「エー、与謝野晶子のうたに……」
とカモカのおっちゃんがとつぜんいった。
「強姦の歌がありますな」
「ヘッ! ホーント。寡聞《かぶん》にして存じませんでした」
「困りますなあ。あンた、もう五、六年前から与謝野晶子の小説書く、書く、いうて宣伝し廻っとるくせに、知らんのですか」
「いや、それは何です、たいがいの歌は知ってるが、中にはソノ、知らんのもあるかもしれないかもしれない」
「ききなさい」
とカモカのおっちゃんは低唱微吟した。
「——さかしまに山より水のあふれこし おどろきをして われはいだかる」
「阿呆!」
「強姦のうたでしょう」
「心やましい人がよむとそうも思えるでしょうが、これはちがうと思うな。夫以外の男に意外な求愛をされた感じです。カモカのおっちゃんはどうしてそう、人生を色キチガイみたいに見るのだ。反省せよ」
「色のほかに、人生なにがおますねん——所詮この世は色、色、色。ところで、女はなぜ、強姦されるのが好きなんでっしゃろ?」
私はすこし考えていった。
「私はきらいです」
「ウソつけ、女はみんなマゾ的傾向があるから、オール大好きなはずです。その証拠に小説にはよく、やっつけられる場面がでてくる。アレーと絹を裂く女の悲鳴、たえだえの女のすすり泣き、女という女、小説を読むときは所詮、立川文庫を|愛好する《ヽヽヽヽ》のです。雲助や性悪《しようわる》浪人に女が手籠め——なつかしいコトバですな——に会《お》うてるとこ、ばっかり読みよる」
それはきらいでない女が多いであろうが、女が強姦が好きなんて、大ざっぱにきめつけられちゃかなわない。
強姦ったって、いろんなニュアンスがある。箱根山中で大の男四、五人に手とり足とりされたり、常習者にうしろからとび掛られて首をしめられてのあげくだと、これはもう、半分殺人で、強姦というより、半殺《はんさつ》というべきである。
「イヤ、その半殺が女は好きなんとちゃいますか」
とカモカのおっちゃんはいう。いや、何で半殺がいいことがあろうか。私の思うに、性にはある一点でぐらりと傾いてしまうデリケートな一面があり、ある一点をこすと、別の次元になってしまう。性的犯罪は女にあっては、被害者と加害者というより、共犯と主犯の関係であることが多いが、半殺のケースでは、あきらかに被害者以外のなんでもない。性が犯罪にからむとき、被害者が出れば、それはもう非人間的な兇行となってしまう。
女が、みずからを被害者と感じた場合、そこには性犯罪のもつ、独特なあいまいさ、淫靡な妖《あや》しさは消えて、たんなる破廉恥罪が成立するだけである。
しかし、たいへん、微妙な強姦がある。
私の友人の元警官にきいたところでは、およそ強姦事件というのは成立しにくいのであって(もちろん一対一の場合である)、たいてい途中で、女が味な気になるか、あるいは、もろもろの事情にかんがみ、無駄な抵抗をあきらめてしまう、すると和姦と見なされてしまうのだそうである。
そこが、強姦と半殺のちがいである。
人間と人間のすることだ、あいだにちょっぴりでも人間らしい所がなくてはいけない。人間らしさ、というのは、通いあう気持である。
途中から和姦になっちゃうなんて、たいへん人間らしいことである。
半殺では、なりようがない。ゆえに、半殺は兇悪犯罪である。半殺犯人は死刑に処すべきである。
しかし一対一の犯人の場合は、多大なる情状酌量の余地がみとめられる。なんとならば、第一、一対一で強姦しようなんていう豪の者の男はいまどき、いなくなっちゃった。
たいていの男は、「イヤよ、バカ」なんて女に肘鉄《ひじてつ》をくうと悄然《しようぜん》としてひきさがる。不甲斐ないことおびただしい。それを押して挑みかかったって、いまどきの女は栄養がよくて体格も大きいから、猛然と反撃したら男はかなわない。痴漢に気をつけよう、とポリ箱《ボツクス》の看板にはよくあるが、痴漢にもよるけど、腕力胆力、痴漢よりたちまさる女の子も多く、いろいろ、対策も心得てる。
「男の急所を蹴ったらイチコロよ、なんて女の子いってるよ」
「急所ってどこです?」とカモカのおっちゃんのイジワル。
「金的よ」
「金的とは何だ」
うるさい!
「ともかく、そこを蹴るとか、目玉に指を突っこむとか、いろいろやりようあるじゃないの。そんなんして防いだら、男はぜったい強姦なんてできないよ。さびしいでしょう」
「しかし刃物をもってるとか、硫酸を顔にぶっかけるぞ、と脅すとか……」
「そやけど、手が三本あるわけじゃなし、刃物や薬品もってりゃ、残る片方の手で何ができますか、マゴマゴしてたら自分の大事なとこに硫酸かぶるのがオチでしょ、ともかく男が女を強姦するなんて、不自由でとってもむつかしいと思うよ、それをあえてやるんだから、一対一の犯人は、情状酌量してやらなくては」
「みなさい、やっぱり女は強姦を待望してるのです。イヤや、イヤや、といいながら、ほんとは好きなんとちがいまッか」
ちがうなあ、やっぱり。
意に反してコトが行なわれるのは誰ものぞむところではないが、もしそれが顔見知りだとか、思い当る動機があるとか、そういう犯人の場合、未明の暗い空から、だんだんにあけぼのの、うすべに色に空の色が変るように女の心は染められてゆくかもしれない。そこが人間らしくて、やさしくて女は好きなの。それがむくつけき警察用語でいうと強姦から和姦というプロセスなのかもしれないけど。
「ま、どっちにしてもおせいさんを襲うという男はいてへんから、和姦もあかん」
とカモカのおっちゃんは結論を出した。