬかと懸念されたからである。
車の中で、洩らしよりましてん、などといわれては、日本文芸家協会全会員の恥のみならず、オール日本の女性の恥である。
運転手サンがおもしろい話をしても、私は笑えない。笑うと堰《せき》が切れそうな気がする。一たん堰が切れたら、もう、あとは知らん。どないなるか、わからへん。
私は無念無想、厳粛荘重な顔でいる。そうしてお尻を浮かして両手で支え、ガンガンひびくあたまと、刻一刻、ハチきれそうになってくる何か(それは何か、としかいいようのないモノすごいエネルギーである。最初はごくかすかな感じから、ついには大爆発を予知させる、あるいは太鼓を乱打するごとき、自然のよび声である)に必死に堪えていた。
その日にかぎって、また、長いのだ、道程が。
京橋で阪神高速を下りたら、ひどい交通渋滞、全神戸の車がこぞって、京橋近辺へあつまったとしか思われない。前後左右をとりかこんだ車は、ことさら私の苦境を知って意地わるをしているとしか思えない。もうどうなったって知ったこっちゃない、私が洪水を起したとて、この交通渋滞を|よう《ヽヽ》捌《さば》|かん《ヽヽ》生田警察署長ならびに神戸市長がわるいのだ、と、決心したとたん、車がうごき出した。もう少し辛抱しよう、刻一刻となつかしいわが家のトイレは近くなるではないか。また、次の信号で渋滞。いまはこれまで。
侍が刀の鯉口切るというのはこうもあろうかと決心したとたん、またスタコラと車は走り出す。また辛抱する、ついに家について、そのあとは諸人のつぶさに身に沁むことであるから略す。
はればれした顔で、あらためて、ただいまァ……と部屋へ入っていったら、家人はことごとくおどろいていた。泥棒にしてはへんな奴だと思っていたそうだ。
後日、私はこのことを、友人のカモカのおっちゃんにいってみた。
カモカのおっちゃんは、しばし半眼にとじて酒を飲んでいたが、やおら盃を置き、
「その、堰《せき》が切れたときは、さぞ、うれしかったやろうねえ」
「堰が切れた、というのは、その、サーッと」
「さよう、滝つ瀬のとき」
「それは、もう」
「スッとしたやろうねえ」
「それは、もう」
「あとは光風霽月《こうふうせいげつ》……」
「それは、もう」
「心気晴朗、真如の月を仰ぐような、悟りきった、おだやかな、ハレバレした心地……」
「それは、もう」
「つまり、それですな」
「何が、ですか」
「男が、すんだあとです」
私は男のひと自体、わからない。まして男の性については、全くわからない。そういわれても、そうかなあ、とおぼつかなく類推するだけである。
「男の欲望というのは、まァそんなもんに似てるのんとちゃいまっか。その気になると目がくらんであたまカッカして、ほかのこと考えてられへん、ワーっというエネルギイですな。発散したあと、スカッと道心をとり戻します。ちょっとはわかりましたやろ」
わかったような、わからぬようなタトエである。