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女の長風呂19

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:わが愛の中学生女学生のことをいったから、今度は中学生のことにしよう。「六三制野球ばかりが強くなり」という当節の、たよりな
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わが愛の中学生

女学生のことをいったから、今度は中学生のことにしよう。
「六三制野球ばかりが強くなり」という当節の、たよりない、わがままの、甘ったれの、うすらバカのガキどもの新制中学生のことではない。
私のいうのは、戦前、戦中の、中学生のことである。
「少年倶楽部」や佐藤紅緑の小説に出てくる中学生、あのりりしい少年たちである。
私の女学生時代は、戦争たけなわの頃で、もう不良が跳梁《ちようりよう》する自由もなかったと思う。中学生はみな、おそろしくまじめであった。そうして栄養失調の体を、スフ入りの化繊、うんこ色の制服に包み、胸には、校名・学年・名前・血液型を書いたキレをぬいつけ、背中には鉄カブトを垂らし、制帽である戦闘帽をかぶり、スフ入りのゲートルを巻いて、鞄を肩にかけ、毎朝、わきめもふらず登校していた。小型の兵士、という少年たちが町にはいっぱいだった。みな、しっかりしていた。
近所の顔見知りの中学生だといっても挨拶などしては、三年ぐらいウワサのマトになる。まして二人きりで会ってたりしたら、お嫁にもゆけなくなる。兄弟、いとこといえども町なかでは知らぬ顔でゆきすぎる。中学校・女学校、相共に近接しているところなどは、わざわざ、通学路まで別々に規定して、ゆき合わぬようにしてある。
通学電車は、中学生、女学生、別々の車両である。
私たち女学生は、「××中学校」という標札のかかった校門の前を通るのさえ、胸ときめいた。
校門からチラと見える校庭には、銃を肩にした中学生が軍事教練なんかしている。時折、
「オーッ」
と野獣の咆哮《ほうこう》のようなかけ声が、校庭の木々をゆるがしてひびく。それは繊細な女学生を卒倒させるような、性的迫力にみちている。素足で竹刀《しない》をふるってることもある。「男」の世界、「男」の城の神秘感みたいなものが、モヤモヤーっと中学校の校舎に暗雲のごとくたれこめている。
中学生は、女学生なんぞ、洟《はな》もひっかけずにバカにしてるものだと思ってた。女というものは不浄の身で、そばへ寄るさえきたならしいと信じていると思ってた。また女学生は、そう思われても当然と思い、胸をいためていた。
中学校の教育課程は、おおむね女学校より程度がたかく、中学生はみな、女学生よりかしこそうであった。日本の前途を憂え、一刻もはやく戦線に馳せ参じて、大君のために散華《さんげ》せんものと、かたく心にきめているような雄々しい、すがすがしい顔をしていた。私たち女学生はひたすらその崇高さに打たれ、自分たちは中学生たちの気高い心のそばへも寄れぬ卑しい身であると考えていた。中学生たちは寒中でもぱっとはだかになって、|みそぎ《ヽヽヽ》の水をかぶったりする。そうして「みたみわれ、この大みいくさに勝ちぬかん」などと朗誦したりしている。
しかしながら我々女学生は人前で、ふんどし一丁になって裸になったりできない、いかがわしい存在なのである。いろいろかくすべき所も多く、かつ、月に一度の不浄もあったりして、うろんくさい、けがらわしい存在である。皇軍必勝を祈願するため、月に一度、近くの神社に全校あげておまいりするが、そのとき、身にけがれのある女学生は、鳥居をくぐることはできない。神サマのバチがあたる。
たいてい四、五人、鳥居の外でしょぼんと待ってたりする。その羞《は》ずかしさと屈辱感は、消え入りたいようなもので、中学生のけだかさにくらべ、なんという、女学生は取るにも足らぬ身であるかと嘆かれる。勤労奉仕にゆくと、たまに食堂や手洗場で、中学生の一団といっしょになる、もうドキドキしてまっすぐ前を向いて歩けない。手洗場で手がふれたりしたら失神してしまう。「君が手と我が手とふれしたまゆらの心ゆらぎは知らずやありけむ」というような、なまやさしいものではない。子宮の底がやぶけて中身ががらんどうになるような物凄い衝撃。
神サマの次くらいに近よりがたい存在が、中学生なのだ。
中学生というのは、もうなま身の人ではないのだ。遠からず戦場におもむいて玉砕し、軍神となる、そのタマゴであるのだ。我々女学生としてはその後姿を伏し拝みたい心地。イロの恋のという存在ではないのだ。ないのであるが、そばを通っただけで、心ときめきするのは致しかたない。
いがぐりあたまを遠くから見ただけで、へタへタと腰が萎《な》える。
もし話しかけられたりしたらたいへんだと、仏頂面でいるが、ほんとに話しかけられでもしたら、うれしくて、おしッこを|ちびる《ヽヽヽ》かもしれない。絶対、ありえないことではあるが、もし、通学途中、顔なじみになって仲よくなり、ふたこと、みこと、話をする、あるいは顔見合わせてにっこりほほえむ、そんなことになったら、どうしようか、たちどころに死んでも悔いない、などとあれこれ思いはしらせ、つい駅の階段ふみはずして、ずでんどうと落ちたりする。
帽子をまぶかにかぶった、とりわけ眉目りりしい中学生が、いつも一緒の電車に乗っていて、向うも知らん顔でいるし、こっちも知らん顔、それが、防空演習のとき、偶然、駅の近くの防空壕に一しょに入り、ほかに町内の人がいっぱいいたけど、私は緊張と心ときめきで死にそうな気持だった。あの中学生は、どうしたかしらん。特攻隊にでもいって死んだであろうか、それとも辛い戦後をからくも生きのび、泳いで来て、命ながらえ、妻や子とつつがない人生を送っているであろうか。
「そらまァ、私みたいになってんのとちゃいまッか、たいていのトコ」
とカモカのおっちゃんはしごく気楽に、
「女房《よめはん》は抱く気イおこらんけど、若い娘《こ》みて、あれか、これか、体の具合、肌の色つやひとり思いめぐらせてニンまり、体はいうこときかんのに、『気ィ助平』になって、ポルノ小説読みながら酒飲んでる、みな、こんな中年になってます。何となれば、私かて、そのかみ、りりしい中学生やったことがあるのや」
あの中学生が、カモカのおっちゃんになる!? 人生、不可解!
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