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女の長風呂13

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:乱交パーティの視線人のすなる乱交パーティを、我も見んとて打ち出でた。私のは見て書くためで、これは邪道であろう。乱交パーテ
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乱交パーティの視線

人のすなる乱交パーティを、我も見んとて打ち出でた。私のは見て書くためで、これは邪道であろう。乱交パーティ(あるいは蛮交パーティ)は参加するだけで意義があるのではなく、参加してヤルためのもので、ミルだけではいけないのだ。
場所は某ホテル、尤もホテルといっても国賓や要人の泊るそれではなく、アラビヤのハレムか清朝《しんちよう》後宮かという例の飾り立てたある種のホテル(そんなん知らんという人は、大阪の高津《こうづ》、桜の宮、上六《うえろく》、阿倍野、十三《じゆうそう》、太融寺《たいゆうじ》近辺を探訪せられよ)、そこの一室、私と仲介者が待つほどもなく、パーティ主催者と場所提供者があらわれた。主催者といっても肝煎《きもいり》ぐらいのところで、ほんとの黒幕の主催者は謎である。肝煎は妙齢にして国籍不明の美女、提供者の方は精悍な壮年の男、ドスが利いてサビのある声で、「今日はパーティの会場が変りました。ここではありません」という。それに、といってニタリとし、「一日会員でよろしいからおはいり下さらないと、どうも見るだけというのは困ります」
「それはそうでしょうが、曲げて」
「曲げてもへちまも、見るったってどこから見るんです、マンションの一室なんでね。忍びこむところなんざ、おまへんよ」
「会費は出します」
「会費は二倍出してもろても、見るだけは困りますな、やっぱり脱いで入ってもらわな」
「脱ぐ」
「そう。はじめに全部ぬいでロッカーヘしまい、そのキイを主催者があずかります」
と宇能鴻一郎サンの小説みたいなことになってきた。私はしばらく沈思し、
「イヤ、そら、かなわん、私、脱ぎとうない」
私は体に自信がないのでも、亭主に知れると叱られるからでもない、脱いだあと、どこを見てていいか、わからないからである。人は向きあうと、たいてい顔や胸元、ネクタイとか、ドレスの衿もととか見合って話をしたり、うなずいたりする。それが慣習である。しかし真ッぱだかの男なり真っぱだかの女なりと向き合った場合、人はどこを見るか。視線がだんだん下へいくような気がする。或いはこれは、私の取越苦労であるかもしれない。しかし私は、そんな気がしてならない。真っぱだかの男や女と向きあって、顔ばかり見てられる人は白痴《こけ》か仙人である。
見たっていいではないかと、いわれるかもしれない。
しかし私はいっぺん見たら、視線がニカワでくっつけたように離れないかもしれない。
われとわが心に(コラッ、あっちを見ろ!)と叱咤したっていうことをきかばこそ、穴があくほど眺めつづけ、まばたきも忘れて目の玉が乾くかもしれへん。
いやらしい。
だから、やめとく。他人の視線だって同じで、私はきっと、殺人光線でやられたように感ずるであろう。
肝煎の美女(これは窈窕《ようちよう》たる美女、雲か霞を食べて生きてるような、あえかな佳人だった)、とりなすごとく、
「まあ、そういうパーティはどうしても会員の事情もございますし、こっそり見るだけということは無理ですが、そんな大がかりなものでございませんでしたら、いますぐでもご覧になれますわ」
と花の如く微笑む。私はうちよろこび、
「えっ、ほんと、勿論、大がかりでなくても、小がかりでけっこうです」
「それはこの部屋でございます」
美女はあだっぽくいい、
「カギを締めれば誰もまいりませんし、ちょうど殿方二人、われわれ女性二人でございますからね、カズはちょうどでございます」
「イヤ、私もそのカズの中に入ってる?」
「ハァ、やはりパーティの面白みは体験にございます。ご覧になったところで、どうせその十分の一もおわかりではないでしょう。私もですが、この人も」
とドスの利いたあんちゃんを指し、
「何十人という社会的地位も名誉もある会員の方々のお世話をさせて頂いております関係から、口は堅うございます」
「やはり脱いで……」
「スチームが利いておりますからお風邪を召すことはないと存じます。カギは二重カギでございます。でははじめましょうか」
危うし、おせいさん、虎穴に入って虎児を得るどころか、虎の餌食にされようとする。仲介者の男、おそるおそる出て、これは助け舟を出すどころではなく、顔は輝き舌ももつれ、
「僕もすっかり脱ぐんでしょうね、あの、メリヤスパッチもみんな……」
「ええ、どうしても何か一つ身に着けたいと言われる向きは、ネクタイをじかに首に締めて頂くことになっております」
真ッぱだかにネクタイだけしめてどうするねん、あほ。
ドスの兄ちゃんはニタリニタリと不気味な笑い、これも窈窕美人と別の意味でおそろしく、私と仲介者はあわただしく額をあつめ、
「これも仕事のためでっせ、仕事には命を賭けるのが武士のならい、あきらめなはれ」
と仲介者、私はしたい気持と、したくない気持と半々である。
「やりますか」
とドス兄いは上衣を脱いだ。この期に及んで私はまだ、アブラ汗を流して迷っている。
「やってもええけど……どうしても脱いで体験せなあかんのやったら、……やってもいいのであるが……」
つまり、視線がいけないのだ。四対の目玉がキョロキョロしていては、脱いだあと里心がついて困る。といって酒を飲んだら、いいごきげんになって、じっくり観察研究する取材はできないであろう。一時的にみんな目つぶしをしてやるということは、できないものでしょうか。しかし、にわか視界不良が四人あつまり、ウソウソとうごめきまわっていたって、どれが頭やら尻やらつかみ所もなく、サマにならぬ。
いやほんとうに、人間の体には余計なものはないというが、目玉というのはときにより余計なものやわねえ。
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