男という男は別嬪《べつぴん》が好きである。美女に甘い。
美人でさえあれば、いかなバカでもアホでも気立てよく|あたま《ヽヽヽ》がいいように錯覚してしまう。美人だってバカもいるんだよ。
羊頭を懸げて狗肉《くにく》を売っても、美人でさえあれば許されるのか。
ひるがえって女の方はどうかというに、女は究極的には男の容貌など問題にしないのではないか。
しょせん男は気立てと甲斐性。
最後はそこへおちつく。
いや、もうギリギリ決着のところ、甲斐性よりも気立てさえよければ、女は生涯ついてゆく。
女は男の心意気に惚れることが多い。
その点、男はツラの皮さえよければ簡単に籠絡《ろうらく》されてしまう。じつに単純無思慮、粗野にして幼稚、この点に関するかぎり、大学教授も荷車曳きも変りばえせぬ。
いや、却って学者、作家、評論家、文化人といったインテリらしき人々の方が女のツラの皮の出来不出来に眩惑《げんわく》されやすく、熊公八公の方が、女の本質を美醜にかかわらず見ぬく洞察力に恵まれているのではあるまいか。彼ら底辺の庶民は生きることに真剣なだけに見栄を張ったり眩惑されたりする余裕がなく、男・女の仮面をぶっとばして、人間の本質みたいなものをさぐりあてる嗅覚があるからである。
私は昔からモテたためしがない。
「あ、それでそない、怒るんやな」とカモカのおっちゃんはいう。ブスの怨みはおそろしいと知るべきである。
顔の話は止めよう。われながら不愉快だ。万人に美人と思われなくてもよいではないか。ただ一人、亭主だけが美人と思ってくれれば……くれれば……くれれば……。
「くれんやろうなあ」とカモカのおっちゃんは私の顔を見て同情に堪えざる風。あかんか。
顔の話は措《お》く、本業の文章でいこう。
私は昔から、おそろしいオバハンだと思われている。カンカンガクガクと口角泡を飛ばして論断する女史に思われているらしい。
すべて、私の文章から読者はそう想像なさるのだ。
しかも鬼をもひしぐいかつい醜貌で、かくせどもおのずとあらわる好色の風、男を男ともおもわず、脚をあげて高々と組み、鼻の穴からタバコの煙、酒と漁色でつぶれた声で編集者の顔を見れば原稿料値上げを吹っかける、ものすごい女史に思われているらしい。
それが浅慮だというのだ。
私は実物は一メートル四十五、五十キロ、コロコロ太っていつもニコニコ、PTAにもいくし市場へ買物にもいく。男は亭主しか知らず、編集者の影は三尺下がって踏まぬよう心がけている、心やさしい、デキのいい女なのだ。
しかし私が書く文章は何故か知らねども、威勢よく弾《はず》んで、女史風になり、読者のヒンシュクを買うのだ。
「だからおせいさんの本は読まれへんねなあ」とカモカのおっちゃん、わが意を得たりと、「そこへくると、ホラ、岡部伊都子サンていますなァ。あの人の文章、僕、大ファンでね。しとやかにして可憐|掬《きく》すべく余韻嫋々《よいんじようじよう》、女らしさ、匂うばかり、涙もろいくせにするどいところがあり、魅せられる、というのは、こんなことかいな。写真で見ても、楚々《そそ》とした細腰の美女で……」
私、うらやましさで目の前がまっ暗になった。ワテも生きたやイツ子のように、可憐と涙のこの世界。
岡部サンはほんとは、すごく明朗で、愉快な人なんだよ。家の中ではいつもスラックスはいてる、いうとった。
「そんなはずない、いつテレビで見ても着物を優雅に着て……」
カモカのおっちゃんは頑として信じない。だけどね、イッちゃんの愛称で親しまれ、愛されてる彼女は、ほんと、すごく明るくて面白いの、嫋々なんて細腰は細腰だけど、もっとアッサリしてるのだ。いつか私とNHKに出演して、二人とも顔にドーラン塗られながら、岡部サンはその間も口をやすめず、
「そうよ、この髪型になれてるからねえ、耳が出るッていう人あるけど——え? そうそう、あたしの耳のことダンボなんていうのよ、ひどいねえ、ワハハハ」
なんて、化粧係さんに顔を八角にいじられながら、むりに私の方を向いて大口あけて笑う、とてもきどらない、私の好きなタイプなんだ。その彼女が文章を書くと、「女らしさ匂うばかり」人生は美しく、はかなく、かなしきものになってしまう。このふしぎ、これがわからんかなあ。
美しい文章を読むのはほとんど生理的快感にちかく、私とてイッちゃんの文章を好むこと、やわかカモカのおっちゃんにおとるべき。しかしながら、文は人なり、なんて古くさいことを考えていられると認識不足ですぞ。
美人は賢明なり。
美人は心やさし。
ナンデそう、きめてしまうのや。ブスにもええのが居りまっせ。ブスの美学だ。
「とくに岡部伊都子さんの、あの古寺めぐりの文章の品とおちつき。おせいさんなンかとえらいちがい」
まだカモカのおっちゃんはいっている。男という男、あげてイッちゃんの文章にぞっこんである。
「それに、彼女のイイナズケで沖縄で戦死した木村少尉のことを書いた文章——いいねえ……たまらんねえ。哀切きわまりない女の慟哭《どうこく》。僕は戦中派やからよけい、感動ソクソクたるものがありますな」
私も戦中派だからわかる。でもブス的文章にも女の物の哀れはあるのだ。うわべだけで判断しないで、ブスのいうこともきいてえ!
「イヤ、そら気の毒やけど格段の違い」
よろしい。そんなにいうなら男という男みんなイッちゃんの後援会に入ったらいいでしょ。私、後援会歌、作ったげる。
「イッちゃん音頭」はどうだ。
「木村少尉のおもかげ抱いて、今日もゆくゆく古寺めぐり、ソレヤットンヤットン、ヤットンナー」
てなもんだ、ヒヒヒヒ。