わが家は何をかくそう、いま崩壊寸前、離婚必至の状態なんだ。そりゃそうでしょう、モノ書きの女房などもっていりゃ、男は四六時中後悔のホゾを噛み、離婚を考えるのが当然。かかるが故に、私と亭主《おつさん》の仲は、現在、一触即発の状態である。ノロケて見せるのは、女の虚栄である。よく世間でいうであろう〈ああうれし、隣りの夫婦離婚する〉、アーリガトゴゼマース。なるったけ近い将来にご期待にそうことを約束する。
さて、カモカのおっちゃんのところも今や崩壊寸前という、尤もそれはかなり彼の主観的な独断の色合いをおびているのは否めないが。
女房《よめはん》は彼にはガミガミと辛くあたり、彼の面倒はろくに見ないという。しかのみならず、齢と共に大ぐらい、大いびき、汗っかき、放屁癖。ゴメンともいわぬ、という。じだらく、おしゃベり、色気狂い。いよいよ太った腰まわりを包むに、年甲斐もなきパンタロン、人のすなるカツラを我もかぶらんとビリケンあたまに打ちのせて恥ずかしげもなく町をのし歩き、テレビに出て有名人と会ったことを親類中に電話する。男がパンツ一丁で夕涼みすれば子供の教育上わるいと咎め立てするくせに、自分はホットパンツなどはいて気の遠くなるような太ももをひけらかし、どうしようもない大年増、ちょっと夜のご挨拶が間遠になると、それとなくあてこすりいやがらせ、ますます男の気を萎《な》えさせるようなふきげん、わざとらしく戸をピンシャンとあけたてし、男はもう気もそぞろという。
だからカモカのおっちゃんはいつも夢見てるという。
蝶のような軽やかな立ち居ふるまいの、心やさしい女。つつましくしおらしく、ひたすら男を尊敬し愛し、軽蔑なんか以てのほか、男のいうことにそむかじと心を砕き、そしてすることが奥ゆかしい、トイレにもいつ通うかわからぬくらい、食事もごくかるく少なく、金《かね》の|ぐち《ヽヽ》などいわず世帯の切り廻しよく、料理がうまくきれい好き、言葉美しく笑顔さわやか、間隔が十日、半月、ひと月になろうとも、かりそめにもふくれ顔せぬ、いつまでも羞恥心を失わず、老けず、分別くさくならず、しかも清潔ないろけがみちあふれて見るたびに抱きたくなる。
「どッかにそんな女、おりまへんか」
「居たら昇天するわよ、天女くらいのもんでしょ」
「昔はおったんちがうかしらん。少なくとも僕ら、中学生のころに見た女学生はそんなんやった。そんな女に成長しそうなおもかげがあった。なればこそ、僕ら中学生は遠くからあこがれと敬愛のまなざしをこめて仰ぎ見とったんや、仰げば尊し女学生。昔の少年少女は、隔離教育やったなあ」
「そうそう、中学校女学校(旧制)は全然別の学校、通学電車も別、外で男子女子、話をするのも禁止」
「そやさかい、女学生はみな、中学生(昔は中学生といえば男子学生にきまってる)にとっては、永遠の女性、ベアトリーチェやってん。セーラー服の清らかさ、白いネクタイが風になびき、黒髪が吹かれる、スカートのヒダがピーッとしていて、その腰つきもたおやかに、瞳はけだかくりりしく、中学生なんか眼中にないさまで、まっすぐ前向いて、タッタッタッタと歩いてゆく。あのけだかさ。僕ら女学生のスカートのはしにちょっと手ェでもさわれたら、もう死んでもエエくらいに思《おも》てたな。僕、女きょうだいないよって、あの女学生らの日常生活がどないしてもわからん、どんなんやってんやろ、おせいさんかて、女学生やったこと、あるねんやろ?」
「あります、大ありです」
「たとえば、女学生は毎日、何食うてましたか。僕らから見ると毎日、カスミ食うてるとしか思われへんかった。聖母マリアみたいなもん、神聖で上品で、垢《あか》もつかず汗も流さず、汚れを知らぬ清いからだ、無垢の心、まっしろいハンカチみたいなけだかさ。……ああ、あこがれの女学生……」
「エヘン、その実体は、ですね」
と私はいたく悦に入ってしゃべってやった。
たとえば女学生はまず、大食らい。私のときは戦時中ゆえ、女学校一年までしか物資が出まわらなかったが、学校からかえると代用食、オムスビ、せんべい、塩豆、あられ、かき餅、ラムネ、家にあるものは片端からうち食らい、さらに暑いときは、かのたおやかなるべきヒダスカートの中に、古風旧式な黒い扇風機をすっぽり入れて風でふくらませ、太ももから下腹の熱をとる、何しろ陽気のいい時節の黒サージのスカートのむし暑さ、下半身汗にまみれ、股ずれができ、|むれる《ヽヽヽ》もいいとこ。スカートを煽いで臭い風を送ったり。
三人でも寄ればしゃべることしゃべること、カバか野牛のような声で笑い、いずれ劣らぬ臼のような尻とユサユサする巨大な乳房をふり立てて、体操なんぞ徒党をくんでやってると大地が震動する。
ひるやすみ、弁当箱のフタについた飯つぶを舌で舐めてる子もあれば鉛筆の先で妻楊子がわりに歯をせせってる子もある。黒いセルロイドの下敷にあたまのフケをちらして、それをあつめて団子に丸めてる子もある。
セーラー服姿も、遠見《とおみ》には美しいかしらんが近くでみれば衿《えり》はフケでまっしろ、垢でピカピカ、抜け毛が散っている服は、いつも日向《ひなた》くさく埃くさく、叩けばパンパンと陽炎《かげろう》のごとき埃が舞い立つ。白いネクタイの先っちょは、醤油のシミによごれたりし、スカートには|M《エム》(女学生たちはそのかみ、アンネのことをそうよんだ)のシミがついてたりする。
そうして女学校の校舎自体、ムーンと、汗ともワキガとも経血ともつかぬ、一種異様な性的悪臭がたちこめていたもんだ、わかったか。
しかしそういう女学生が一面また、音楽室の中庭で四つ葉のクローバーをさがしたり、講堂の裏手の青桐の幹に「夢多き学び舎《や》を去る日に。K様永遠に」と彫ったり、天使のような声で「春のうららの隅田川……」と歌うのだ。
カモカのおっちゃんの女房《よめはん》だとて本質は同じ。女は昔も今も変らんもんよ。蝶のような女なんてありゃせんのだ。