女にとって、男のどんなことばが、うれしいだろうか。
それは女の事情によりまちまち。
美貌自慢の女なら、「ききしにまさる美人ですなァ」とむきつけにいうがよかろうし、頭脳自慢なら、「あなたと話してるとときのたつのを忘れます」なんていうのもよい。なべて、優越感をくすぐるのがうれしい。あたまのいい男なら、どんなことをこの女は自慢にしてるか、それを見ぬいてしまうであろう。何を自慢してるか、その依って立つ所を見ぬかれたら、「人いずくんぞかくさんや」手の内を読まれてしまう。
しかし、共通のことばはないであろうか? つまり美貌自慢も財産自慢もお育ち自慢も学歴自慢も、女という女、女でさえあれば、それをいわれてわるい気はせぬ、という言葉はなんであろうか。
「きれい、美しいというのはあきまへんか」とカモカのおっちゃんがいった。
「いや、もうその程度では間尺に合わない」
「意外と女らしい人ですな、というのは」
「まあ、やや、照準が合うてきた」
女らしい人、といわれて怒りたける女はあるまい。ウーマン・リブの女たちはしばらく措《お》くとして、「意外に女らしい所があるね」というのは一般的な殺し文句であろう。
しかし、ほんというと、ここだけの話ですが、「寝ませんか」といわれるのは、女にとって最上のほめことばであり、うれしがらせであり、夢であるのであります。
「そんなこというたら、|どつかれ《ヽヽヽヽ》へんか」
カモカのおっちゃんはさっそく試みてみるつもりらしく、
「四月一日以外の日にいうてもええのんかいな」
「いや、そらどつかれるよ」
どつかれるにきまってるが、どつきながら女はうれしい。女は人間としての値打ちをみとめられる前に女のいろけをみとめられたい。いやらしくいい寄られてみたい。
しかるに今の世の中、それを怒ってみせるのが女の美徳だということになっている。「寝ませんか」「まあッ失礼な、淑女に向って」とぶんなぐるのが良識とされている。また男も、内心この女を抱いてみたいと思ってもそんなことはオクビにも出さないのが、まっとうな紳士だということになっている。
それが偽善、まやかし、陋劣《ろうれつ》、うそつきの根本ではないか、と私はいうのだ。
「いかがですか?」
「ええ、よろこんで!」
と紳士、淑女、ダンスを申しこむように礼儀ただしく敬意と愛をこめて、まじめに楽しげに、しかし朗読調に声を張ってはバカみたいだし、耳打ちなどしたら淫猥《いんわい》で下劣、「いやらしい」といってもその最上の意味におけるいやらしさ、頃合いのいやらしい声と、話しぶりと表情でいい寄り、いい寄られるべきだと私は思うよ。
「お手合せねがえませんか」
「結構ですわ」
と町で会ったゆきずりの人にいえるような世の中だったら、どんなに自由でノビノビすることであろう。そういうときのために、公衆便所ならぬ、公衆ベッドなどを町角のそこここに備えつけておかねばならない、公園のおち葉に埋もれて、はたまた、港の片すみで海を見はらせるようなところで、オトナの会話ができるようだったら、どんなに楽しい性のユートピアであろう。
「いや、あんまりそうたやすくなるとまた、つまりまへんで」
というカモカのおっちゃんの見解であった。
「そう思うても、いうにいえん、そこにまた、人生の面白さもあります、苦労していわず語らず、長いことかけて思いを遂げるというトコにええ味もあるんとちゃいまっか」
そういう場合もあるであろうが、人間にはせっかちな部分もある。いま寝たいと思っても一時間のちにはどうなるかわからん、ことに巣作りが本能である女は、めったにそういう思いになることはなく、また、そういう男にめぐりあうことは親の仇にめぐりあうより、ウドンゲの花が咲くより珍しい。その一瞬をとりはずしちゃ、何のこともない。公衆ベッドが要る所以《ゆえん》である。
それに私の弾劾するのは、双方、意気投合してるのに、世間|てい《ヽヽ》でよけて通るウソツキ精神である。
昔、一休禅師が他人の女房と酒を飲んでいたときのこと、日も西山に入り、一休は女房の袖を捉え泊ってゆけといった。女房は沙汰のかぎりと袖を払い、「夫ある身に何というご無体。世間の評判とうらはらな、このなまぐさ坊主め」と柳眉《りゆうび》を逆立ててかえった。夫にかくかくしかじかと報告すると夫は手を打って笑い、さすがは一休や、ええこといいはる、何で泊ってけえへんねん、というのである。女房はあわてて化粧し直してひき返し、「夫、苦しからずとて……はずかしながら」ともちかけると一休はもう手枕で眠っていて、「いやいや、もはやいやにて候。おん帰りあれ。先程はこなたへ心かかりたるが、はや心かからず候」というたとある。行雲流水、心動くときは動かし、動かざれば動かしたまわず、と古い本には感心して書いてある。一休というのは非常に正直な人であったように私には思える。これがカモカのおっちゃんだと、動かぬ心をむりにふるい立たせ、意地きたなくむしゃぶりつくところ。すべて人は行雲流水で公衆ベッドを利用できるように修養せずばなるまい。女も、もちかけられて内心はうれしいくせに、沙汰のかぎり、などと、まなじりを決して一一〇番をよぶ、という偽善精神はあかんよ。尤も、いい寄った男が気に食わなきゃ、顔をひっぱたくのもよろしかろう。
すてきな好もしい紳士と偶然、酒席なんかでとなりあわせ、話すほどに気が合い、
「いかがです」
「ええ望むところですわ」
なんてことができるようになったら、生きるたのしみは倍加し、いかばかり仕事に張合いができるであろう。人生はバラ色に輝くであろう。
女から「寝ませんか?」ともちかけられた男はどうなんであろう? 男もやはり嬉しいであろうか?
「イヤ、それは……」
とカモカのおっちゃんは重々しくいう、
「逃げとうなります。そんなんにかぎって山ウバか鬼瓦です」